イエス・キリストをより良く知るために

ことばで過ちを犯さない人

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

ヤコブの手紙3章1~4節

私の兄弟たち、多くの人が教師になってはいけません。あなたがたが知っているように、私たち教師は、より厳しいさばきを受けます。 私たちはみな、多くの点で過ちを犯すからです。もし、ことばで過ちを犯さない人がいたら、その人はからだ全体も制御できる完全な人です。 馬を御するためには、その口にくつわをはめれば、馬のからだ全体を思いどおりに動かすことができます。また船を見なさい。あのように大きくて、強風を受けていても、ごく小さい舵によって、舵を取る人の思いどおりのところへ導かれます

【1】 ヤコブの心配
ヤコブの手紙は、エルサレムから離散した信仰者たちのためにヤコブが記した励ましの手紙です。彼らは離散した各地でいろいろな試練に直面していました。社会的に抑圧されたり、差別に苦しんだり、虐げられてしまうことも多かったのです。そのような厳しい状況の中にあってヤコブが心配したこと、それは彼らがこの世の汚れに染まってしまうこと、そして教会が世俗的になり清さを失ってしまうことだったのです。
そこでヤコブはみことばを信じるだけでなく、信じたら行いなさい、と命じました。信仰は行いとともに働くし、行いによって信仰は完成すると教えました。厳しい状況の中にあっても彼らが信仰者として歩んでいくことを、ヤコブを願っていたのです。
そのヤコブのもう一つの懸念は、彼らのことばの問題でした。厳しい試練の中に置かれることによって、彼らが自分の舌を制御できなくなるのでないかと心配したのです。

【2】 ことばで過ちを犯す私たち
ヤコブはまず「多くの人が教師になってはいけません。…教師は、より厳しいさばきを受けます(1)」と語りました。教師である自らを戒めるところから話を始めました。教師の一番の仕事はしゃべることです。ところが舌は制御するのが最も困難な器官です。それゆえに教師になる人はいつも自己吟味を怠ってはいけないのです。
その上でヤコブは「私たちはみな、多くの点で過ちを犯すからです」と続けました。特にことばにおいて、私たちはみな、過ちを犯します。
「過ちを犯す」と訳されていることばには「失敗する」という意味が含まれています。舌を制御することの大切さを私たちは皆、頭では理解しています。語ることばには気をつけなければならないと普段は考えています。しかし、私たちはうっかり口走ってしまうのだと思います。無駄口をたたいり、陰口を話したり、誹謗中傷してしまったりして、舌を制御する面で失敗してしまうのだと思います。
ヤコブは「もし、ことばで過ちを犯さない人がいたら、その人はからだ全体も制御できる完全な人です」と語りました。「完全な人」とは「完成された人」という意味です。私たちは皆、未完成であり、特にことばの面においてすぐに過ちを犯してしまいます。
私たちが注意しなければならないこと、それは私たちの心が「二心」になってしまうことです。私たちの心が神とこの世で二分される時、私たちは「二心」の信仰者になってしまいます。信仰者でありながらも未完成であり、不完全である状態のまま開き直ってしまうのです。それゆえに信仰者として成長することがないだけでなく、私たちの信仰は世俗的になり清さを失ってしまいます。未完成であることを受け入れつつ、完成を目指す必要があるのです。

【3】 舌を制御する
ヤコブは続けて「馬を御するために必要なくつわ」、そして「船を操縦するために必要な舵」と言うわかりやすい譬えを用いて、舌を制御することの大切さについて教えました。舌を制御することが、どうして大事なのでしょうか。
第一に、馬を御するために必要なくつわのように、身体全体を思い通り動かすことができるからです。「人は、口のことばによって良いものに満ち足りる(箴言12の14)」。もしくつわがなければ馬を御するのは至難の業です。しかし、くつわがあれば荒馬も御することが可能になります。同様に私たちの口にすることばが清められることによって、私たちの内側は良いもので満たされるのです。
第二に、荒海に漂う船を操縦する舵のように、厳しい状況の中あっても振り回されることはありません。「やわらかなことばは憤りを静める(箴言15の1)」。
第三に、清められた良いことばによって私たちは正しい方向に進むことができます。馬はくつわによって、船も舵によって正しい方向に進むことができます。イエス様のことばによって、またペテロやパウロによって語られた神のことばによって、私たちは正しい方向に導かれます。
ことばが清められ正しく語られる時、そのことばは大きな力を発揮するのです。

【4】 むすび
どうすれば私たちは自分の舌を御することができるのでしょうか。パウロは「偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい(エペソ4の25)」と語りました。どうすれば、それが可能になるのでしょうか。それは人を欺く情欲によって腐敗していく古い人を脱ぎ捨てること、そして霊と心において新しくされ続け、真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることによってです(エペソ4の23~24)。
救われた私たちも清められ続けなければなりません。そのために古い人を脱ぎ捨てること、そして神によって造られた新しい人を着続けること、そのようにして私たちは完成に近づいていきます。
偽りを捨てて、真実を隣人に語り続けることができますように、みことばと御霊によって自らを整えていただきましょう。

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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

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