主にあって強くあれ!エペソ書6章11節
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「終わりに言います」という一言から今日の聖書の箇所が始まっています。
この言葉により著者のパウロは、エペソの教会の信徒達に、必ず最後に聞いてもらいたいメッセージがあったということがわかります。それが今日の6章10節から始まる、聖書の内容ということになります。
なぜパウロは最後のメッセージにこの言葉を付け加えたんでしょうか?
それは、その街の信徒たちが、恐ろしい敵に取り囲まれていたからであります。そしてパウロが、ここまで丹念にひとつひとつ教えてきたことを、全部壊されてしまう、あるいは全部台無しにされてしまう危険に、彼らが取り囲まれていたからであります。
パウロはこの手紙の、この箇所に至るまで、神様から与えられた恵みの素晴らしさということについて教えてきました。例えばそれは神の選びであったり、神の子どもとされた特権であったり、御国を受け継ぐ保証であったり、ただ神の恵みによって私たちが救われたんだというその祝福であったり、いろんなことがありました。
そして後半は、私たちが神の民とされたこと、あるいは神の家族とされたこと、神の住まいである教会に加えられた恵みということについても、たくさんのことを教えてきました。私たちに新しい生き方が与えられている、新しい努めが与えられている、その恵みについて、一つ一つ順番に丹念に教えてきました。その内容を今まで私たちはずっと学んできたんですよね。
ところがこのせっかく与えられた素晴らしい恵みが、台無しにされてしまうかもしれない、全部壊されてしまうかもしれない、奪われてしまうかもしれないという危険に取り囲まれていた。よってパウロは、最後にどうしてもこのメッセージを書かなければいけませんでした。恐ろしい敵が彼らを狙っているということ、その敵に対してちゃんと備えはできてますか?ということをどうしても伝えなければならなかった。そのことが今日の箇所に記されている内容であるということを心に留めたいと思います。
1.悪魔の存在
その敵とは一体誰なんでしょうか。私たちを狙っている敵とは一体誰なんでしょうか。11節の言葉を読んでみたいと思います。
「悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身につけなさい。」
エペソの教会の信徒たちを狙っているところの敵、そして私たちを含むすべての信者たちを狙っている敵は、悪魔であるということがわかります。悪魔とは、おとぎ話や童話の世界に出てくるそういう存在ではない。エペソの街の人々にとって、悪魔は極めて身近な存在でありました。当時のエペソの街では悪霊の働きというのが、非常に盛んだったからであります。パウロがかつてその街で伝道した時の様子は、使徒の働きの19章を読むとよくわかりますが、当時のエペソの街においては、悪霊の働きが非常に盛んだったということが分かるんですね。魔術を行っている人たちがいて、そして多くの人たちがその悪霊に取り憑かれていた、支配されていたということが、その記事を読むとわかるんです。
ですからパウロはこの街で人々から悪霊を追い出す働きをしております。そこで主の御業がなされた結果、多くの魔術関係の本が焼かれ、その本の値段を合計してみると、金貨5万枚になったっていうようなことが、使徒の働き19章の19節に記録されてあります。
よってこういう記事を通して、当時のエペソの街の人々にとって、悪魔とか悪霊というのは、極めて身近な存在であったということがわかります。
そのような悪霊の盛んな地域というのが、今でも世界中の色んな所にあるんだと思いますね。私がかつて居たフィリピンでもそういう街がありました。日本でも沖縄に行くとそういうことがあると聞いたことがあります。地域によってはそういう活動が盛んなところがたくさんあるんだろうなと思います。
2.悪魔をはっきりと自覚すること
では私たちはどうでしょうか?私たちの普段の生活の中で、私たちがこの悪魔の存在を意識したり身近に感じたりすることはあるでしょうか。もしかするとあんまりないかもしれないと思います。それでは私たちの周りには悪魔はいないんでしょうか?悪魔私たちの周りではそれほど露骨な働きはしていないんでしょうか。決してそうではありません。私たちの知らないところで、私たちの気づかないところで、私たちが意識していないところで、悪魔はやっぱり私たちのことを狙っている、こんな危険なことはないんじゃないでしょうか。私たちを絶えず狙っている敵がいるのに、そのことに私たちが気づいていないということくらい、恐ろしいことはないのじゃないかなと思いますね。私たちの側に、その意識がないために、知らないうちに敗北を繰り返しているとするならば、それは本当に嘆かわしいことではないだろうかと思います。
