イエス・キリストをより良く知るために

心が主と一つでなくなる・・・第一列王記11章1~25節

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

聖書本文はこちら↓

https://prs.app/ja/bible/1ki.11.jdb

今日の個所は、ソロモン王の堕落と、その背後にある「心が主と一つでなくなる」プロセスをたどり、私たち自身への悔い改めの問いかけとなる内容です。

説教の流れの要約

申命記17章で、王には「馬を増やさない・多くの妻を持たない・銀や金を過剰に持たない」という三つの戒めが与えられていたことが確認されます。

列王記上10章では、ソロモンがエジプトなどから馬を輸入し、銀や金を過剰に蓄え、すでにこの戒めから静かにそれていっていたことが指摘されます。

11章に入ると、ソロモンはファラオの娘だけでなく、多くの異邦人の女性を愛し、最終的に王妃700人・そばめ300人を持つほどになり、その妻たちが彼の心を他の神々へと向けてしまったと語られます。

その結果、シドンのアシュタロテ、アンモンのミルコムやモレク、モアブのケモシュなどの偶像礼拝がイスラエル、とくにエルサレム東の山に持ち込まれ、イスラエルの中に「忌むべき」偶像礼拝が広がっていったと説明されます。

ソロモンはエルサレムの神殿での礼拝をやめたわけではなく、真の神への礼拝と異教礼拝を“並立”させたがゆえに、結局主に対する礼拝が疎かになったこと、イエス様も「二人の主人に仕えることはできない」ことを教えておられます。

結論として「ソロモンは主の目に悪を行い、父ダビデのように主に従い通さなかった」とまとめられ、スタートは良かったが最後まで従い通せなかった人物として描かれます。

私たちへの問いかけ

「私たちの心は主と一つか」という問いが投げかけられ、礼拝には来ていても、同時に神以外のものを“神のように”礼拝していないか、自分の願望を第一にしていないかを吟味しなくてはなりません。

ソロモンが繁栄の中で静かに神から離れていったように、私たちの不信仰や偶像も、気づかないうちに静かに進行し、ある時表面化することが警告されています。

神の反応と世代への影響

神はソロモンの心が主から離れたために怒りを発し、すでに二度現れて「他の神々に従ってはならない」と警告していたのに、それを無視したことが指摘されます。

三度目として神は「王国をあなたから引き裂き、あなたの家来に与える」と宣告されるが、ダビデに免じてソロモンの代ではなく子の代にそれが起こると語られます。

ソロモンは「自分の代では起こらない」と聞いて、もしかするとほっとした可能性があるかもしれない。そこに“世代エゴイズム”(自分たちの世代だけ良ければよい)という現代日本社会の問題との共通点が見られます。

教会は世代間格差や世代エゴイズムの場であってはならず、世代を超えて神の祝福が流れる共同体であるべきです。

敵対者たちの登場

神はさらにソロモンに敵対する者として、南からエドム人ハダド、北からアラム(ダマスコ)のレゾンを起こされたと語られます。

彼らはそれぞれダビデ時代の戦争の被害から生き延びた人物で、復讐心からイスラエルに敵対するようになるが、その背後には神の主権的な働きがあったのでした。

最後の適用

全体を通して、神はソロモンにいきなり裁きを下したのではなく、何度も警告と悔い改めの機会を与えられたが、ソロモンはその機会を生かさなかったことが強調されます。

私たちも霊的に鈍くなり、主の警告を軽く扱うことがないように、また「自分が生きている間だけ良ければよい」という姿勢を悔い改め、主と心を一つにして歩まなければなりません。

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若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

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