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初代教会の姿

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

飯能キリスト聖園教会 教会史の学び(世界史)2 若井和生師

 

・使徒たちの宣教の働きを通して福音は各地にもたらされ、各地に多数の教会が形成されていつた。
ペンテコステの時から、313年にローマ皇帝によつてキリスト教が公認されるまでの時期の教会
を「初代教会」と呼ぶ。
・国家や世俗とまみれることの少なかつたこの時期の教会は、教会の歴史上、最も純粋な信仰を保
ち、それゆえに、後世のいつの時代からも目指すべきモデルや日標として意識されてきた。「初代
教会に帰れ」という呼びかけはいつの時代にも繰り返されてきた。
・当時のキリスト教会は社会的に十分に認知されていなかった。それゆえに、外からは迫害を経験
し、内からは異端の影響にさらされ、内外からの厳しい闘いを強いられた。その中にあって自ら
の拠って立つ信仰の基盤をいつも確認し、教会の基礎を築き上げた。

1. 初代教会の姿

・大多数のキリスト教徒は下層階級に属していた。
・週の始めの日(日曜日)を主日として礼拝を守った。
・聖餐式が礼拝の中で重んじられた。(聖書の朗読、賛美、祈り十聖餐式)
・信徒宅、カタコンベ(地下墓所)での礼拝 (→ 先に召された先人たちとのつながりが意識)
・復活と再臨の信仰をもつていた。
・復活祭の日曜日に洗礼式をとり行う習慣。
・司教、長老、執事という職務が存在。(女性執事「フィベ」、ローマ16:1)
・名もなき信徒たちが積極的に福音を証しした。
・貧しい人々ややもめたちの生活を保護する制度が作られた。
・清い生活、愛、勇気

2. 迫害

初代教会は終始迫害にさらされ続けた。 しかし迫害の理由や内容は少しずつ変化していつた。

> 1世紀の迫害

・ユダヤ人からの迫害 ユダヤ民族主義の高まり/ローマ皇帝は傍観
(ユダヤ教はローマの公認宗教だつた。)
・64年 ネロ皇帝    ローマの大火(大火の責任をキリスト教徒に負わせた。)
・ドミチアヌス帝     ヨハネ、パトモス島に流される

> 2世紀の迫害

・トラヤヌス帝 ビテニヤの総督プリニウスから寄せられた手紙に対するトラ
ヤヌスの返事:犯罪者探しに手間をかけるべきではない。も
し彼らが訴えられて棄教を拒むならば、処罰せよ。)
アンテオケのイグナチウス、スミルナのポリュカルポスが殉教
・マルクス アウレリウス帝 周辺諸民族による侵略の危機、洪水、疫病

> 3世紀の迫害

・セプテミウス・セウェルス帝 帝国内で太陽神礼拝を強制
・250年 デキウス帝 ローマの栄光を取り戻すため、古代の神々へのネL拝を強制
・ディオクレチアメス帝 会合の禁止、教会の破壊、聖書の焼却、政府や軍隊からの
罷免。

> 迫害の原因

・政治的:キリストか、カエサルか? 帝国内に自らの国を建設していると見なされた。
・宗教的:ローマから見るならば無神論。様々な誤解(近親相姦、人肉嗜食、不道徳・・・)
・社会的:下級階級や奴隷に福音が広がる。上層階級の人々にとつては脅威。
・経済的:異教の祭司、偶像製作者、占者、建築家、彫刻家にとつて生計を脅かす脅威

> 迫害の結果

・福音が拡大した(帝国東部→ ギリシャ語を話す異邦人→ ラテン民族・北アフリカ)
・ドナチスト論争(迫害による棄教者を教会はどのように受け入れるべきかで分裂)が起こり、
教会の一致が脅かされた。
・護教家たちが誕生した。
・聖書の正典が編纂された。

3. 異端

初代教会にとつて当時の最大の異端はギリシャ思想の影響を受けるグノーシス主義者でした。

> グノーシス主義

・「あのむなしい、だましごとの哲学(コロサイ2:8、20~23)」、「『霊知』と呼ばれる反対論
をさけなさい(第一テモテ6:20.21)」
・霊肉二元論(霊=善、肉=悪)/牢獄である肉体からの解放が救い
・秘密の知恵(グノーシス)による解放
・教会内外に広範に存在し、一つの組織としてまとまることのなかつた運動。
・キリスト教グノーシス派(キリスト教とギリシャ哲学の融合)
・人間イエスは幻で、内体をもつているように見えていたと解釈(仮現論=ドケチズム)
・創造、受内、復活などを否定。
・極端な禁欲主義者、もしくは無道徳主義者

> モンタヌス運動

・2世紀の中頃、フリギアのモンタヌスが始めた聖霊運動。
・天のエルサレムがフリギアのペプサ付近に下り、世界の終末が起こると予言した。
・教会の形式化、監督の勢力が増大したことに対する反抗という一面あり。

> 異端がその後に及ぼした影響

・新約聖書正典が成立した。(三度の教会会議において今日の27の正典が確立した。)
・信条の作成:「使徒信条」の原型(古ローマ信条)が作られる。
・教会の組織化と権威の明確化が行われた。(監督の地位が高められ、使徒の権威が重んじら
れ、教会の一致が大切にされた他、礼典が発展した。)

*古ローマ信条
我は全能の神を信ず。我はその独り子、我らの主、キリスト・イエスを信ず。主は聖霊と拠女マリヤとより生まれ、ポンテオピラトのもとに十字架につけられ、葬られ、三日日に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、父なる神の右に座したもう。かしこより来たりて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず、聖なる教会、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠のいのちを信ず。

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