イエス・キリストをより良く知るために

列王記4章20~34節

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。
ユダとイスラエルの人々は海辺の砂のように多くなり、食べたり飲んだりして、楽しんでいた。ソロモンは、あの大河からペリシテ人の地、さらにエジプトの国境に至る、すべての王国を支配した。これらの王国は、ソロモンの一生の間、貢ぎ物を持って来て彼に仕えた。ソロモンの一日分の食糧は、上質の小麦粉三十コル、小麦粉六十コル。それに、肥えた牛十頭、放牧の牛二十頭、羊百匹。そのほか、雄鹿、かもしか、のろ鹿、そして肥えた鳥であった。これはソロモンが、あの大河の西側、ティフサフからガザまでの全土、すなわち大河の西側のすべての王たちを支配し、周辺のすべての地方に平和があったからである。ユダとイスラエルは、ソロモンの治世中、ダンからベエル・シェバに至るまでのどこでも、それぞれ自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して暮らした。ソロモンは、戦車用の馬のために馬屋四万、騎兵一万二千を持っていた。守護たちはそれぞれ自分の当番月に、ソロモン王、およびソロモン王の食卓に連なるすべての者たちのために食糧を納め、不足させなかった。また彼らは、引き馬や早馬のために、それぞれ割り当てにしたがって、所定の場所に大麦と藁を持って来た。神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。ソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵にまさっていた。彼は、どの人よりも、すなわち、エズラフ人エタンや、マホルの息子たちのヘマン、カルコル、ダルダよりも知恵があった。そのため、彼の名声は周辺のすべての国々に広まった。ソロモンは三千の箴言を語り、彼の歌は千五首もあった。彼は、レバノンにある杉の木から、石垣に生えるヒソプに至るまでの草木について語り、獣、鳥、這うもの、そして魚についても語った。彼の知恵のうわさを聞いた世界のすべての王たちのもとから、あらゆる国の人々が、ソロモンの知恵を聞くためにやって来た。( 列王記 第一 4:20-34 SKY17 )

概略
列王記上4章20~34節は、ソロモン王の時代の「国民の豊かさ」「国の平和」「王の知恵の卓越さ」をまとめて示している箇所です。​

民と国民のこだわり
ユダとイスラエルの民は「海辺の砂」のように非常に多くなり、よく食べ、よく飲み、楽しんで暮らしていたと描かれています。ソロモン
はユーフラテス川(大河)からペリシテ人の地、エジプトの国境に渡るまで広い範囲を治して、多くの周辺諸国が彼に貢ぎ物をし続けたことで、王室には豊富な品揃えと家庭が常備されていました。​

平和と安全な暮らし
この時代、ダビデの頃のような絶え間ない戦争はなく、ソロモンは川の西側の諸王たちを治め、周囲一帯に平和が守られていました。
民は「ぶどうの木といちじくの木の下に、安心して座る」という表現で、国のすみずみまで安全で安定した生活を楽しんでいたことが示されています。​

ソロモンの知恵の賜物
神はソロモンに非常に大きな知恵と英知、そして「海辺の砂のように広い心」を与えて、その知恵は東方のすべての人やエジプトの知恵も以前とされています。彼は多くの箴言や話し作り、植物や動物について語るほど幅広い知識を持ち、その評判を聞いて、世界の王たちや人々が彼の知恵を聞いてしっかりと結ばれています。​

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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

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