神の主権による支配

私は、傍らに立っていた者たちの一人に近づき、このことすべてについて、彼に願って確かめようとした。すると彼は私に答えて、そのことの意味を告げてくれた。
『これら四頭の大きな獣は、地から起こる四人の王である。
しかし、いと高き方の聖徒たちが国を受け継ぎ、その国を永遠に、世々限りなく保つ。』
それから私は、第四の獣について確かめたいと思った。それは、ほかのすべての獣と異なっていて、非常に恐ろしく、牙は鉄、爪は青銅で、食らってはかみ砕いて、残りを足で踏みつけていた。
その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が抜け落ちた。その角には目があり、大言壮語する口があった。その角はほかの角よりも大きく見えた。
私が見ていると、その角は聖徒たちに戦いを挑み、彼らに打ち勝った。
しかしそれは『年を経た方』が来られるまでのことであり、いと高き方の聖徒たちのためにさばきが行われ、聖徒たちが国を受け継ぐ時期が来た。
彼はこう言った。
『第四の獣は地に起こる第四の国。
これは、ほかのすべての国と異なり、
全土を食い尽くし、
これを踏みつけ、かみ砕く。
十本の角は、この国から立つ十人の王。
彼らの後に、もう一人の王が立つ。
彼は先の者たちと異なり、
三人の王を打ち倒す。
いと高き方に逆らうことばを吐き、
いと高き方の聖徒たちを悩ます。
彼は時と法則を変えようとする。
聖徒たちは、一時と二時と半時の間、
彼の手に委ねられる。
しかし、さばきが始まり、
彼の主権は奪われて、
彼は完全に絶やされ、滅ぼされる。
国と、主権と、天下の国々の権威は、
いと高き方の聖徒である民に与えられる。
その御国は永遠の国。
すべての主権は彼らに仕え、服従する。』
ここでこの話は終わる。私ダニエルは、いろいろと思い巡らして動揺し、顔色が変わった。しかし、私はこのことを心にとどめた。」
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4–2–3号
私たちは今までダニエル書の前半部分に注目しながら、ダニエルの生涯と信仰について学んできました。振り返ってみると、本当に過酷な生涯だったなと思います。
ダニエルは、自らの人生を悲観したことはなかったのだろうかと考えてみました。「もっと良い時代に生まれたかった。ソロモンが治めていた頃の、イスラエルが繁栄していたあの時代に生まれたかった」と願わなかっただろうか。
ダニエルは、よりによってイスラエルが滅亡するという、大きな混乱と苦難の時代を生きるように定められた人だったと思います。そして、少年の頃に祖国から引き離され、バビロンという国に連れていかれ、異教世界のただ中で生きることを強いられました。自分の人生の意味について考えたりしなかっただろうかとも思います。
必死になって神にすがりながら生きてきました。しかし、「なぜこんな試練がずっと続くのか」「自分が今、生かされている意味は何なのか」と自問することはなかったのでしょうか。もし私がダニエルの立場だったら、きっと考えたことでしょう。過酷な人生だったと思います。
しかし、私たちが今、ダニエル書の後半に目を向けると、一つ見えてくることがあります。神は、晩年を迎えたダニエルに夢と幻を見せてくださいました。そして、その夢と幻をダニエルは書き留めました。そのような人生の展開を見ると、「ダニエルはまさに、この時のために、この務めのために、今まで生かされていたのではないか」と思わされます。
ダニエルは、自分が生きている間に祖国イスラエルが滅び、さらに連行されてバビロンに連れてこられました。しかし、そのバビロンも滅ぶという経験をしました。生きている間に、自分の属している国が二度も滅んでしまう経験をしたのです。
人間が築き上げる国がいかに儚いかということを、ダニエルほどよく知っている人はいないのではないでしょうか。そのダニエルに、神はこの世の国々の儚さと、永遠に続く御国の確かさを、夢と幻を通して示してくださいました。
この記述を通して、私たちは今の時代をどのように見たらよいのか、そしてこれからの時代をどのように生き抜いていくべきか、重要な視点を与えられます。後の時代に続いていく大切な務めのために、ダニエルの人生は与えられたのだと気づかされるのです。
