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福音派の形成と発展【3】

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

二十世紀、根本主義の誕生と、新福音派の形成

最後、20世紀の方見ていきたいと思います。

福音主義っていう立場を見てるんですけども、福音主義の中から、根本主義という立場に立つ人たちがあらわれます。その背景、時代的経緯ですけども、19世紀、後半よりアメリカの多くの神学者たちが、ドイツに留学し、ドイツの自由主義神学を、アメリカに持ち帰ったのです。ドイツが自由主義神学の中心でしたけれども、そこに学びに行くアメリカの先生たちがたくさんいました。そしてドイツで学んできた人たちが、アメリカに帰ってくる時に、ドイツで学んだ自由主義神学を、持ち帰るということになります。教会のリーダー達、つまり神学者たちがそういう神学を持ち帰ると、当然教会はその影響をうけます。

(1)根本主義論争

そういう影響が及んで行くと、このことに非常に危機感を覚えた、当時の、福音的な立場に立つ神学者等、教会のリーダーたちがたくさんいて、その危機感から聖書信仰守る努力の結集としてある本を出版しました。聖書の基本的な教理をちゃんと確認するような、そういう本を出版したのです。
その本が「根本的なるもの」つまり「ファンダメンタル」という題の本だったんです。このことがきっかけになって、この人たちが、根本主義者(ファンダメンタリスト)と呼ばれるようになるんですね。
ですから、福音主義っていうのは、英語でエバンゲェリカルって言うんですけれども、エバンゲェルカルの中に今度はファンダメンタリストという人たちが現れるという流れになってきました。こうした影響を受け、20世紀初頭より、根本主義論争が本格化し、多くの教派や神学校が分裂し、新たな教派や神学校が誕生しました。

プリンストン神学校も分裂し、ウエストミンスター神学校さらにフェイス神学校が誕生したました。あの福音的な立場に立っていた、その中心であったはずの、プリンストン神学校も、実はこういう自由神学に影響されてしまって、神学校が分裂してしまうことになるんですね。それでウエストミンスター神学校とか、またさらに福音主義的な根本主義的な立場に立つ神学校が次々に出来ていくっていう流れになっていきます。以上の経緯から、アメリカに色々なグループの教会がたくさんできてゆくのですね。アメリカに行くと、同じバプテストでもいろんなバプテストがあるし、長老派でもメソジストでもいろんなグループがあるんですね。みんなメソジストなのに、少しずつ名前が違う、そしてみんな違うグループというぐあいです。これは南北戦争の影響もあるし、いろんな自由主義神学の影響の中で、福音を守ろうとする人たちが、教会観の違い・考え方の違い・聖書理解の違いから、分裂をして守って来たという経緯があるんですね。
ですから、当時は「根本主義」という言葉はすごくいい意味の言葉でした。つまり、「聖書の根本的な教理を大切にする人たち」という意味で、すごくいい意味で使われいてたんですね。

 

ところが20世紀になると「根本主義」っていう言葉が非常に悪い意味で使われるようになるんですね。日本語では、根本主義のことを「原理主義」って訳したりするんですね。原理主義っていう言葉を聞くとちょっとニュアンスが変わってきますね。イスラム原理主義っていう言葉がありますけれども、原理主義って聞くとですね、なんとなく私たちは、何か非常に狭い考え方で凝り固まって、柔軟性がない人達って言うような、そういう印象を受けるんですけれども、この場合も、まさに、そういうイメージですね。根本主義の人たちもそのようなイメージで見られるようになっていくんですね。

(2)スコープス裁判(モンキー裁判)

それは、いろんなことがあるんですけども、 一つはスコープス裁判という有名な事件がありました。これが大きかったんじゃないかなと言われております。 進化論をめぐって考え方が対立したっていう事件だったんですけれども、モンキー裁判なんていう名前で呼ばれたりしてるそうです。1925年、根本主義の影響が強い、テネシー州デイトンの高校の、生物学の教師、 J ・スコープスが、授業で進化論を講義したため、反進化論法違反で、訴えられた裁判です。この事件は世に言う、モンキー裁判として新聞に報道され、全米から注目されました。テネシー州は、非常に保守的な州で、進化論なんかとんでもないっていう、そういう考え方の人がほとんどと言っていいほどの地域でした。その中の「デイトン」という小さな街だったそうですけれども、その街が全米中の注目の的になってしまったという事件です。マスコミも騒いだみたいですけども、その高校の教師だった、スコープスという人が授業で進化論を教えた後も、大変な問題になっちゃったということなんですね。
当時の民主党の大物政治家、大統領候補にもなるようなアプライアンスという政治家が、あの根本主義を応援するんですね。そういう風に政治が関わってくる。一方、スコープス の弁護人として不可知論者のダロウという人が、聖書の逐語霊感的解釈を鋭く批判し、スコープスを弁護したのです。つまり、聖書は神の霊、すなわち聖霊によって書かれたという考え方を、否定する立場の人がストークスの方を弁護したので当然対立します。そしてこの裁判が、メディア関係者がたくさん集まって、直接対決の日には、まちの人口の2倍にあた3000人を超える聴衆が押し寄せたということです。結果的には根本主義陣営が勝つんですね。ところが、そのことによって、むしろアメリカ全土に反発が広がってしまって、根本主義は科学的無知、不寛容というイメージを鮮明に強く印象付けられ、その影響もあって、根本主義の人たちが、その後少しずつ力を失っていったそうです。 でも当時、進化論反対と主張した人たちの気持ちもわからないではないんですけど、色々やり方の問題とか、ちょっと過激な面もあったのかなと思うんです。自分の立場を主張するためにちょっと極端になりすぎちゃったっていう面もあったのかなと思うんです。それがアメリカの人達に、あんまり良い印象を与えなかったということだったようです。それでしばらく根本主義の力がちょっと弱まったと言いますか、力を失ったというような時代がありました。

