イエス・キリストをより良く知るために

黙示録12章

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

概要

[ditty_news_ticker id=”2378″] 黙示録12章11節

兄弟たちは、子羊の血と、

自分たちのアカシの言葉の故に、

竜に打ち勝った

黙示録も12章まで来ましたけれども、今日のところは読んでいて非常に不思議な感じのする場面かも知れません。流れから行きますと、7つ目のラッパがなりました。11章の15節ですね。それでその後に災いがやってくるということが想定されるわけですけども、このあと、本格的な災いが始まります。その前に「印」が現わせられるところが、今日の箇所かなということがわかります。ヨハネは印を見せられるということですね。

1.印=神の民イスラエル=教会

12章1節「また大きなしるしが天に現れた。一人の女が太陽をまとい、月を足の下にし、頭に12の星の冠をかぶっていた。」2節「女は身ごもっていて、子を産む痛みと苦しみのために、叫び声を上げていた」ということで、ここに一人の女と呼ばれる登場人物が出てきます。

この一人の女は太陽をまとっていた。月を足の下にしていた。頭に12の星の冠をかぶっていたっていうことですね。一体何者なんだろうという感じがいたしますけれども、これは次を読んでいくと、神の民イスラエルを表しているということがわかります。私たちにとっては教会と考えることができるかなと思います。 

2節に「女は身ごもっていて痛みと苦しみのために叫び声をあげていた」と言うことで、産みの苦しみをする女であると言うことがわかるんですが、この産みの苦しみをする女と言うのは旧約聖書にも出てくるんですね。これは神の民イスラエルを表しています。これはいろんな箇所があるんですけれども、例えばイザヤ書の26章の17節18節を読むとこんな言葉が出てきます。「子を産む時が近づいた人が産みの苦しみで、悶え叫ぶように、主よ、私たちが御前でそのようでした。私たちは身ごもり産みの苦しみをしました。それはあたかも風を生むようなものでした。」そういう言葉が出てきます。ここは、文脈の流れがありますけれども、ここでイスラエル、神の民イスラエルが、産みの苦しみをする女として象徴的に描かれている、そういう記事です。 そういう箇所がいくつかあるんですけれども、旧約聖書の知識も合わせて読む時に、これはやっぱり神の民イスラエルを表しているなっていうことが想定されます。

2.竜=サタン

そして3節を読むともう一つの存在が出てまいります。

また、別のしるしが天に現れた。見よ、炎のように赤い大きな龍。それは7つの頭と十本の角を持ち、その頭に7つの王冠をかぶっていた」ということで今度は赤い大きな竜が出てきました「7つの頭と十本の角を持ちその頭に7つの王冠をかぶっていた」と、想像すると非常に恐ろしい感じがしますが、この7つの頭、10本の杖、七つの王冠というこの組み合わせを、ぜひ皆さん覚えておいてください。

と言いますのは、次の13章にも出てきます。13章になると、今度は獣と言うのが出てくるんですね。13章の一節に「一頭の獣が昇ってくるのを見た」って書いてありまして、その風貌も全く同じですね。7つの頭と十本の角と十の王冠をかっぶっていたっていうことが出てきます。これが非常に恐ろしい存在であり、その地上において非常に力強い。王冠をかぶっていたということですので、権威があったということですね。これはサタンを表しているということが考えられます。このサタンが4節で、

その尾は、星の1/3を引き寄せて、それらを地に投げ落とした。また竜は、子を産もうとしている女の前に立ち、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。」ということで、この赤い竜がですね、1/3の天の星を引き寄せて、それを町に投げ落としたってのは、何を意味しているんだろうかと、いろいろ解釈あるようですけれども、これはおそらく御使いの1/3を堕落させた、サタンそのものが堕落した天使なんですけれども、このことを象徴的に表されていると解説されていますね。何のためにこの竜は存在しているのか、存在の目的は子を産もうとして、苦しんでいる女の間に立ってですね、そして産んだらその子を食べてしまおうとする、そういう存在であると言う事が分ります。

