イエス・キリストをより良く知るために

新約聖書概論

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

1.新約聖書27巻を理解する

新約聖書は全部で27の書物で、最初の四つが福音書です。「マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ」が福音書、そしてそのあとに、「使徒の働き」があって、その後はずっと書簡になります。最初の方に「パウロ書簡」、パウロによって記された書簡が出てまいります。星印がついてるのは、「獄中書簡」と呼ばれるもので、パウロが牢獄の中で記した手紙であるという風に言われております。 そしてテモテとテトスは、これも囚われの身の中で書いたという風に言われていますけれども、ただ一般的には「牧会書簡」という風に言われていまして、パウロが教会のリーダーであったテモテやテトスに教会の牧会上の指導を与えている、励ましているという、手紙ですね。

そしてへブル書、ヤコブ、ペテロ、ユダだというのは、宛先がちょっと分かんないと言うか具体的に誰に宛てたものかっていうのがはっきりしないということで、おそらく、いろんな方々想定してたと思われるもので、「公同書簡」という風に吹呼ばれております。

そして最後にヨハネの黙示録ということで全部で27ということですね。この辺のところまではなんとなく皆さんわかるかなと思いますで次に二番目に行きたいと思います。

2.旧約聖書との繋がりを理解する

新約聖書は旧約聖書と切り離して考えることはできないということですね。ですから繋がりがあるので、つながりを意識しながら読むということが大事になってくると思います。
それで新約聖書読んでいる、とよくいろんな旧約聖書の言葉が引用されてますね。そういう箇所がたくさんあります。何箇所ぐらいあるか?250有るそうですね。ですからずいぶんたくさんあるんだなと思います。
その多くは旧約聖書の預言の言葉が成就したということですね。それが新約聖書のあらゆるところにですね、ちりばめられてると言うか、まさに旧約の預言の成就なんだということです。イエス様の語られた言葉としては、ルカの福音書4章21節がひとつあります。「あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書の言葉が実現しました。」これはイエス様が会堂で、イザヤ書の御言葉を読んだ後に言った言葉ですね。イザヤ書の御言葉を読んで、「今日この御言葉が実現しました」って言ってですね、このメシアの到来によって、貧しい者が慰められ、病のものが癒されたり、そういうみ言葉が語られる中で、「今日実現した」と、まさにイエス様がそのメシヤであるということが、そこに含まれてるわけですけれども、そういう形でイエス様ご自身も引用されてますし、パウロもたくさん引用していることなど、いろいろ気付くと思います。直接引用は250なんですけれども、その他引用だけではなくて、参照した文章とか、あるいは旧約聖書の思想家表現を表している、そういうところまで含めると1600箇所以上あると、ある聖書学者は指摘しておりますね。ですから本当に私たちの気づかないこともたくさんあるんだと思いますけれども、もうほとんど旧約聖書のメッセージが新約聖書の中にたくさん含まれている、出てくる、ということであります。

それでいろんな方々が旧約と新約の関係についていろんなことを言っておりますけれども、例えばテルトゥリアヌスというのは、これは古代教父の一人、初代教会のリーダーの一人ですけども、こういう風に言ってます。「旧約聖書の中に新約聖書が包蔵されており、新約聖書の中に旧約聖書が啓示されている。」と言っています。両方切り離すことができない、そういうつながりの中にあるということが分かると思います。
パーカーカイザーという聖書学者は、「旧約聖書は新約聖書がなければ、あたかも頭だけで、からだがないようなものであ」るということで、旧訳聖書と新約聖書の関係を頭と体の関係に例えて説明をしておりますね。
また西満先生は旧約聖書の先生でしたけども、召されましたけども、こういう風に言ってます。「旧約聖書は太い木の幹、新約聖書はこの木の幹に接木されたもう一本の幹であり、それから出ている枝や葉や花のようなものです」ということでですね、新約は旧約がないとですね、まあ生け花みたいなもんですね、すぐに枯れてしまうということで、やっぱり旧約聖書に繋がってるから、そこからたくさんの命、あるいはその栄養を吸収してですね、そしてそこに花を咲かせたり、実を実らせたりするという、そういうつながりですね。
ですから、新約聖書ばっかり読んでるとですね、おそらくモロイ面があるんだと思うんです。非常に分かりやすいかもしれませんけれども、ちょっと弱いというかね、試練に対してモロさが出てくる。やっぱり旧約聖書をよく学んでいるということがね、土台であると、それが新約聖書を生かすための土台であるということですね。ですから新約も大事、旧約も大事、両方大事であるということを是非覚えたいなという風に思います。

で、新約聖書のテーマは、まとめるとこんな感じになるかなと思います。

1.「旧約聖書に繰り返し語られてきた約束、契約は、イエスキリストにおいて実現しました。
前回旧約聖書を学んだ時に、契約が大事だよということを確認しました。いろんな契約がありました。ダビデの契約、モーセの契約、アブラハムの契約、そして最後、イエス様の新しい契約で成就するっていう、この「契約」というその言葉が、キーワードだよって話をしましたけども、イエス様によってその約束が見事に実現したと言う事が一つの大きなテーマということになります。

2.二つ目は「イエス・キリストによってもたらされた福音が、使徒たちを通して全世界に拡大していく」ということ、イエス様が始められたその福音の働きというのは、まあ今から見ると本当に小さな働けだったわけですけれども、それが拡大していく、広がっていくという、そのさまをですね、使徒の働き、あるいは手紙・書簡を通して私たちは知ることができますね。