皆さんは知っているでしょうか?皆さん狙われています。私たちはみんな狙われているんです。その敵意というものを、私たちはどれだけ意識しているでしょうか。今日のメッセージはこの敵である悪魔をはっきりと自覚する、そういう時にしたいなという風に思います。その自覚がなければ勝利する事はできません。相手を自覚しなければ、誰と戦っているのか分からなければ、私たちは勝利できません。気づかないうちに負けてしまっている、敗北してしまっているということがないように、私たちは御言葉を通して、しっかりとこの敵を認識するようにしたいと思います。
3.悪魔の特徴
私たちの敵である悪魔とはどんな存在でしょうか。三つの特徴があるということを覚えたいと思います。
それはまず「強い敵」であります。
2番目に「悪い敵」であります。
3番目に「ずる賢い敵」であります。
①強い敵
まず第一にサタンは強い敵です。パウロは今日の箇所においてエペソの教会の信徒たちに、「強められなさい、堅く立ちなさい、そして神のすべての武具を身につけて武装しなさい」と、命じております。これらの言葉はみんな私たちの敵である悪魔が非常に強いということを表しています。この後でどのように武装したらいいのかという具体的な指示が出てくるんですけれども、その箇所を読みますと、頭のてっぺんから足のつま先まで、全部そうしなさいと命じられていることがわかります。敵に攻撃されやすい隙間を作ってしまうことがないように、全身を神のすべての武具で被いなさいと、命じられていることがわかります。これらの記述は、悪魔がいかに強いかということを表しております。
この悪魔について、聖書でいろんな言葉で表現されていますけれども、例えばエペソ書の2章では、「空中の権威を持つ支配者」という言葉で紹介されていました。コリント人への手紙を読むと、「この世の神」という言葉で悪魔が紹介されていることがわかります。ペテロの手紙を読みますと、「ほえたける獅子」という言葉でこの悪魔が紹介されております。黙示録を読みますと、「大きな赤い竜」という言葉で、悪魔が紹介されています。
いろんな言葉で紹介されてるのですけど、これらの言葉はみんな悪魔の持つ「凶暴性・どう猛さ」そして「悪魔の強さ」というのを表しております。そして今日の聖書の箇所である6章12節においても、
「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいる諸々の悪霊に対するものである。」ということが、教えられています。
これらの記述を通して私たちの敵である悪魔は、実に強いということがわかる。私たちがまともに戦って勝てるような相手ではないということです。そのことを私たちはまず第一に覚えたいと思います。
②悪い敵
二番目に悪魔は悪い敵です。強いだけではない悪い敵です。サタンのすること、狙っていることとは何でしょうか。それは壊すことです。破壊することです。あるいはバラバラにすることです。私たちを混乱させることです。そのようにして、私たちと神様との信頼関係を壊してしまい、私たち同士の信頼関係さえも壊してしまう、それが悪魔が狙っていることです。
神様が歴史の中で進めておられる働きはどんな働きでしょうか。それは一言で言うならば、集める働きであると言って良いと思いますね。そのためには私たち一人ひとりを選んで、救いだし、ご自分の元に引き寄せて、私たちが互いに愛し合うこと、許し合うこと教えてくださいました。私たちはご自身のからだである教会に連ならせ、そこに神の国を表すということこれが神様のお働きですね。歴史の中でずっと進展しているお働き、それは一言で言うならば集める働きであると言って良いと思います。
その一方で悪魔が企んでいるのはどういう働きか。それは私たちをバラバラにすることです。私たちの心に神に対する不信を吹き込み、愛しあおうとしている私たちの心を、不満や憤りや、憎しみで満たすこと、つまり神様と全く逆のことをしようとしている、それが悪魔の働きであるということです。神の働きを妨害すること、妨げること、これが一番狙っていることです。
そのために平和が戦争に変わってしまい、秩序が混乱に変わってしまい、愛が憎しみに変わってしまう、そして私たちの信仰を台無しにし、神さまからわたし達を引き離し、神中心だった私たちが、もう一度、自分中心に戻ってしまう、そういうことが、私たちの中にいつでも起こりうることじゃないかなと思います。
