イエス・キリストをより良く知るために

 ハガルの祈り(1)

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ここに掲載している記事は毎週の礼拝で受ける恵メッセージの中でも特に教えられ感銘を受けたものをとりあげています。自分の霊の糧として、あるいは友人と分かち合いたいという願いから、また是非心に留めておきたいという想いから、BLOGという体裁を取らせていただきました。

創世記16章1~16節     礼拝説教要約=若井千鶴子師

アブラムの妻サライは、アブラムに子を産んでいなかった。彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルといった。サライはアブラムに言った。「ご覧ください。主は私が子を産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。おそらく、彼女によって、私は子を得られるでしょう。」アブラムはサライの言うことを聞き入れた。アブラムの妻サライは、アブラムがカナンの地に住んでから十年後に、彼女の女奴隷であるエジプト人ハガルを連れて来て、夫アブラムに妻として与えた。彼はハガルのところに入り、彼女は身ごもった。彼女は、自分が身ごもったのを知って、自分の女主人を軽く見るようになった。
サライはアブラムに言った。「私に対するこの横暴なふるまいは、あなたの上に降りかかればよいのです。この私が自分の女奴隷をあなたの懐に与えたのに、彼女は自分が身ごもったのを知って、私を軽く見るようになりました。主が、私とあなたの間をおさばきになりますように。」アブラムはサライに言った。「見なさい。あなたの女奴隷は、あなたの手の中にある。あなたの好きなようにしなさい。」それで、サライが彼女を苦しめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った。
 主の使いは、荒野にある泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけた。そして言った。「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。」すると彼女は言った。「私の女主人サライのもとから逃げているのです。」主の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」 また、主の使いは彼女に言った。「わたしはあなたの子孫を増し加える。それは、数えきれないほど多くなる。」さらに、主の使いは彼女に言った。
  「見よ。あなたは身ごもって  男の子を産もうとしている。  その子をイシュマエルと名づけなさい。
  主が、あなたの苦しみを聞き入れられたから。  彼は、野生のろばのような人となり、
  その手は、すべての人に逆らい、  すべての人の手も、彼に逆らう。  彼は、すべての兄弟に敵対して住む。」
そこで、彼女は自分に語りかけた主の名を「あなたはエル・ロイ」と呼んだ。彼女は、「私を見てくださる方のうしろ姿を見て、なおも私がここにいるとは」と言ったのである。それゆえ、その井戸はベエル・ラハイ・ロイと呼ばれた。それは、カデシュとベレデの間にある。 ハガルはアブラムに男の子を産んだ。アブラムは、ハガルが産んだその男の子をイシュマエルと名づけた。ハガルがアブラムにイシュマエルを産んだとき、アブラムは八十六歳であった。                                          聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

【1】  ハガルとサライの争い

ハガルはアブラムの妻サライに仕えているエジプトから連れて来られた女奴隷でした。異国の地で、主人の言われるままに仕える存在だったわけですが、そのハガルが一躍、脚光を浴びる時がやって来ます。

アブラムには子孫が与えられるという約束が神様から与えられていたのですが、サライにはまだ子どもがありませんでした。2節の「主は私が子を産めないようにしておられます」とのサライのことばには、サライの複雑な気持ちが表れています。そのためにサライは女奴隷であるハガルを通して子どもを得ようと考えました。

サライがハガルをアブラムに与えたので、ハガルはアブラムの子どもを身ごもることになりました。それはハガルにとっては本当に大きな出来事でした。すると、ハガルは自分の主人であったサライを軽く見るようになってしまったのです。

女奴隷から見下されて怒りを爆発させたのはサライです。サライは5節でアブラムに向かって「私に対するこの横暴なふるまいは、あなたの上に降りかかればよいのです」と語りました。「横暴」と訳されていることばは、聖書の他の箇所では「暴虐」と訳されている非常に激しいことばです。ハガルの態度が「サライの女奴隷」という立場をはるかに超えていたことがわかります。

そのようなサライの怒りを受けて、アブラムはサライに「あなたの女奴隷はあなたの手の中にある。あなたの好きなようにしなさい」と語り、ハガルをサライの手に委ねました。その後、サライがハガルを苦しめたので、ハガルはサライの元から逃げ去ることになりました。それはハガルにとっては耐えられない程の苦しみだったと思います。

 

【2】  神のハガルに対する愛

そんなハガルを神様は見捨てませんでした。主の使いが現れ、泉のほとりにいた彼女を見つけてこう語りました。

「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか(8)」

まず神様はハガルを「女奴隷ハガル」と呼ぶことで、「あなたはサライの女奴隷なのだよ」と話しかけていることがわかります。自らの立場をわきまえなさい、というメッセージです。

その上で「あなたはどこから来て、どこへ行くのか」と問うのです。もちろん、神様はハガルの状況をよくご存知でした。エジプトから連れて来られ、サライの元でひどい仕打ちを受け、ここまで逃げて来たこともよくわかっておられました。しかし、その上で敢えてこのような問いかけをしたのは、ハガルに自らの罪に気づいてほしかったからです。

ハガルは「女主人サライのもとから逃げているのです」と神様に答えましたが、どこへ行くのかに関しては何も語っていません。何も答えられないのです。どこにも行く当てがないからです。ここにハガルの深い苦しみを見ることができます。

 

【3】  苦しみを聞いて下さる方

そんなハガルに神様は三つのことを告げました。第一に女主人の元に帰り、彼女のもとで身を低くして仕えること。第二に、神様はハガルの子孫を増し加えられるということ、第三に、生まれる子どもに「イシュマエル」という名前をつけなさいということ。イシュマエルとは「神は聞かれる」という意味です。

神様はハガルの苦しみを聞き入れられました。それは、女主人の元へ帰れと言われたハガルにとって、どんなに大きな慰めだったことでしょう。神様は私たちの苦しみをすべてご存知で、その苦しみに耳を傾けて下さる方です。

ハガルはそんな主を「エル・ロイ」と呼びました。「私を見て下さる神」という意味のことばです。ハガルは自らの立場を忘れて、自分の女主人を軽く見てしまうという罪をおかしました。それゆえにサライから苦しめられて、逃げ出してしまうという結果になりました。その苦しみはすべて自らの罪のゆえです。

ところが、そんな罪深い自分を神様は見捨てずに見守って下さるというのです。この「エル・ロイ」という告白には、ハガルの神様のあわれみに対する深い感動と感謝が込められています。

私たちも主のみこころからそれ、失敗を繰り返すことがあるかもしれません。自分の犯した罪の結果ゆえに苦しんだり、後悔したりしていることがあるかもしれません。ハガルのように行く当てがなく、行き詰って、今の人生の中でさまよっているかもしれません。

しかし神様はそんな私たちにも問いかけておられるのではないでしょうか。「あなたはどこから来て、どこに行くのか」と尋ねて、私たちの罪に気づかせ、正しい道に導いて下さるのではないでしょうか。その上で私たちの苦しみを聞き入れ、なおも私たちのことを見守って下さるのではないでしょうか。

私たちも日々、私たちに語りかけておられる神様のみことばを聞き、悔い改め、そこから力を得て、置かれた場所でへりくだって主に仕えてまいりましょう。

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