3.そして最後、「神の国は教会によってもたらされ、キリストの再臨の時に完成する」と教会が今、神の国を広める、伝える働きを担ってるわけですけれども、それは完成するんだよ、それはイエスキリストの再臨の時に完成する、今その方向に向かってるということですね。この世界観・歴史観が新約聖書の中に表されていると、これ黙示録のテーマなってきますけれども、そういう全体のテーマがあるかなという風に思います。
このようなテーマを、意識しながら聖書を読んでいくとより理解できるかなと思います。ここまでが2番です。3番目に行きたいと思います。

3.新約聖書の時代背景を理解する

ちょっとここら辺から少しだけ専門的になるかなと思いますけども、旧約聖書もそうですし新約聖書もその当時の時代という物の背景の中で書かれてますね。
イエス様の働き、使徒の働き、もみんなその当時の時代の状況の中での働きということになります。ですから当時の時代がどんな時代だったのかということを理解すると、聖書をよく理解できるということになると思います。これも詳しく学ぼうと思うと思い時間がいくらあっても足りないんですけれども、今日はこの年表で簡単に見てみるに止めたいと思います。

旧約時代のことは前回行ったので省略しますけれども、あの左側に旧約時代と、年号が書いてあって、真ん中は歴史上おきたことですね、歴史の出来事、そして右側に聖書の人物の名前とか、その働きについてまとめております。

旧約と新約が繋がってるんですけれども、でも 歴史的に考えるとですね、旧約聖書が終わった後、つまりマラキ書の後に、新約聖書が始まるまで、約400年の空白の時間があります。この400年の間、予言者が一人も現れない、神様の言葉が聞こえてこないという、暗黒時代と言ってもいいかなと思うような、そういう400年の事を歴史的には「中間時代」という風に呼んでおります。で、この辺の中間時代、何もなかったわけじゃなくて、いろんなことあるんですけれども、この辺の歴史を学ぶと新約聖書のことがだいぶよくわかるかなと思いますね。

何であのパリサイ人っていう人たちがあんなにイエス様に対して腹を立てたのか?
いろいろ歴史的な経緯がありますね。サドカイ人とか 、エッセネ派 とかですね、あるいはいろんな人がいますね、熱心党員とか、みんな歴史的な背景があります。
その中間時代史を学ぶと、いろいろ、よくわかるかなと思うんですけども、そういう時代があります。
それではどんなことがあったかと言うと、まずペルシャ帝国の時代があり、その後ギリシャの時代がやってきます。アレキサンダー大王が活躍したギリシャの時代、その後でユダヤには独立王国という時代があるんですけどもね、でも最終的にはローマ帝国の時代がやってきまして、ユダヤもローマの属州になってしまいます。支配されちゃう。ローマ帝国の支配下に置かれる、それが紀元前41年、そしてその中でいろんな人が出てきますけれども、37年にヘロデが出てきますね。そして27年にはローマ皇帝アウグストの時代がやってきます。この皇帝アウグストというのは、ローマ帝国の歴史の中で、ローマの全盛時代を築いた、権力が最高潮に達した時代ですね。そういう時代にイエス様がお生まれになったという時代背景があります。
紀元前19年には、ヘロデがエルサレムに神殿を建設して、この神殿が物凄い立派な神殿で、それで、イエス様が、これが壊れたら3日で建て直すことができると発言したということで、大変問題になった神殿ですけれども、そういう神殿も完成していたということになります。
要するに、この時代は本当に不安定な時代ということですね。でローマ帝国が非常に力をつけて、勢力全盛の時代なんですけれども、このユダヤという地方だけ見るとですね、非常にいろんな政治運動や、反逆が頻発していてですね、非常に不安定な時代ですね、政治的に。
ですからローマ帝国は、このユダヤに王様を置いて、それを支配させるという、いわば二重にも三重にもユダヤは支配されているっていう、そういう政治状況がありました。そういう時代にイエス様がお生まれになったということになります。新約時代が始まっていくとですね、アケラオがイドマヤ・ユダヤ・サマリアを支配と書いてます。これはヘロデ大王の息子ですね。その後アンテパスっていうヘロデアンティパスが、ガリラヤとペレアを支配したっていうことが出てきます。これも、もうひとりの息子ですけど、これはみんなヘロデの息子たちですね。バプテスマのヨハネが処刑されたのは、このアンティパスの時に処刑されております。新改訳聖書の2017版を持っている方は、いちばん最後、後ろに地図があるんですね。ちょっと地図を見るとよくわかるかなと思いますが、2017版の聖書の方に地図が最後いっぱい載ってるんですけども地図11というのがあるんですね。それを開けたらいいかなと思います。 地図11のところにローマ帝国支配下のパレスチナ(紀元前37年から紀元後66年頃)って書いてますね。これはまさにイエス様が活躍した時代のユダヤ・イスラエルの状況について説明している地図です。