3.イエスキリスト

そしてその女が男の子を産むのが5節なんですけども、

この子は鉄の杖を持って、すべての国々の民を牧することになっていた。その子は神のみもとに、その御座引き上げられた」って書いてあって、この子供が誰のこか?皆さんすぐわかると思いますけれども、この子供はイエス様のことを表しますね。

イエス・キリストは鉄の杖を持って全ての国の民を牧する牧者であると言うことを表し、その方は神の御もとに帰って御座に引き上げられた。ここを読むとあーこれは明らかにイエス様だということがわかるんですけれども、サタンはイエス様が生まれるのを待ち構えていて、そして生まれた瞬間に食べてしまおとしていたという、そういう存在であると言う事。これはイエス様が誕生したときに経験されたことでした。イエス様がお生まれになった時、ヘロデが狙っていたわけですけど、生まれてくる救い主を殺してしまおうと狙っていた、策略があった。ところがその策略が うまくいかなくて、周辺の男の子たちを皆殺してしまったと言う ことが、クリスマスのお話の中に出てきます。ですからまさにこれはイエス様が経験されたことだったということが分かるんですけれども、サタンっていうはそういう存在だということが分かると思います。黙示録を読んでいると、ここに「竜」という存在が出てきます。次の章を読むと「獣」という存在が出てきます。さらに読み進めていくと、「ニセ預言者」、あるいは「大バビロン」、「大淫婦」とか、いろんなことばが出てくるんですね 。これら四つのイメージが描かれているのが、神の御心に反逆する悪の存在の象徴であるというふうに考えられるわけですね。この戦いが始まっていくというのが12章13章14章と続いていくんですね。

4.地上に残された「教会」と神の守り

さて先ほどの男の子ですが、守られて、そしてその後、天に引き上げられて行った、つまり御座に引き上げられて行ったと書いてあります。この牧者として来られた方が天にいってしまいました。ちょっと展開が早いんですけれども、そうしたら女が残されてしまいます。 これは牧者が引き上げられた後、地上に残された「教会」の姿を表します。

そして6節に、「女は荒野に逃れた、 そこには、1,260日の間、人々が彼女を養うようにと、神によって備えられた場所があった。

ここ に1,260日と出てきました。11章の3節にも1,260日 が出てきました。その前の2節には42ヶ月という数字が出てきました。そして今日の箇所を読み進めていくと14節に ,「ひととき」と「ふたとき」と「はんとき」の間という数字が出てきますが、これが全て同じなんですね。みんな3年半です。月で言うと42ヶ月、日にちで言うと1260日、そして「ひととき」と「ふたとき」と「はんとき」の間というのも、3年半を表していて、みんな同じ期間を表していますけれども、これは地上に残された教会が通らなければならない苦しみの期間と考えられます。

そこにはいろんな戦いがあるし、でもそこでは信仰を告白し、アカシもするっていうことが出てくるんですけども、確かに厳しい時代ではあるんですが、でも神様はそのような女をですね、ちゃんと守ってくれるんだよということが6節に書いてあることですね。1260日の間、荒野に逃れた、そしてその荒野で、ちゃんと神様は養ってくれるって言うことを書いてあります。そしてそこはちゃんと神様によって備えられた場所なんだよっていうことが書いてある。で、これは非常に象徴的な言葉であるように聞こえると思うんですけれども、これまさにイスラエルの民が経験したことです。

イスラエルがエジプトから脱出をした時にまさに荒野に逃れたんですね。そしてその荒野で神様は何をしてくださったでしょうか?養ってくださいました。マナによって養ってくださった。そこは確かに厳しい場所なんですね。荒野ですから大変だと思うんですけれども、いろんな不平不満もいっぱいあったんですけれども、でもその場所は神によって備えられた場所だったんですね。霊的な意味で言うならば、そういう場所だったんですね。そうして、ちゃんと主の守りがあって、養いもあった、そういうことをイスラエルの民は経験した。そしてまたエリアもそれを経験しましたね。エリアもイゼベルという王女の怒りをかってしまって、恐ろしくなって荒野に逃げてくんですね。でもそこはちゃんと備えられた場所だったんです。そしてそこで神様はなんと、エリアをカラスによって養ってくれたと言う、列王記の記事が出てきますね。ですからこれはもうイスラエルの民はずっと経験してることですね。ですからイスラエルの人達は、これを読むとピーンとくるんですね。そういう風にして厳しい中にあっても、神様の守りがあるんだよって言うことが教えられております 。

