光の子どもとして歩みなさい

エペソ人への手紙5章8~10節エペソ人への手紙5章8~10節

 


【1】 聖園教会と子ども伝道 

聖園教会の60年の歴史を振り返って確認できる一つのこと、それは教会が60年間、子ども伝道に励んできたということです。キャンプ伝道、ひかり幼児教室、まり子さんと遊ぼう…そして何よりも教会学校。教会は始まった時から子ども伝道に取り組み、その働きを60年間継続してきました。 特に地域に対して大きな祝福となったのが「ひかり幼児教室」です。この働きは18年間も続き、多くの子どもたちとその父兄たちに福音を伝えるために大きく用いられました。そして、教会が地域からの信頼を得る結果となりました。 「ひかり幼児教室」の名前には、子どもたちが暗い時代の中にあっても、光の子どもとして歩んでほしい、との教会の願いと祈りが込められていたと思います。教会はこれからも子ども伝道を大切にしていかなければなりません。子どもたちが光の子どもとして歩んでいけるように、これからも祈り続けたいと思います。 

【2】 光となった 

エペソ書の中でパウロは言いました。「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました(8)」 以前は闇であった私たちが、今は光となった、とパウロはここで教えています。 パウロは私たちが「闇の中から光の中へ移された」とは語っていません。光と「なった」と言いました。これは環境や状況の変化ではありません。私たち自身の本質が変わった、180度変わったということを表しています。 私たちは、以前は闇でした。罪の中にあってこの世の流れに従い、悪に支配され、自分の肉の欲のままに生きる一人ひとりでした。それゆえに生まれながらに神の御怒りを受けるべき子らでした(2の2~3)。 しかし、その私たちが光に変えられました。暗闇の支配から解放され、神の恵みの中で歩む者に変えられました。どのような方法によってそうなったのでしょうか。「主にあって」です。主にあって私たちは光となりました。信仰によってキリストにつなげられ、キリストと一つになったことのゆえに私たちは光とされたのです。 光となった私たちに求められていることは何でしょうか。光の子どもとして歩むことです。光の子どもなら歩みます。そのように導かれます。私たちはこのような偉大な変化が私たちの中で起きたことをどれだけ知っているでしょうか。

私たちは信仰者なのに力強く歩むことができない時があります。キリスト者として救われた恵みに感謝しつつ、それなのに信仰者として生き生きと歩むことができないのです。 どうしてでしょうか。私たちの中で起きた大きな変化に関して十分な自覚がないからです。それゆえに自分が「光の子」であるとの認識が強くありません。その結果、信仰者として喜びをもって歩むことができないのです。 私たちは「光の子」です。「光の子」であるならば歩みます。健全な自己認識が、信仰者としての健全な歩みを生み出すことを覚えたいと思います。

【3】 光は実をむすぶ 

「光の子どもとして歩む」とは、具体的にはどのようなことでしょうか。それは実を結ぶことです。パウロは「光は実を結ぶ」と語りました(9)。私たちが光であるならば、必ず実を結びます。それが光の必然的な結果であると、パウロはここで主張しているのです。 しかも「あらゆる善意と正義と真実のうちに」実を結びます。これはキリストのご性質が私たちを通して現わされることを意味しています。これらは私たちから生まれてくるものではありません。キリストとつながっていることゆえに自ずと与えられる結果です。ここに人間の努力は微塵も含まれていません。光の子なら必ずそうなります。必ず実を結びます。キリストのご性質が私たちを通して必ず与えられます。それは私たちが主と一つとなり、光の子どもとして明確な自覚が与えられていることの結果なのです。

【4】 主に喜ばれることの吟味 

そのような祝福を私たちが見るために、注意しなければならないことが一つあります。それは「何が主に喜ばれることなのかを吟味すること」(10)です。私たちのうちにある何が主に喜ばれることなのかを精査し、テストし、吟味することが私たちに求められています。 ここでは、主に喜ばれないことを選択してしまう私たちの内なる傾向が指摘されていることに気づかされます。私たちは光とされました。光の子どもです。しかし完全ではありません。赦されました。神の子どもとしての特権も与えられています。しかし相変わらず罪人です。それゆえに自らを吟味する必要があるのです。 私たちのことばや思いや行いは、果たして主に喜ばれるものでしょうか。私たちの人生の目的は、神を喜ばせることです。自分を喜ばせることではありません。光の子どもとしての自覚をしっかりと持ちつつ、光の子どもとして歩んでいきましょう。ぜひ光の子どもとしての実を結ばせていただきましょう。そのためにしっかりと自らを吟味しましょう。そのようにして私たちは主を喜ばせる歩みを大切にしていきたいと思います。

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