それでこれを見ると外側に赤い線で囲まれている領域がありますが、これはヘロデ大王が支配していた場所なんですね。それで色が分かれていまして、灰色はアンティパスって書いてますね。そしてちょっと茶色っぽいって言うんでしょか、黄色っぽいところにピリポって書いてます。そして緑色はアルケラオと書いてますけども、まアキラオと同じなんですけども、要するにヘロデ大王の息子たちが、お父さんの治めていた領地を分割して統治したっていうことがあるんですね。そういう政治状況があるんですね、イエス様が活躍した時代ですね。それではイエス様が生まれた後に、あのヘロデ大王が、イエス様の命を狙ってるって言うことで、エジプトに逃げてきますね。ヨセフとマリアと三人で。その後戻ってくるんですけれども、そこのユダヤをアケラオが支配しているので、それでガリラヤの方に移ってたって言うことがマタイの福音書2章22節に出てくるんですね。アケラオが統治してたんです。アケラオと言うのはヘロデ大王の息子になるんですけど、非常にに残酷な王様ですけれども、それで、それを恐れてガリラヤのナザレに行ったっていう展開になってるんですね。

ですからそういう政治状況もイエス様の人生に大きく関係しているということが分かるかなと思います。

またヘロデアンティパスがバプテスマのヨハネを捉えて殺してしまう。奥さんにそそのかされてと言うか、自分は少し関心はあったはずなのにですね、へんな約束をしてしまってバプテスマのヨハネを殺してしまうという事件が起こりますけれどもね、ちょうどそれがイエス様が宣教を開始される時期と重なる理由ですね。それでまあ、そういう時代背景、不安定な世の中、そして支配者があまり民を顧みない、そういう支配者ヘロデの家族が治めている世の中、その時に民がいかに絶望していたか、いかに救いが必要とされていたかということで、そういう状況の中にイエス様がいらっしゃったということが、よく分かってくるということが言えるかなと思います。
イエス様は30歳ぐらいまで働いてね、それで十字架にかかって亡くなられますが、その後ペンテコステ教会が誕生して、パウロも活躍していくということになりますけども、ここからは使徒の働きの内容になってますけれども、その頃もやっぱりアグリッパ一世とかですね、アグリッパ2世とか、そういう人たちがユダヤを治めておりました。このアグリッパ一世というのはヘロデの孫になるんですね。アグリッパ2世というのはさらにそのひ孫になるんですね。
要するにヘロデ一族の世の中なんです。このアグリッパ一世という人が、使徒ヤコブをとらえて、殺してしまうというのが使徒の働きに出てきます。それでヘロデ・アグリッパは喜んじゃって、今度はペテロも捕まえたいっていうんですね。そういう話も出てきます。
またその次のアグリッパ2世も、使徒の働けに出てきますけれどもね、あのパウロが伝道して、それで「あなたはわずかな言葉で、私をキリスト者にしようとしている」などと言って、ちょっと会話してる場面がありますけれども、権力者の前にパウロが立たされて、そして、そこで信仰の弁明をしたということが使徒の働きに出てきます。そういう時代の中でイエス様も 働かれたし、ペテロ・パウロたちも使徒たちも活躍したということですね。

でも、だんだんローマ帝国の方も変わっていきますね。54年に皇帝ネロという皇帝が立てられている。ちょうどこれはパウロが第三次伝道旅行をしている頃ですね。ネロという皇帝が立ちます。このネロが、クリスチャンを迫害した皇帝になりますね。このネロの時代に迫害が起こって、ペテロ・パウロは捉えられて殉教したという風に言われております。これは聖書の中に出てくることではないんですけれども、あの時代に捕らえられたということになりますね。それでエルサレムは色々不安定でしたけど、最後には70年にエルサレムは陥落し、せっかく建った神殿も破壊されてしまうという、非常に悲惨的な状況になるんですけれども、その後81年に皇帝ドミチアヌスという皇帝が出て、この皇帝もキリスト教徒を徹底的に迫害した皇帝であるということですから、クリスチャンにとっては非常に厳しい時代がどんどんどんどん深まっていくっていうそういう展開です。  そのような中で、弟子たちの活躍があったということが分かるかなという風に思います。イエス様の使徒中で一番長生きしたのはヨハネでした。他の弟子たちは殉教する人が多かったんですけども、長生きしたのはヨハネですよね。なぜ長生きしたのか?彼にはもう一つ最後の使命があったんですね。ヨハネの黙示録を書くという最後の使命が残されていたということでしょうか。そして、その最後にパトモス島というところに流されて、あそこで幻を見て書いたのが、ヨハネの黙示録ということです。これはちょうど皇帝ドミチアヌスの迫害の厳しい状況の中にあって記された書物であるということです。黙示録を読むときに、そのことも覚えながら読むと、深く味わうことができるんじゃないかなという風に思います。以上時代背景ですね。新約聖書が書かれた時代がどんな時代だったのかっていうことを少しだけ話をしました。それでは次は4番目のポイントに行きたいと思います。

4.イエスキリストの生涯の全体像を理解する

4番目のポイントは、イエスキリストの生涯の全体像を理解する。これはこれは福音書、四つの福音書があります。マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ、皆さんそれぞれ好きな福音書があるかもしれませんね。それぞれの視点でイエス様の生涯について、また伝道活動について、記してくれてますので、総合的に学ぶことができる。感謝だなと思いますけれども、イエス様の生涯はそれ記してますけれど、まとめて見るとですね、あのいくつかの段階があるんだなーっていうことが見えてきます。
それで誕生から始まって八つぐらいの段階に分けて考えることができるかなと思います。