5.天における闘い

今度は、7節からは天において戦いが起こるというそういう記事が出てまいります。7節、

さて天に戦いが起こって、ミカエルとそのみ使いたちは竜と戦った。竜とその使い達も戦ったが、勝ことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。」ということで、天において激しい戦いが起こった。

これはミカエルの御使いの軍隊と、竜と、そして竜の使いたちの戦いであるという ことですね。そしてそれは厳しい戦いだったと思いますけれども、でもいくら頑張ってもですね、竜とその使い達は勝つことができない。そして天にはもはや、彼らの居場所がなくなってしまった。

9節、「こうしてその大きな竜、すなわち、古い蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの—ここでサタンっていう言葉がはっきり出てきましたけれども—-サタンとか呼ばれるもの、全世界を惑わすものが、地に投げ落とされた。また彼の使い達も彼とともに投げ落とされた。」天においての戦いは、もう決着がつきました。それで敗れたサタンとその使い達は、地に投げ落とされたということですね。そういうことが書いてあります。

6.子羊の血と証による勝利

そして10節で、「私は大きな声が天で、こういうの聞いた」ということで、ヨハネはこの幻を見させていただいただけではなくて、その耳でその大きな声を聞くとことになりますが、その内容は、

今や私たちの神の救いと力と王国と、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、昼も夜も私たちの神のみ前で訴えるものが、投げ落とされたからである。」11節「兄弟たちは小羊の血と、自分たちの証の言葉のゆえに、竜に打ち勝った。彼らは死に至るまでも、自分の命を惜しまなかった。」12節「それゆえ、天とそこに住む者たちよ、喜べ。しかし、地と海は災いだ。悪魔が自分の時が短いことを知って、激しく憤り、お前たちのところ下って行ったからだ。

これは勝利の雄叫びというか、勝利宣言と言うか、勝利するとやっぱり嬉しいですよね。大きな声が聞こえてきたということですよね 。そしてキリストの権威が現れた、キリストの勝利がそこでなされたんだということの喜びの叫びがあったんだということですね。

「私たちの兄弟たちの告発者、昼も夜も私たちの神のみ前で訴えるものが、投げ落とされた」ということで敵は完全に敗北しました。敵は告発するんですね。そして神の御前で訴えるんですね。この人は罪人だ、有罪だ、全然救われていない、いろんな告発をしながら私たちを敗北に引きずり落とそうとするわけです。そういう霊的な力があるということを意識させられる言葉だと思います。しかし「その敵は完全に敗北しました」ということで、喜んでいる言葉ですよね。

その勝利は、「小羊の血と、自分たちの証の言葉のゆえに、竜に打ち勝った」って書かれてます。ですから、自分たちの努力で頑張って勝ったということではなくて、まさに子羊の血による勝利であるということ、そして兄弟たちの証の言葉の故、つまり信仰告白って言いますか、その言葉の故の勝利である、信仰による勝利であるってことですよね 。これはまさに私たち人間の力ではなくて、イエス・キリストの十字架の血と、そしてそれを信じる信仰者たちの信仰による勝利なんだっていうことが、ここで宣言されておりますね。その人たちは、死に至るまでも自分の命を惜しまなかったんだよ、死に至るまで忠実な信仰者だったんだよっていうことも書かれてあります。言い換えるなら、私達信仰者の日々の小さな証の言葉が、サタンを撲滅させる力になることを覚えさせられます。

天においてはそういう風にですね、大きな喜びの声が湧き上がっているんですけれども、でも12節の最後の方にですね「地と海は災いだ。悪魔が自分の時が短いことを知って激しく憤り、お前たちのところへ下ったからだ。」ということで、サタンとその手下たち、しもべたちは、天で敗北をして、地上に投げ落とされたということですよね。