神様は、私たちにも同じように関わってくださる方です。私たちの人生にもさまざまな経験が与えられます。そうした経験を通して、神は私たちを養い、育て、整え、永遠のご計画の中で大切な務めを託してくださるのだと思います。
私たちは、それぞれの人生において、与えられた務めに励む者でありたいと思います。
さて、前回は7章の前半部分に注目しました。それは、ダニエルが夢と幻を見た場面でした。その夢と幻には、4頭の獣が海から登ってくるという情景が描かれていました。そして、その後に「年を経た方」と言われる方が現れ、獣たちに裁きを下します。そして、「人の子のような方」と呼ばれる方が天の雲とともに来られ、永遠の国を築いてくださるという内容でした。
その夢と幻を見た時のダニエルの反応が、15節に記されています。彼はその夢と幻を見て、どう感じたのでしょうか。
15節にはこう書かれています。
「私ダニエルの心は、私の内で悩み、頭に浮かんだ幻は私を怯えさせた。」
ダニエルは、夢と幻を見て悩み、怯えました。それほど、その夢や幻は強烈で衝撃的な内容だったのです。しかも、ダニエルはその夢と幻の意味がわかりませんでした。自分の見た夢を解き明かすことができなかったのです。
16節を見ると、ダニエルは傍らに立っていた者の一人に近づき、その意味を教えてもらうようお願いしました。この「傍らに立っていた者」とは誰だったのでしょうか。
おそらく、ダニエルの夢と幻に現れた御使いの一人だったのではないかと考えられます。それが、17節と18節の内容です。
そこには、こう記されています。
「この四頭の大きな獣は、地から起こる四人の王である。しかし、いと高き方の聖徒たちが国を受け継ぎ、その国を永遠に、世々限りなく保つ。」
この視点はとても興味深いですね。ダニエル書と黙示録を重ね合わせながら、試練の時期とその終わりを見ていくと、信仰者にとっての希望がより鮮明になりますね。
3年半という期間が「限定された試練の時」として繰り返し聖書に出てくるのは、確かに重要なポイントです。どれほど権力者が横暴にふるまい、信仰者を苦しめても、それが無限に続くわけではなく、神の支配が最終的に確立される、という希望が根底にあるんですよね。
この試練の期間をどう生きるか、ということも大きなテーマになりますね。試練の中でも信仰を持ち続けること、神のご計画を信じ抜くことが、まさにダニエルや彼の同胞たちが模範として示してくれたことなのかもしれません。
また、ダニエル自身が夢や幻を見た後に「悩み、怯えた」という描写があるのも、人間としてのリアルな感情が伝わってきて共感できますよね。それでも彼は神の言葉を求め、解き明かしを受け、さらに理解を深めていくという姿勢が示されているのは、私たちが試練の中でどう向き合うべきかを示唆しているのかなと思います。
これは、地から起こる四人を表しているということ。しかし、この方の聖徒たちが国を受け継ぎ、その国を永遠に、世を限りなく保つということ。
そのような、これから起こることの全体像を、ダニエルは解き明かしとして、この者より教えてもらったということであります。
それを聞いた上で、ダニエルの関心は第四の獣に向かっていったということが分かります。彼の心をとらえたのは、第四の獣の姿でありました。
十九節と二十節に、それが記されております。読んでみます。
「それから私は、第四の獣について確かめたいと思った。それは他のすべての獣と異なっていて、非常に恐ろしく、牙は鉄、爪は青銅で、食らっては噛み砕き、残りを足で踏みつけていた。その頭には十本の角があり、もう一本の角が出てきて、そのために三本の角が抜け落ちた。その角には目があり、大言壮語する口があった。その角は、他の角よりも大きく見えた。」
記されています。
これは非常に恐ろしく、牙は鉄でできていて、爪は青銅でできていて、食らっては噛み砕き、残りを足で踏みつけていた。そういう姿が描かれています。
それまで三つ出てきた獣も、かなり凶暴でしたけれども、この第四の獣はさらに凶暴で、その残忍さが際立っていたということが言えると思います。
その頭に十本の角があって、そしてその後、一本の角が出てきたときに、三本の角は抜け落ちた。一本の角には、目と大言壮語する口があったと示されている。