①準備

最初は準備の段階ということで、イエス様がベツレヘムの馬小屋で誕生されるクリスマスの場面、そしてその後エジプトに逃げてきますね。夢でお告げを受けてですね、ヘロデ大王が狙っているということで、安全な場所を求めてエジプトまで逃げて行った。その後戻ってくるんです。戻ってきた時に、あのガリラヤのナザレに戻ってきて、それでナザレの人となった。ナザレの子、イエスと呼ばれるようになります。さっきの地図まだ開いてるでしょうかね。あのナザレて言うのは、この地図で見ると、ガリラヤ湖の近くですね。ガリラヤ湖の左側のガリラヤ地方の小さな町ですけども、そこで育った。少年時代を過ごされた。そしてお父さんのヨセフのもと大工の息子として育ていった。少年時代は何をされてたかっていうことはあんまり聖書に出てきません。ひとつだけ宮参りに行った時に、お父さんお母さんからはぐれて、お父さんお母さんがもう大変にあせって、エルサレムに戻ってきたと言うエピソードがルカの福音書の中に出てきますけれども、それ以外はほとんど知られてないということになります。それが準備段階ですね。

②宣教開始

二番目の段階として宣教が開始される。いよいよイエス家様30歳ぐらいなられまして、公生涯と呼ばれます。公の生涯がここから始まっていくのが第二段階です。バプテスマのヨハネからバプテスマを受けられました。そしてその後、荒野に行きまして四十日四十夜の試みに会いましたね。サタンの試みに会いました。そしてその後、公生涯が始まっていきます。その後いろんな奇跡が始まっていきますけど、最初の奇跡は何だったでしょうか?それはカナの結婚式で水がぶどう種に変わるというそういう奇跡でしたけどもね、そういうところからイエス様の伝道活動、公生涯が始まっていったということが聖書を読むとわかるわかります。その後、本格的に伝道活動が始まっていくんですけれども、この伝道活動を丁寧に見るとですね、四つぐらいのステップがあるんだなということがわかるんですね。

前期ユダヤ伝道、前期ガリラヤ伝道、後期ガリラヤ伝道、後期ユダヤ伝道という形で、四つに大きくまとめることができると思います。細かく丁寧に見るといろんな動きをしてますね。ですから、これですっぽり収まるわけではないんですけれど、大きく見るとこういう見方ができるかなという風に思います。それで、いろんな出来事がありましたから全部書くことはできませんけれども、代表的な出来事だけここに書いてます。

③前期ユダヤ伝道

まずはイエス様は最初にユダヤにゆきました。ユダヤっていうのは、エルサレムを中心とした南の方ですけどもね、そちらに移ってきて、そして過ぎ越しの祭りがありました。過ぎ越しの祭りの時には、みんなエルサレムに集まってくるというユダヤ人の習慣があります。その習慣に基づいて、イエス様もあのエルサレムにやってきて、そしてそこで宮参りをしたって言うかね、その時に宮清めをしたというトピックが出てまいります。ここで起こったことの代表的なこととしては、ニコデモが訪ねてきて、ニコデモと対話をした。「誰でも新しく生まれなければ神の国は見ることはできません」っていうニコデモとの対話があります。その後サマリアを通って行くんですけれども、その時にサマリアの女と出会ってね、井戸のほとりで、「誰でも渇いているなら私のもとに来て飲みなさい」っていう水をテーマにしたお話しですね、そういう出会いがあったということがありますね。これが前半部分、前期ユダヤ伝道に中に含まれる内容だと思います。

④前期ガリラヤ伝道

そしてガリラヤに戻ってきました。このガリラヤでの伝道は、イエス様の一番中心となる伝道活動です。イエス様の伝道というのは、基本的にガリラヤ地方での伝道だったということが言えると思います。ガリラヤ湖を中心とした地域です。ここで12弟子を選ばれました。ペテロやアンデレやヨハネやヤコブに声をかけてね、漁師たちを弟子として、病を癒されたり、またその他の人たちを見し出されて、12人を召し出して、そしてそこで訓練をしました。それだけじゃなくて、たくさんの人たちがイエス様の所に行ってくるんですね。あっちからも、こっちからも、絶望した人たちが、本当に救い を求めて助けを求めて、イエス様の所にやってくるんです。随分遠いところから来ているなーっていう感じがするんですけれども、あのさっきの歴史的な背景を理解すると、当時のガリラヤ地方は本当に不安定な地域で、そして民を顧みてくれる指導者も誰もいないということで、本当に困った人は、本当に困っていたっていいますか、どこにも自分の問題を解決してくれる人がいないという深い悩みの中に置かれていた、そういう人たちが皆イエス様のところにやってくるという状況でした。イエス様は大忙し。朝から晩まで大忙し。病気を癒したり、悪霊を追い出したり、そしてあの福音の御言葉を宣べ伝えたり、ガリラヤ湖のほとりでですね、船に乗ってですね、みんな押し寄せてきちゃうから、船に乗って、自分に近づいてこないように、いろいろ配慮しながらね、教えたって言うそういう場面も出てきますけれども、それくらい人々にとってイエス様は大きな存在になっていったと言う事がわかります。
で、またいろんな評判が広まっていくということで律法学者、パリサイ派の人たちがだんだんですね何事かということで、イエス様のところに迫ってきてですね、そして論争を吹っかけるというか、そういうようなことが起こりました。で、いろんな病気を癒したり奇跡を行ったり、いろんなことがあるわけですけれども、この5000人のパンの給食がね、この前期ガリラヤ伝道の最後の出来事として考えることができるかなと思います。この5000人のパンの給食は、四つの福音書が全部記しているイエス様の奇跡、唯一の奇跡ですね。イエス様は、たくさんの奇跡を行いましたけど、四つの福音書が全部記しているのは、この奇跡だけですね。ですからこれは非常に大事な奇跡だったんですね。イエス様がご自身を明らかにされるという大事な奇跡だったんですけれども、でもこれが一つのピークだったという風に言えるかなと思います。人々がたくさん集まってくるピークで、この後ですね、人々が少しずつ離れていきますね。自分たちの思い描いていたイエス様のイメージと、救い主のイメージと、実際にイエス様の姿が少しづつ、ちょっとかけ離れていくっていうか、期待外れになっていくっていうか、それでだんだん人が離れていくんですね。この後ですけども。