 

(3)新福音主義の台頭

その後、新福音主義という、福音主義の中でまた新しい運動が起こってきます。1930年から40年代にはいり、聖書信仰の根幹を維持しながら、より穏健で柔軟な福音主義、または新福音主義と呼ばれる運動が復興したのです。 1930年代から40年代にかけて、チャールズフラーによるラジオ番組、「リバイバルアワー」が、素朴なメッセージを広く全米に届けました。フラーという当時の教会のリーダーが、ラジオ番組で皆に呼びかけて、素朴な福音を語りかけた。それが非常に用いられたということです。1942年にはアメリカ福音主義同盟、というグループが設立されました。1947年にフラー神学校が設立されるなど、福音的な立場に立つ神学校がさらに設立されました。この時代に非常に用いられたのが、ビリー・グラハムですね。彼の伝道のクルセードの展開があり、戦後のリバイバルと、福音主義陣営の復興に結びついたのです。時代の挑戦を受けて、少し力を失って、ちょっと元気をなくしていた教会だったんですけれども、新しい人たちたとえばビリー・グラハムなどが現れて、各地で伝統集会を開き、素朴な、福音そのものに生かされる人たちが、各地に起こされて、また教会は息を吹き返してきたのです。 この時代にアメリカじゅうに、リバイバルが起きて、教会がたくさんできて行くんですけど、その時代の影響を受けてたくさんの宣教師達が日本にやってきたということになるかなと思います。 ですから、20世紀の初頭にかけてのリバイバルを経験して、たくさんのアメリカ人の宣教師達が来てくださって、日本に福音を届けてくださったということになると思います。
最近はどうなのかということを、ちょっと最後に一つ付け加えて終わりにしたいと思いますが、あの政治と、一定の距離を保っていたように見える福音派の教会が、近年、中絶や、同性愛反対などの主張を掲げて、政治運動に参与する動きが見られます。大統領選挙などでも、存在感をもって、アメリカの政治にとって無視できない存在になっているようです。いろんな経緯があって、少し政治から距離を置いていたような福音派の人達ですけれども、やっぱりアメリカのモラルがどんどん荒廃してきていると思われる現状がある。かっては、アメリカではピューリタン的な伝統がありますので、そういう価値観に基づいてアメリカという国が形成されてきたと思うんですけれども、最近はもう何でもありっていいますか、中絶も OK、同性愛もOK って言ますか、何でも自由っていうようなことが、どんどんどんどん進んでしまって、あちこちにいろんな問題が起こるようになってくる中で、福音派の教会が危機感を覚えて、そういうものに反対したり、声をあげたりする動きも見られるようです。アメリカの政治家たちや、大統領の候補になる人たちも、やっぱり福音派は無視できない存在になってきていると言えるでしょう。一般的に福音派のクリスチャンの人たちは共和党を支持していると言われますね。
いま、こういう学びを通して考えなければならないことが、いくつかあると思うんですけれども、私たちが当たり前のように受け止めている信仰、そして私たちももちろん聖書を神の言葉として信じるからこそ、私たちはそこから、力をいただいて、希望をいただいて、本当に喜んで生きることができるんですけれども、でもこの福音が歴史の中で、本当に危機的な状況にさらされてきたということなんです。でもそのなかにあって、この福音を守るために必死に戦った人達が各時代にいたということになります。そしてそういう努力、戦いの中での福音がそのまま福音として守られて、私達の元に届けられたのです。そして届けてくださる先生方もいた。そしてそれがそのまま、福音として私たちに届けられた。でもそこに至るまで本当に色々な戦いがあったということですね。是非覚えたいなということ、そしてその戦いはまだ終わってないんですね 。今も実は、いろんな考え方があるんですね。福音としてではなくて、人間的な解釈を非常に重んじるような立場であるとか、考え方っていうのがあるんですね。そういう中で、やっぱり私たちは、福音を守って、それを次の世代の人達にも、ちゃんと届けてゆく努力をしていかなければならないし、私たちに与えられている使命として覚えておきたいなという風に思います。2年前に出た本なんですけれども、「聖書信仰とその諸問題」っていう、すごく難しい本があります。理解するのはなかなか難しいかなと思うんですけれども、今も生きている自由神学の価値観に基づいて解釈しょうとする人達が沢山いる、そういう影響が日本にも入って来ている、そういう中にあって福音をしっかり守っていかなければならないという研究をまとめたのがこの本なんです。私達自信が、本当にみ言葉そのものから生かされて行くように、正しい理解に基づいて信仰を育んでいけるよう祈っていきたいとおもいます。

祈り

聖書が神の言葉であることを覚えて感謝いたします。この聖書を通して私たちは神様の御心を知り、あなた自身を知ることができます。このみ言葉に私たちが勝手な解釈を施して、自分の理性や知恵によって、聖書を読んでしまうことがないように、ここに示されている真理を、私たちの信仰を以て受けとめ、あなたとの交わりを深めていくとできますように、信仰を育んでいくことができますように、この世界がみことばを中心としてこれからも成長していくことができるように、励まし、助けてくださいますようにお願い致します。ここに至るまでに多くの戦いがあったことを知りました。そこに多くの方々が信仰を持って取り組んでくださったこと覚えて感謝いたします。私たちも同じように引き継ぐことができるように導いててください。学びを感謝し、イエス・キリストのみ名によってお祈りをいたします
2018年1月19日「教会史の学び」14回目 若井和生牧師の講義より
(飯能キリスト聖園教会)

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