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キリシタン禁教の理由と禁制下のキリシタン…日本キリスト教史(2)の2

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

(「  禁教下のキリスト教/信長、秀吉、家康、家光」の続き)

2・キリシタン禁制の理由

(I)キリシタンの政教一致的体質
・キリスト教は日本征服の手段との口実を与えた。

(2)日本の国家権力の確立

・秀吉、家康らの自己神格化。(日本二神国であるとする思想の確立)
・諸侯の忠誠の証しとしての追害。

(3)キリスト教の本質
・最終的忠誠 (倫理)・・・領主や主君ではなくデウス (神)
・個の自覚 (人間観)・・・領主の臣民である以前に、神に造られた人間。
・世界宗教 (帰属)・・・・地上の国民である以前に、神の国の民。

キリスト教の教えと日本の封建倫理とは、相容れない部分が多くあった。

3・禁制下のキリシタン

(I)棄教と殉教
・日本各地で大規模な迫害が行われる。殉教、棄教、改宗が相次ぎ、キリシタン勢力は急速に衰える。多くは地下に潜休し、隠れキリシタンとなる。
・厳しいキリシタン迫害下、多くの修道士たちは日本への潜入を試み、迫害下のキリシタンたちの司牧に取り組んだ。その多くは捕らえられて殉教した。

(例)ペトロ岐部

・1587年 大分県国東半島の岐部村生まれ。13歳の時、有馬セミナリョで学ぶ。→写真
・1614年 禁教令によってマカオヘ追放される。
マカオ インド ぺルシヤ ヱルサレム ローマ
・1620年 ローマで神父となる。
・1630年 日本に潜伏。九州での布教を断念し、東北へ移動。仙台藩水沢に潜伏するも密告され、捕らえられ、l939年に江戸で殉教する。

(2)潜伏キリシタンと隠れキリシタン
・仏教や土着宗教を隠れ蓑として信仰を守り通す。コンフラリアが大切な役割を果たす。
・徹底した弾圧の下、多くのキリシタンたちは、日本の神仏宗教や精神風土にまみれ、シンクレティズム (宗教混淆)を招く結果に。(カトリック信仰は、日本の神仏信仰と習合しやすい面をもっていた。) 隠れキリシタン
・1865年、長崎の大浦天主堂にキリシタンたちが現れる。(「キリシタンの復活」)→潜伏キリシタン。

(考えよう)
・社会より一掃されたように見えるキリシタンたちは、この国と私たちに何を残したでしょう。現在の私たちに何を語りかけているでしょうか。
・私たちは迫害を恐れるために、自らの信仰を暖昧にしていることはないでしょうか。

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若井 和生師
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