⑤後期ガリラヤ伝道

5番目に後期ガリラヤ伝道ということですけども、まあこの時にもガリラヤ地方が中心なんですけれども、あのツロ;シドンという北方の海の方ですね、そちらの方に異邦人伝道をしたという記事も出てきますね。フェニキアの女がですね、まず自分の犬にパンをあげなければいけないと言ったら、テーブルから落ちたパンくずもいただきますと言ってですね、必死に食いついてきた女性の話はこの時のことですけども、異邦人の伝道にイエス様が携わったということがわかりますね。
そしてその後、ペテロの信仰告白の場面ですね、「私のことを何て言ってるか」と問いかけ、そして「あなたは私のことをなんて呼ぶか」と、信仰告白を求めた、そういう場面が出てきます。この頃に、自分は十字架にかかり、そして復活するよということを少しずつ弟子達に告げはじめるんですね。3回ぐらいはそういう話をしてるということがわかります。そんな中にあって山に登って、ペテロとヨハネとヤコブの三人を連れて山に登って、その山の上で姿が変わるという山上の変貌の出来事も、ここにあるって事ですね。で、この辺の記事を読むとですね、イエス様はいよいよ十字架に向かっていくんだなって、その準備が始まってるんだなーっていうことが分かる内容になっております。

⑥後期ユダヤ伝道

そしていよいよガリラヤを後にして、6番目の後期ユダヤ伝道ということで、ユダヤの方に移ってきて、そこでこう伝道される。代表的な出来事としては、姦淫の女を許したという、そういう出来事がありましたし、この時期にペレヤ伝道がありました。ペレヤというのはこのヨルダン川の東側の地域をペレヤと言うんですけれども、こちらの方に出て行って伝道したということが、ちょこっと聖書の中に出てきます。ラザロが死んで、マリヤとマルタが途方に暮れてね、そしてイエス様を呼びに行くという場面があるんです。イエス様は到着が遅れるんですね。なんで早く来て下さらなかったんですか?みたいなそういう会話があるんですけれども、何で遅れたのか、その理由はですね、イエス様この時ペレヤにいたんですね。ちょっと遠いところにいらっしゃったんですね。ですから来るのに時間がかかったということもあったと思いますけれども、そういういきさつがあります。そしてラザロの復活があって、そしてその後マリアが、ナルドの香油壺を割ってイエス様に塗ってくださって、ユダが憤慨して、こんな高価な油をもったいないって言ったら、イエス様は、私のために埋葬の準備をしくれたんだっていう風に言ったっていう記事がありますがそれが後期ユダヤ伝道の代表的な出来事かなと思います。

⑦受難週

そして受難週がいよいよ始まる最後の一週間、勝利の入場、宮清め、ユダの裏切り、最後の晩餐、ゲッセマネの祈り、そして捕らえられて、十字架、埋葬というところまで、全部一週間の出来事ですね。

⑧復活

そして最後、復活。復活された後で弟子たちの前に現れて、最後、大宣教命令ですね。あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさいって言って、私はいつまでも、世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいますと言って、それは最後の言葉としての弟子たちを送り出したという、そういう展開になっているということが分かると思います。

これを見るとねイエス様の生涯を全体的に見渡す時に、気付かされることがいくつかあると思います。やっぱりイエス様は、神様のご計画の中で、一歩一歩歩んでおられるということがわかりますね。それでやっぱり、前半は弟子たちを集めて、弟子たちを訓練して、そして人々に福音を伝えるという行動は、ガリラヤ地方が中心でしたね。でもある時期から、やっぱイエス様は、エルサレムに向き始めますね。そして自分の死というものを意識し始める。で、その時が必ずやってくるということで、弟子たちに伝えますね。そしてその時のためにちゃんと弟子たちを訓練して育ててますね。そういう風にしてやっぱりイエス様の伝道も行き当たりばったりの伝道ではなくてですね、やっぱりちゃんと考えていらっしゃったと言うか、そういうふうに神様に導かれたんだと思うんですけれども、神様のご計画の中で一歩一歩歩んでそして十字架まで行って、そして復活する、全部それは神様のご計画だったということが全体像を通して見えてくるんじゃないかなという風に思いますね。
私たちの教会の働きもそうだと思いますし、私達の人生もそうだと思うんですけれども、やっぱりいろんなステップがあるんだと思いますね。ひとつひとつの段階があって、そのその時、その時に、やるべき事っていうのがあってね、それが繋がっていって神様の働きが前進していくじゃないかなという風に思いますよね。
そういうことも教えられるかなという風に思います。

5.使徒の働きを理解する

使徒の働きというのはどういう書物かと言いますと、イエス様によってもたらされた福音が、イエス様によって始まった神の国の働きが、その後どのようにして弟子達、使徒達によって展開し、世界中に広められて行ったかと言うイエス様の働きの、その後の経緯について示しているのが使徒の働きということになりますね。