「何なのかな?」と私たちは非常に不思議に思うわけですけれども、二十四節まで行くと、その解き明かしがなされていることが分かりますね。
十本の角というのは、この国から、多分十人の王を表していました。その中の三人の王を倒して、一人の最強の王が現れるということであります。
それが一本の角という言葉で表されている。権力者が現れてくるということが、ここに示されていることであります。
そして、この最後に出てくる一本の角の特徴について、ダニエルがさらに二十一節で、このように書き記しているんですね。
二十一節「私が見ていると、その角は聖徒たちに戦いを挑み、彼らに打ち勝った。」と出てきます。
その一本の角は、聖徒たち――つまり、この地上で神を受け継ぐ信仰者たちのことを表していますが、その信仰者たちに戦いを挑んでくるということ。
そして、信仰者たちは彼に打ち負かされてしまうということが、確認されています。信仰者たちにとっては、大変大きな苦しみの時がやってくるということ。そのことが、ここで示されていると考えられます。
その夢と幻の解き明かしが、二十五節に出てくることですね。
「いと高き方に逆らう言葉を吐き、いと高き方の聖徒たちを悩ます。彼は時と法則を変えようとする。聖徒たちは、一時と二時と半年の間、彼の手に委ねられる。」
で、この一本の角と表される権力者は、いと高き方に逆らう言葉を吐く。これは、神を冒涜する言葉を吐くという意味だと思いますね。
そして、いと高き方の聖徒たちを悩ませる。しかも、彼は法則を変えようとする。そういうことまでするって、ずいぶん横暴な権力者であると思います。
そして、聖徒たちはしばらくの間、彼の手に委ねられる。この一本の角と呼ばれる権力者の手の中に、委ねられてしまうと示されているんですね。
で、「ひと時とふた時と半年の間」って、三年半を表していると考えられておりますね。それは例えば、「四十二か月」という言葉だったり、「千二百六十日」という言葉になって出てくる場合もある。
いくつかの言葉が出てくるんですけれども、全部それは三年半を表しているんですね。
黙示録全体を理解するために、とても大事な数字だというふうに言われていますけれども、黙示録を読んでいるときにですね、この三年半という時は、どういう時を表しているのか?
見えてくることは、それは地上の教会が苦しみを経験しなければならない時である、ということが見えてくることであります。
例えばですね、黙示録十三章五節に、こんな言葉が出てきます。
「この獣には、大言壮語して冒涜する言葉を語る口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。」
四十二か月の間、活動する権威が与えられます。この三年半の時間というのは、獣がこの地上で神を冒涜し、そして神の聖徒たちを苦しめたり、悩ませたりするという時間であるということ。
それが、黙示録にも出てくることであります。
そのような、大変厳しい時を過ごさなければいけないということなんですけれども、でも、黙示録を丁寧に読んでみると、そこにも神の守りがしっかりあるということが分かります。
そして、それは私たちの信仰が、とても強められる時でもあるし、そして何よりも、それはずっと続く時ではないんですよね。
永遠に続いていく時ではなくて、三年半という、限られた、限定された時間であるということが、黙示録においても示されていることであります。
この時間は限定された、限りある時間であるということが教えられていることであります。さばきが始まるまでのことであり、生徒たちのために裁きが行われ、「聖徒たちが国を受け継ぐ時期が来た。」と書いてあります。
神の聖徒たちにとって苦しみの時は、年を経た方が来られるまでのこと。その後で、いと高き方が聖徒たちのために裁きを行うことが、ここに示されている。
26節「しかし、裁きが始まり、彼の主権は奪われて、彼は完全に絶やされ、滅ぼされる。国と主権と天下の国々の権威は、高き方の聖徒である民に与えられる。その国は永遠の国、全ての主権は彼らに仕え、服従する。」
ここに書かれてある御言葉、この予言の言葉は、イエス様、イエス・キリストが来られた時に成就したと考えられます。イスラエルの民にとって、これからしばらく厳しい時代が続いていきます。4つの獣で表される国々が順番に現れ、そして特に4番目の獣はとても獰猛で、聖徒たちはその4番目の獣によって本当に苦しまなければいけないんですよね。