そして今度は、天から地に戦いの場面が移って行くということが分かると思います。

7.地上の戦い

13節、「竜は、自分が地へ投げ落とされたのを知ると、男の子を産んだ女を追いかけた。

女っていうのは、神の民イスラエル、そして教会ってことを、象徴的に現わしていますけれども、その女を追いかけ始める。天で敗北した。そして敗北しただけではなくて、自分の時が短いことを知っているっていうことが12節に書いてますね。もう終わりが近いと言うかね、もう自分の活躍できる期間が短いっていうことを知っているがゆえに、非常に獰猛になると言うか、非常に恐ろしくなってゆく、そういう性質を持っているということが分かると思います。ですからこの天上の戦いと地上の戦いが、繋がっているって言うことが意識されるかなと思います。私たちが以前4章と5章を学んだ時に天上の礼拝と、地上の礼拝は繋がっているということを教えられましたね。地上で私たちが神様に捧げている礼拝と、天上で捧げられている礼拝というのは繋がっているんだよということですが、この箇所を通して、天上の戦いと地上の戦いがつながっているということなんですね。その事を教えられる場面かなと思います。

確かにそれは地上に 残されている教会、私たちとって厳しい戦いではありますが、でも天においては、もう勝利しているんだ、勝利されているんだという事が、一つ大きなことだと思いますね。勝利から始まってるんだと、勝利は確実なんだということですよね。そのことが最初に示されているということがわかります。

8.神の守りと養い

それで戦いの場面は、天上から地上へと移るわけですけれども、でもその中にもちゃんと神様の守りと養いがあるということが14節を読むと分かります。

しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒野にある自分の場所に飛んで行って、そこで、ひとときと、ふたときと、半刻の間、蛇の前から逃れて養われるためであった。」蛇はですね、竜とか蛇とかいろんな言葉で呼ばれてますけども、まあサタンというふうに考えられますけれども、この存在はですね、女を追いかけてくるわけですよね。非常に獰猛で怒り狂ってますので、この女を殺そうと思って迫ってくるわけですが、でもこの女には何と大きな鷲の翼が二つ与えられましたね。

鷲の翼っていう言葉も、旧約聖書読を読んでいるとよく出てくる言葉ですね。イスラエルの民が出エジプトをして、モーセがイスラエルの民をエジプトから連れて来た後、神様はモーセにこういう風に言っていますね。出エジプト記19章4節、

あなた方を鷲の翼に乗せて、私のもとに連れてきた。」と、そういう風に神様はモーセにおっしゃっている場面があります。これは神様によってイスラエルの民が、芦の海を越えて、救い出されたいう経験を言っているですけれども、ここで鷲の翼という言葉が出てきます。あるいはイザヤ書40章31節のことは皆さんよくご存知だと思うんですけれども、

主を待ち望むものは、新しく力を得、鷲のように翼を広げて上ることができる。

そこにも「鷲の翼」が出てくるんですね。聖書を気をつけて読んでると、鷲の翼っていうのは、この神様の救いとか、助けとか、守りっていうのを表しているっていう事が分かりますが、ここでもまた出てくるんですね。

それで、この二つの翼が与えられて、そして飛んでいってですね、もう危ないところ、蛇に噛まれそうに、殺されそうになっている危険の中にあって、ちゃんと神様の守りがあるんだよっていうことが分かるようになる。荒野にある自分の場所に飛んで行った、本来自分がいるべきところに飛んで行った。そして「ひとときと、ふたときと、半刻の間」と、こに出てきましたけども、3年半という限定された期間の間、蛇の前から逃れて、ちゃんとそこでも神様が守ってくれるということです。

それで良かったなあと思うんですが、でもその後、蛇は執拗に追いかけてくるんです。15節、

すると蛇はその口から、女の後ろへ水を川のように吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした。

この水ですね、口から水を出してですね、女を押し流そうとした。これも非常に恐ろしい危険が迫っているということが分かるんですね。サタンの執念深さというものがここに現わされているなと思います。でも、その中にもちゃんと守りがあるんだよって言うのが16節。

しかし地は女を助け、その口を開けて、竜が口から吐き出した川を飲み干した。

こんな素晴らしい経験が与えられるって言うことは本当にすごいことだなと思います。

すごい水がやってきて、本当にもうどこにも逃げられないっていう、恐ろしい恐怖の中にあってもですね、地が口を開いて、全部飲み込んでくれたんですね。そういう主の守りというものがそこに描かれております。