そして私たちも今それに続いてるっていうかね、その中に含まれているということも、合わせて覚えたいなという風に思います。この使徒の働きも、八つぐらいの段階に分けて考えることができるかなと思うんですけれども、福音が広がっていくこの広がりというものを意識しながら読んでいくといいかなという風に思います。

①教会の誕生(1;1〜5;24)

第一段階として教会が誕生する、ここから始まります。イエス様が昇天されるその場面から始まりますけれども、その後に弟子が一人いませんでしたので、もう一人のマッテヤという弟子を選んで一人加えて、12人になりまして、その後ペンテコステがありまして、聖霊降臨があって教会が誕生するというのが2章です。その後3章になると、美しの門という門の前に、足の歩けない男の人がいてですね、その男の人に向かってペテロがですね、金銀は私にはない、しかし私にあるものをあげよう。ナザレのイエスキリスト名によってて歩きなさいって言ったら、歩いちゃったっていう奇跡がなされるという場面があります。で、これが素晴らしい神様の御技だったんですけれども、これが大変な問題になるんですね。で、その後の経過については3章.4章に書いてありますけども、ここからもうすでに迫害が始まっているっていう事も気づかされることかなという風に思います。4章に入ると教会の姿ですね。自分のものをみんな持ってきてですね、皆で共有していたという、そうゆう教会の姿。でもそこで隠してですね、サッピラという人がですね、神様の怒りにふれて死んでしまったなんて言う事件も出てきますけれども、そういうことがありました。そして宣教が少しずつ広がってゆきますけれども、基本的にここではユダヤ地方、エルサレムが最初、そしてユダヤ地方に限定された働き、その中でいろんな迫害も起こってくるということが書いてあります。教会は誕生した時から、そういう戦いにさらされていたということが言えると思います。

②迫害による宣教拡大(6:1〜9:31)

第二段階は迫害による宣教を拡大ということで、迫害がさらに厳しくなってきますけれども、ステパノの話が出てきます。ステパノが殉教しますよね。福音を伝えてメッセージやイエス様の話をしたら、ユダヤ人達のはらわたが煮えくりかえってですね、もうもう耳を塞ぎながらですね、石を投げてステパノのが殉教したという記事が出てきますね。6章に出てきます。それで迫害が起こってユダヤ人たちが散らされちゃうんですね。でも散らされたことがですね、結果的には福音がいろんな地域に広がっていくきっかけになったんですね。弟子たちは、迫害されることを喜びながらですね、福音を宣べ伝えたっていうことがありますけれども、それでピリポがサマリヤ地方に行きまして、サマリヤで伝道がなされるという展開になります。
そうこうしているうちにパウロが改心するということで、次の準備が進んでるということが分かると思います。

③ペテロの宣教(9:32〜12:25)

それで3番目のトピックとしてはペテロが活躍するという話が出てきます。後半は全部パウロです。なんですけども、あのパウロの活躍の前にペテロが活躍してるというところがあります。9章から12章にかけてペテロが中心になりますけれども、パレスチナでのペテロの宣教の様子、そして大きなことは異邦人コルネリオが改心したということです。
ここに至るまでは、まだですね、キリスト教の福音はユダヤ人の中に限定されてるんですね。異邦人にも伝わって例はあるんですけれども、基本的にユダヤ人の中でのひとつの宗教運動に過ぎなかったものが、この異邦人のコルネリオが回心したことによって、いよいよ異邦人世界に広がっていくきっかけになったと言うね、これ一つの大きなトピックだったという風に思います。
それであの異邦人も救われたということで、教会の中にもちょっと戸惑いがあったりしてですね、それでいいのかっていう疑問もあったわけですけれども、ペテロが証言をして、みんなそれで納得して、神様を賛美したって記事が出てきます。そしてそうこうしてるうちにアンテオケに教会ができるようになります。これは異邦人が中心になる教会ですけれども、このアンテオケ教会が世界宣教の中心の教会で、パウロを送り出すなど大事な働きをする教会として成長していきます。教会が本当に祝福されて、異邦人にも広がっていきますね。教会ができていく、素晴らしい神様の御技が広がっていくんですけど、やっぱり迫害が起こります。ヘロデアグリッパが使徒ヤコブを捕らえて殺してしまうという殉教事件が起きます。迫害にも、いくつかのステップがありまして、最初はユダヤ人からの民族的な、そういう憎しみから起こる迫害ですね。でもこの段階に来ると、権力者が捕らえて殺すという政治的な迫害に変わってきます。それはやっぱり福音の働きがどんどんどんどん広がっていくことによって、権力者も黙って見てられないって言うような、そういう段階になってきたということになるかなという風に思います。ペテロはその後もずっと働きが続いてるわけですけれども、使徒の働きの後半は全部パウロになります。

④パウロの第一次伝道旅行(13:1~14:28)

パウロが第一伝道旅行、第二伝道旅行、第三次伝道旅行、そして最後はローマへの旅ということで4回伝道旅行をしてるってことは、ご存知だと思いますけれども、四つの伝道旅行の展開をとおして、福音がアジヤからヨーロッパへ、そしてさらにローマにまでっていうふうに、どんどんどんどん広がっていきます。
第一次伝道旅行はあのバルナバと一緒に行きましたけれども、キプロス島や、あるいは小アジアの地域あるいはトルコ、今のトルコの地域が中心になりますが、その辺に福音が広まりました。