いと高き方と言われる方が裁きの座について、獣たちを裁かれる時が必ずやってくる。そして、その前に「人の子」のような方と呼ばれる方が来られて、永遠の国を築き始める。その時に、それまで続いていた苦しみの時が終わり、御国の建設が始まる。新しい時代が始まったということ。これは、イエスがした預言であったということが言えると思います。
私たちにとって、もしかしたら過去のことなのかもしれません。もうすでに終わったことなのかもしれません。イエス様が来る前の、そのような時だったのかもしれない。でも、同時に私たちにも言えることは、この3年半は続いているということが言えるのではないでしょうか。
今、もしかしたら私たちはそのような3年半と向き合わされているのかもしれない。やってくるのかもしれない。1つの角と言い表される権力者によって、信仰者たちが本当に苦しめられ、悩まされる。そういう時代が、もしかしたらこれからやってくるのかもしれない。
今の世界の状況を見渡しながら、本当に世界で何が起きているかを考えていく時に、闇の力、人間の力が今、世界中を覆い尽くそうとしているような、そういう様相だと思いますね。しかし、それはいつまでも続くわけではないんですね。限られた時間なんです。「3年半」と主が定められた、その時間の中で起きることです。そして、必ず裁きの時が来るんです。全てが神様のご計画の中に納められています。
「人の子」のような方が天の雲に乗って再臨の時は必ずやってくる。そして、その時に裁きがなされ、この世の権力者たち、獣たちは全て滅ぼされる。そして、その時に私たちに御国が引き継がれ、主のご計画の中ですべてのことがなされているということを、私たちはしっかりと御言葉を通して信じ、今の時代をどのように見ていくか、これからの時代をどうやって生き抜いていくべきかを、聖書から教えられていくものでありたいと思います。
ダニエルは、このような夢と幻を神から見せていただいて、しっかり書き記してくれました。今の時代をどう生きていったらいいか、どう見ていったらいいか、そしてこれからの時代をどう生きていったらいいか、何を大切にしていったらいいか。
そして今、私たちはその御国の民として選ばれ、この地上にあって御国の民として生きる生き方が与えられました。今までと全く違う新しい価値観が与えられ、今までは自分のために生きてきたけれども、もう今は主のために、神の栄光のために生きる生き方に変わったんですよね。
必ず戦いがあります。試練があります。この世の闇の力が迫ってきて、私たちは苦しまなければいけないこともあります。必ず悩まされるんですね。でも、私たちはその中にあって希望を失ってはいけないと思います。全ては御手の中にあります。全ては主のご計画の中にあることです。苦しみの時はいつまでも続かない。必ず終わりが来ます。
そして、イエス・キリストが戻ってきて、必ず裁きがなされる時が来ます。
その日を私たちは待ち望みながら、今あるところで信仰を持って忍耐をしながら、待ち望みつつ、主が来ることを楽しみにしながらお仕えしていくものでありたいと思います。
ぜひ、そのような日が来ることを本当に待ち望みながら、希望を失うことがありませんように。目の前の様々な事柄、様々な戦いの中にあっても、そこにも主が共にいてくださることを忘れることがありませんように。
御言葉により頼みながら、そしてやがて来る栄光の日を待ち望みながら、与えられている一日一日を、主にあって誠実に歩んでゆくものでありたいと思います。
お祈りをします。
天の父なる神様、この地上にあって私たちを御国の民としてくださったことを覚えて感謝します。
御国の民である私たちには、この世でいろんな戦いがあります。試練があります。艱難があります。でも、その中にあって主が確かに私たちを守ってくださり、そして信仰を養ってくださる方であることを覚えて、ありがとうございます。
そして、全ては主の御手の中にあることです。いつか必ず主は来られ、さばきがなされ、そして御国が完成します。その時に私たちは、主と共にこの世を統べ治めます。そのような日が来ることを待ち望みながら、今のその時を希望を持って、信仰をもって待ち望めることができるように支え、励ましてください。