この悪い悪魔が、今、世界中で猛威を振るってるんではないでしょうか。そして私たちの周りでも、私たちに対しても、同じように猛威を振るっているんではないでしょうか。私たちは気をつけていないと、いつでもこの悪魔の仕打ちにやられてしまう。私たちの敵である悪魔は、実に悪い敵であるということを心に留めようではありませんか。
③ずる賢い敵
そして三番目に私たちの敵である悪魔は、「ずる賢い敵」です。ずる賢さがこの悪魔の特徴です。11節にパウロは、「悪魔の策略に対して固く立つことができるようにすべての武具を身につけなさいとい。」と命じております。
ここで「策略」っていう言葉を使っていますね。パウロは「悪魔の攻撃に対して」とは言いませんでした。「悪魔の策略に対して 」堅く立つことができるようにと言っています。この策略っていう言葉が、悪魔のずる賢さというものを表しております。その悪魔のずる賢さは悪魔が聖書の中に初登場してきた創世記3章においても、しっかりと表されております。あの場面、蛇がエヴァを誘惑した場面ですけれど、創世記3章、よく覚えてると思うんですけれども、あの時に蛇はあからさまにエヴァを攻撃しませんでしたね。誘惑しました。巧みな言葉でエヴァを誘惑して、そしてエヴァの心をしっかりと捉えてしまった。
あの言葉の一つ一つに、悪魔のずる賢さというものが表されております。あの時に蛇はエヴァにこう言ったんです。「園の木のどれからも食べてはならないと神は本当に言われたのですか?」と問いかけたんです。これはつまり、エヴァが神様の言葉を聞いてるわけですけれども、その言葉に対して疑念を抱かせるそういう誘惑であったという事が分かりますね。神様は人に「あなたは園の木のどの木からでも思いのまま食べて良い。ただ善悪の知識の木から食べてならない。」と、ハッキリと語られておりました。
ところがサタンは、エヴァに対して、本当に神はそう言ったんですかと、あたかもそう言っていないかのような、そういう疑念をエヴァの心の中に抱かせているということがわかります。悪魔が私たちに対して仕掛けてくる策略というのは、私たちの内に、みことばに対する疑いを引き起こすという、そういう策略であります。その事を通して、私たちの神の言葉に対する信頼を壊してしまう。本当にはっきり、間違いなく語られているのに、その御言葉を聞こえなくさせてしまう、本当にそう言っているんだろうかと疑わせてしまう、そういう霊的な力が働いているって言う事を、私達は意識したいと思います。
・私達の惨めさに付け込む悪魔
先週のメッセージは「子ども祝福式」でしたけれども、あの時に私たちは学びました。
私たちが神の形として創造された一人一人なんだということを、御言葉を通して学びました。私たち一人ひとりが神の形として、神に似せられて作られている。それくらい私たち一人一人は、神様にとって大事なんだよ、尊い存在なんだよっていう、そういうメッセージをいただきました。
そしてそのことをイエス様は、証明してくださいましたね。イエス様が私たちのために十字架にかかって死んでくださったというのは、それだけ私たちが神様にとっては大事な一人一人なんだということです。
そして聖書の色んな所に御言葉が記されてあって、例えば「私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛してる。」といって、すでに神様は私たちに語りかけてくださっている。本当に一人一人が尊い存在なんだ、これくらいはっきりと御言葉が語られているはずなのに、時々私たちはその言葉を信じられなくなることがありますね。自分の弱さ、醜さ、至らなさに失望して、落ち込んだりして、そういう自分を示されると、こんな自分が本当に愛されているんだろうか、こんな自分が許されているんだろうか、自分はいつまでたってもダメな人間だなどと、神様が間違いなく愛してるって言ってくれてるのに、一人一人が大事だってはっきりと言ってくれてるのに、それが信じられない、そういうことが起こるんじゃないでしょうか。
そのために私たちは信じられなくて、自分はダメだダメだと自分を責めて、いつでも敗北を繰り返して、どんどんどんどん自分が問題にとらわれて、神様が信頼できなくなっていく。その時は悪魔が大喜びしているっていう事を私達は意識しなければいけない。
悪魔は、私たちの人間としての弱さ、醜さ、惨めさ、罪深さを、私たちに必要以上に大きく見せようとしますね。 抱えてる問題を、必要以上に大きく見せようとします。そしてその問題に、私たちの意識が、釘付けにされるように働きますね。それによって私たちを、自分の思いの虜にしてしまって、神様なんか全然信頼できなくなるようにしてしまう、そういう策略があるという事を私達は覚えようではありませんか。その策略を私達はしっかり断ち切らなければいけないんです。