⑤エルサレム会議

パウロは第一次伝道旅行から一回帰ってきて、エルサレム会議に出席しました。これは異邦人に福音が伝わっていくことによってですね、異邦人は割礼を受けてないじゃないかっていう問題が議論されました。異邦人が割礼を受けていないことが、福音を伝えるための大きな障害になってたわけですね。そういうユダヤ人の伝統とか習慣を、ものすごく大事にするクリスチャンの人たちがいて、クリスチャンになる異邦人が、割礼を受けていないなんてとんでもないって言う文化的な大きな壁があったわけですよね。それを乗り越えるために必要な大きな会議だったわけですけれども、これも精霊の守りと導きの中で、非常に祝福されて、それを乗り越えてですね、異邦人に福音が伝わっていくための大きなきっかけになったということが分かると思います。宣教していくときに必ずそういう問題があります。その国の文化とかですね、あるいはそのヨーロッパが持ってる文化とか、そういう考え方の違いとかがありますね。それを乗り越えなくちゃいけないんですね。福音は色々な考え方の違い、文化の違いを、何度も何度も乗り越えながら、世界中に福音が広まってきたんだという、一つの例をここに見ることができると思います。

⑥パウロの第二次伝道旅行(15:36~18:23)

パウロは第二次伝道旅行は、アジアで伝道する予定だったみたいです。けれども、「マケドニアの叫び」って言う夢を見ました。マケドニアの人たちが、私達のとこに来てくださいと言っている夢を見ました。パウロはマケドニアに渡って行って、そこから福音がヨーロッパに広がってきますね。ピリポとか、テサロニケとか、コリントとか、アテネとか、ギリシャ世界に福音が広がっていくのが第二次伝道旅行ですね。

⑦パウロの第三次伝道旅行(18:24~21:17)

そして戻ってきて、必ずアンテオケ教会、エルサレム教会に報告がなされて、皆で喜んでね、また送り出されるということを繰り返すわけですけれども、第三次伝道旅行はエペソが中心に書かれてますけれども、そのようにしてパウロは非常に用いられていたということがわかります。

⑧パウロの捕縛、ローマ旅行(21:18~28:31)

でも、いろんな激しい戦があったということが、使徒の働きを読むとわかっていくと思います。最後は捕らえられて危うく殺されそうになるんですけど、パウロがローマ市民権を持ってたっていうことで守られました。ローマの市民は、ユダヤでは裁判ができないということで、ローマに送って裁判してもらいましょうという展開になった。護衛もついて守られて船に乗ってローマまで行くことになりました。船が遭難するという大変なこともいっぱいありますけれども、無事にローマに着いたところで使徒の働きは終わってますね。

ですからエルサレムから始まったイエス様の働きが、どのようにしてアジアに、ヨーロッパに、そしてローマにまでたどり着いたかということが使徒の働きに記されてあります。そして、その中でどんな戦いがあったのかということを私たちは知ることができます。

6.黙示録を理解する

新約聖書はやっぱり旧約も含めてですけど聖書は黙示録まで行かないと完結しないですね。 でも私たち案外、黙示録の理解に弱い面があるのかなと思うんですね。確かに黙示録は難しいです。いろんな考え方があったり、聖書の解釈があったり、結構難しいところだなーと思うんです。けれども、すごく大事な箇所だなと思いますね。なぜならば聖書が完結する最後の場面ですね。そして私たちの歴史が描き出され、私たちが何を目指して行くべきなのかっていうことが教えられている大事な書だと思いますね。
本当に理解するのに大変な書物なんですけれども、今日はアウトラインだけ紹介していきたいと思います。だいたいこんな順番で出てくるんだよということだけでも頭に入れておきたですね。

①黙示録のアウトライン

(1)序論(1:1~20)

 

(2)7つの教会の手紙(2:1~3:22)

 

(3)天の御座での礼拝(4:1~5:14)

 

(4)7つの封印(611~8:1)

 

(5)7つのラッパ(8:2~11:19)

 

(6)教会と悪の力との戦い(12:1~14:5)

 

(7)7つの鉢(15:1~16:21)

 

(8)バビロン陥落(17:1~19:5)

 

(9)最後の勝利(19:6~20:15)

 

(10)新天新地の完成(21:1~22:5)

 

(11)結語 (221 6-21)