そうなるとサタンは落ち着いてくれるといいんですけれども、そうではないんですね。17節、

すると竜は、女に対して激しく怒り、女の子孫の残りのもの、すなわち 神の戒めを守り、イエスの証を堅く保っている者たちと戦おうとして出て行った。

ということで、この竜の怒りがますますエスカレートしていく様ですね、今までにも相当怒ってるわけですけれど、もう発狂したというかね、もう本当に怒ってですね、そしてその怒りが、女だけではない。女の子孫の残りの者、「すなわち神の戒めを守り、イエスの証を固く保っている者達と戦おうとして出て行った。」

すなわちイスラエルの子達全員、すなわち子孫たち、クリスチャンたち、全員と戦おうとする 展開になっているということがわかります。

そして最後の18節は、

そして竜は海辺の砂の上に立った。

12章はここで終わりなんですね。不気味な感じがいたしますけどね 、このあと13勝の方で獣が出てきて、戦いが続いていきます。このように私達、黙示録を読んでいると、竜が出てきたり、鷲が出てきたり、蛇が出てきたり、何のことなのかな?という感じがするかもしれません。非常に不思議な文章で、なんとなく空想の世界の話なのかなといった印象があるかもしれません。けれども当時のイスラエルの人達、初代教会の人たちにとっては、この文章を読むと、非常に切実なメッセージとして感じ取られたというふうに思うんです。そして彼らは、まさに彼らが経験していることの意味、自分たちが置かれている苦しみの意味ですね、それがよく解かったと思うんです。そして今まさに戦ってるわけです。ローマ帝国の支配の中にあって、本当に迫害に苦しんで、向き合って、本当に殺されそうになることもたくさんあるし、クリスチャンであるということで、いろんなことを言われたりですね、そういうことが沢山あるわけですね。危険が迫っているわけですね。そういう自分たちの苦しみの意味とか、自分たちの置かれている境遇とかが、こういう不思議な文章ですけれども、よくわかったと思いますね。大変心に迫ってくるメッセージだったと思います。

でもその中にあって、大丈夫だ、もう勝利しているんだ、神様は天において勝利してくださっているんだ、イエス様は勝利してくださっているんだ、勝利が確実なんだということ、そういう苦しみの中にあっても、主は必ず守ってくださるということがちゃんとを伝わるメッセージだったと思いますね。そういう意味で当時の教会の人たちにとっては大きな励ましであり、慰めになっただろうなということを思わされるわけですね。

9.まとめ

私たちもこの12章から教えられることとしては、やっぱり教会はこの地上にあって戦いがあるという事を一つ教えられます。その戦いというのは霊的な戦いです。やはりサタンが狙っていますね。私たちのことを狙ってます。私たちがどれだけ意識しているか分かりませんけれどもそ、霊的な戦いっていうのはいつでもあるんですね。いつも私たちは狙われています。サタンに。そういう戦いがあるということを忘れてはいけないなと思います。

でも同時に私たちは、その戦いのゆえに苦しまなければならないこともあるし、戸惑ったり恐れたり不安になったりすることがありますけれども、忘れてはいけないのは、天においては勝利されているということですね。勝利は確実なんだということです。それを忘れてはいけないと思います。

そしてもう一つ忘れてはいけないことは、そういう不安とか、恐怖とか、戦いとか、いろんなことがあっても、必ず主は私たちを守ってくれるし、養ってくれる。イスラエルの民がずっと経験したしてきたことですし、まさにここで約束をもって励まされていることですけれども、同じように私たちも神様によって本来の自分の居場所にちゃんとかくまってもらって、そこに主によって養ってもらえる、神様との関係の中に生かされるんだよと言うことを、私たちいつも忘れないでいなければいけないメッセージだなということを感じさせられます。

こういう戦いの様子というのがこの後も続いていきますけれども 、色々と不思議な言葉がたくさん出てきますけれどもでもそれは当時の記憶にとって非常に伝わる、切実な、でも本当に力強い励ましのメッセージだったということを覚えたいと思います。

12章はここまでで、次回は今度は獣が出てきますので、竜の次は獣ですけど、また期待して次回読み進めていきたいと思います。

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