・私達のプライドを刺激する悪魔
御言葉は間違いなく語られています。神の言葉は生きています。そのことを私達はもっともっと聞かなければなりません。御言葉によって私たちは解放されるんです。そのことを私たちは信じたいと思います。また創世記の三章にもどるんですけれども、蛇はまたエバにこんなことも言ったそうです。「あなた方は決して死にません。それを食べる時あなた方は目が開かれて神のようになって善悪を知る者となることを神は知っているのです。」と、そういう言い方もしました。このへびの言葉には悪魔の持つもう一つのズル賢さが表されております。それは私達のプライドを刺激するという、そういうずる賢さです。悪魔は私たちの心の中に何があるのかよくわかっている。私たちの心の傾向を全部知っています。私たちの心の中に、神さまを信じていても、心の深いところには「神様のようになりたい」願望を持っているということ、神様に頼らなくても、祈らなくても、自分で全部完結したいという願いを持っているということを悪魔はよく知っているんです。その部分を攻撃してきます。そのようにして私たちの心を知らず知らずのうちに昂ぶらせてきます。そういう策略があるということを私たち是非覚えたいなと思います。
これも旧約聖書の中に出てくる話なんですけど、イスラエルの王になったダビデが、あるときに人口調査をしてしまうということがあったんです。一国の王様が自分の国にいったい何人の国民がいるかを調査するということは何も問題が無いように思えます。でもこれが神の御心を著しく損ねる、御心に反する罪だった。そのためにダビデはたいへんな罰を受けることになったということが第一歴代誌21章1節に出てきます。なぜダビデは人口調査しようとしたのか?その動機について聖書はこう語っています。「さてサタンがイスラエルに向かって立ち上がりイスラエルの人口を数えるようにダビデをそそのかした。」ダビデが人口調査しようと思ったそのきっかけは、ダビデがサタンにそそのかされたからだということを聖書は語っています。おそらくダビデのうちには自分自身の力を誇りたいという気持ちがあったんではないでしょうか。イスラエルという立派な国を築くことができましたね。その王さまになりました。それは全部神様から与えられた恵だった。でも彼はあたかも自分の力で築き上げたと思いたい、そういう願いが彼のうちにあったんではないでしょうか。その部分をそそのかされてダビデは人口調査したくなったんではないでしょうか。こんなにたくさん、人々がいる。すごい国を僕は作った。ダビデの心の中に何があるかサタンは全部知っていたんです。その部分を刺激してきた。その結果あんなに謙遜だった、あんなに主にへりくだって仕えてきたダビデが昂ってしまった。
悪魔は実に巧妙です。私たちの弱さや罪深さを大きく見せて、私たちを落ち込ませたかと思えば、今度は一転して私たちのプライドを刺激して私たちを昂らせます。そして結果的に私たちは神を信頼することが出来なくなるのです。実に、ズル賢い敵ではないでしょうか。私たちも気を付けなければいけないなと思います。
私たちはおそらく、自分が苦手だなぁと思っているところで、失敗することは、あんまりないんじゃないかなと思うんですね。私たちは苦手だなぁと思ってる時は、祈ります。一生懸命、神様助けて下さいと祈ります。もう本当に緊張して、自分が苦手だなと思ってる時は、神様が身近なんですね。信頼できるんです。祈るんです。
ところが得意だなと思ってるところは、是非注意してください。自分はこれが得意だ、これが好きだ、そういうところで失敗することは多いですね。
どうしてかというと、そういう時は祈らないですね。神様に祈らなくても、頼らなくても、もう自分で十分できます、神様。そんな気持ちですね。自分でやって失敗するんですね。そうやってだんだん昂ぶっていく。
悪魔は、全部私達の事を知っているんですね。私達はある時には、落ち込ませられたり、ある時はプライドを刺激されて高ぶらせられたりして、コントロールされています。私たちの敵である悪魔は、実にズル賢い敵であるということを、ぜひ覚えたいと思います。
このように私たちの敵である悪魔は、強い、悪い、そしてずる賢い敵であります。この敵が、私たちを絶えず狙っています。私たちに対して策略を以って、私たちを攻撃してきます。誘惑してきます。このような敵に対して、私たちはどんなに懸命に戦っても勝つことができない。全然歯が立ちません。
・神の大能の力によって戦いなさい