最初「序論」から始まります。色々挨拶があったり、神様を賛美する言葉があったり、幻を見たっていう証言があったりします。
2番目のトピックとして「七つの教会の手紙」が出てきますね。エペソ教会とかサルデスの教会とかフィラデルフィアの教会とか色々ですね七つの教会に手紙が記されたという内容が出てきます。
その後の3番目には「天の御座での礼拝」ということで、天国の礼拝の様子が出てきますね。ほふられた子羊に、天使達もまたそこに集められた人々がみんなで賛美してる天国の礼拝の様子が出てくるすばらしい場面ですね。
その後、4番5番6番7番8番まで、読んでいて非常に苦しくなるような記事が出てまいりますが、 「7つ」、結構出てきますね。黙示録には。七つの教会、七つの封印、七つのラッパ、七つの鉢と、色々出てきますけれども、皆七つなんですね。で、一つ目の封印が解かれた、二つ目の封印が解かれた、とかですね、一つ目のラッパがなる、二つ目のラッパがなる、って順番に出てきますね。そして最後に鉢が出てきてですね、一つ目の鉢が撒かれるとそれは何が起こるかっていうと、非常な苦しみがこの地上にやってくるんですね。星が落ちてきた、とかですね、星が落ちてきて、水の源に落ちて、地上の川の1/3が汚されてしまったとかですね、色んなそういう記事が出てきますけれども、これはですね、神の怒りの激しさと、そして裁きですね、大艱難が出て来るんですね。そしてその間には、6番目に「教会と悪の力との戦い」ということで、ここに龍が出てきたり、けものが出てきたりですね、なんかあの映画の世界かなというような感じますけれども、そういう私達にとって理解し難い言葉がいっぱい出てきますけれども、要するに「教会が悪と戦っている」というそういう姿が出てまいります。
いろんなことがあるんですけれども、最後「バビロンが陥落」します。大バビロンですね。これは歴史の中に出てくるバビロン帝国ではなくて、象徴的な意味としてのバビロン、大バビロンという言葉が出てきます。これは悪の力、それが陥落するっていう記事が出てまいります。そして「最後に勝利」がなされるということですね。そしてその後に何が起こるかと言うと、「新天新地の完成」ですね。「見よ、新しい天と新しい地が降りて来る」っていう、そういう展開になって御国にが完成するっていうことが最後に出てくるんですね。そして「最後の結合」という展開で黙示録の話が進んでいきます。

②黙示録のおおまかな内容

黙示録はローマ帝国とキリスト教会の対立が激しくなった時代に記されています。
先に、時代背景を見た時に少しわかったと思うんですけど、黙示録は、非常にに迫害が厳しくなってきた時代に書かれたものです。使徒の働きの時代からのいろんな迫害があったし、ヤコブも殉教しステパノも殺されたし、いろんなの戦いはあったわけですけれども、この時には政治権力がですね露骨に教会を苦しめるって言うか、そういう非常に厳しい迫害の時代がやってきたんです。黙示録はそういう中で書かれているんですね。ですから、キリスト者への軽蔑と憎しみが強まった時代でもあるともいえるのです。

こうした迫害が激化する中にあって・・・教会の宣教の気運も一歩後退した時期でもあります。あの七つの教会への手紙を読んでいると、「あなたは初めの愛から離れてしまった」と怒られてる教会があったり、「あなたは生緩くなってしまった」とか「熱いか冷たいかどっちかであって欲しい」っていう風に怒られている教会とか、当時の教会がすごく力を失っていたり、いろんな問題抱えてたっていうことが見えてきます。評価されてる教会もあるんですけれども、概ねみんなそういう戦いを強いられていて、ある意味やむおえなかったともいえるのですが、そういう状況だったということが言えると思います。

でも、そういう状況の中にある教会、つまり、試練にあっている教会に、慰めと励ましを与えるために黙示録は記されているのです。

当時黙示文学というひとつの文学のジャンルがありまして、こういうちょっと摩訶不思議な文章っていうんでしょうかね、そういう黙示文学という文学が当時のイスラエルにあったそうです。その黙示文学の文学形態を用いて、黙示録も書かれたということになります。
二つの大きなテーマがあります。
一つは世界を支配しているのは誰なのか?というテーマ。
誰が見てもローマ皇帝が支配していると言わざるを得ない世の中にあって、このローマ皇帝に誰も歯向かうことができないという、そういう時代の中にあって、真の支配者は誰かということが教えられている。
そして二番目は、今の苦しみの意味っていうのは何なのか?ということ。
もう本当に苦しいですよね。信仰を持っているがゆえに迫害されるっていう、耐えがたい苦しみ、でも、その苦しみにも意味があるって言うメッセージですよね。
そういう二つのことが大きなテーマとして記されているということになります。

黙示文学形態を持ちつつ、読者が他界より現実の世界を把握し、相応しい仕方で現実に応答することを期待して黙示録は記されたと言えるのです。言い換えると黙示録というのは要するに天の方向から、つまり神様から見たこの世の中の姿を描いたと言えるとおもいます。
当時の教会は、重い現実の中に閉じ込められてしまって、どこにも希望が見出せないような、そういう状況の中にあって、天の方向から見た時に、それがどういう風に見えるのか?という、そういう幻を見せていただいたヨハネが、後にまとめて書いたということになるかなと思います。そういう視点が与えられることによって、今この現実にどう向き合ったらいいのか、どう対応したらいいのかということを、天の御国の視点から教えられる内容であるということが言えると思います。
要するにここで教えられてることは天地万物の創造主なる神が、歴史を導きその中で働き、その歴史に終止符を打つ、という壮大な計画を啓示したといえるかと思います。天地創造で始まった歴史が新天新地の完成で完結するんだよという事、その歴史の全体像が、ここに描かれているということになります。そして永遠の神の国への道、キリストにある揺るがない信仰、愛希望愛へと私たちを導く神の手引きの書として黙示録を理解することができるという風に思います。
当時、戦いを強いられた初代教会のクリスチャンたちを励ますために、神様が特別にヨハネに幻を 見せてくださった。そしてその幻をまとめて示すことによって、今、向き合っている非常に厳しい現実にも、意味がある、戦いにも意味がある、そして本当の支配者は神様なんだということ、そして神様の時がある、必ず最後は勝利する、新天新地は完成するという希望を提示した、そういう書物として黙示録を理解することができるのだと思います。

ということで今述べてきた経過を経て神様のご計画が進んでいる、その中に私たちが置かれているということを覚えながら、聖書を味わっていきたいなと思います。

この記事を書いている人 - WRITER -
若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

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