しかし聖書はわたしたちに命じているんですね。この敵に立ち向かいなさい、武装しなさい、戦いなさい。全然歯が立たない敵なのに、戦いなさいっていうのじゃないでしょうか。矛盾してるんじゃないでしょうか。そんな感じがしますけれども、でもそういう風に聖書は命じています。
そこで今日は最後に、この敵と私たちがどう戦ったらいいのか、そのことを覚えて終わりにしたいと思います。
その原則的なことだけ覚えて確認してもらいたいと思います。
具体的なことは、いろいろあります。私たちがどのように武装したらいいのか?その武装のいろんな具体的な事例は後で出てくるんですけども、その前に、原則的なことを教えられています。パウロはいつもそうですね。具体的なことを教える前に、必ず原則を教えます。その原則を教えた後で、具体的なことを指示していく。これがパウロの一つの方法ですけれども、このところでも全く同じであるということが分かります。
その原則的なことを今日覚えたいと思いますが、どのように戦ったらいいでしょうか?10節の言葉を読んでみたいと思います。
「終わりに言います。主にあってその大能の力によって強められなさい。」
これが私達が悪魔と戦う時の原則です。私たちが具体的な事をあれこれ考える前に
、まず私たちが考えなければならないこと、覚えていなければならないことは、これです。主にあって、私たちはその大能の力によって、強められなければならない。この事を私達今日覚えたいと思います。この言葉は、私たちと悪魔との戦いは、私たちと神様との共同戦線であるということを教えております。戦うのはあくまでも私達なんです。私たちの気持ちとしては、全部神様戦ってください、全部代わりに戦ってください、私は外野で応援してますから、なにかそんな気持ちになるところかなと思うんですけど、そうではないですね。やっぱり戦うのは私達なんですね
。でも私たち一人で戦ってるわけではない。主なる神様と共に戦います。しかもその神様はどんな方なんでしょうか。この方は全能なる神様です。力と知恵に富んでいる方です。不可能なことは何一つない方です。 その方の大能の力によって強められなさい。
大切なことは、私たちがこの主のもとにいるって言う事ですね。主とともにいるということです。そしてこの方から離れないっていうことです。主にあって強められなさいと命じられています。もし、私たちが主から離れてしまったら、強められることはないですね。私たちが主から離れていってしまったら、もうそこで神の言葉は聞こえなくなってしまいます。神の力を経験することができないです。ですから私たちは、主から離れては、いけないですね。主のもとにいなければいけない。その時に主は私達を強めてくださる、力づけてくださる。ですから私たちはこの方の声がちゃんと聞こえるところに、いなければいけないですね。この方の言葉、この方の声がはっきり聞こえるところ、そしてああ、主がこう語ってくださったと、それをしっかりと信じることのできるその場所にいなければいけない。いつも一緒のすぐそばにいなければいけない。その時に私たちは、主の大能の力によって、満たされるということ、そしてその主が共に戦ってくださるという確信をいただいて、この敵と立ち向かうことができる、そのように教えられていることを心に留めようではありませんか。
4.まとめ
私たちの敵である悪魔は、強い、悪い、ずる賢い、とても私たちにはかなう相手ではないけれども、でも私たちと共にいてくださる主は、もっと強い方、もっと力と知恵に満ちている方、この方がいればサタンも逃げていきます。もう知ってるんですね。悪魔も知ってます。そのように聖書の中に出てきますね。イエス様がどんなに偉大な方であるかっていうことを、サタンも知っているから逃げて行きます。この方のすぐそばに私たちは居続けようではありませんか。この方から決して離れることがないように、主にあってその大能の力によって強められる私達でありたいと思います。
お祈りをいたします。神様、エペソ人への手紙の御言葉も、最後に近づいてきました。そして最後にとても大切なことを教えてくださったことを感謝いたします。私たちが意識しないところで、様々な攻撃、策略が巡らされて、私たちは絶えず誘惑されております。知らないうちに敗北してしまうことも多い私たちですけれども。今日その敵が誰であるか、どんな敵であるか、教えてくださいました。そのために私たちは、本当に強められなければならない必要を教えてくださいました。どうかこのことを私達がよく受け止めて、しっかりとあなたにより頼み、あなたの元から離れることがないように、いつもあなたの御声を聞かせてくださいますようにお願いいたします。御言葉を心から感謝して、イエスキリストの御名によってお祈りをいたします 。