イエス・キリストをより良く知るために

マタイの福音書18章1~14節

 
この記事を書いている人 - WRITER -
若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。
そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「天の御国では、いったいだれが一番偉いのですか。」
イエスは一人の子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、
こう言われた。「まことに、あなたがたに言います。向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入れません。
ですから、だれでもこの子どものように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです。
また、だれでもこのような子どもの一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。
 わたしを信じるこの小さい者たちの一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首にかけられて、海の深みに沈められるほうがよいのです。
つまずきを与えるこの世はわざわいです。つまずきが起こるのは避けられませんが、つまずきをもたらす者はわざわいです。
あなたの手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちに入るほうが、両手両足そろったままで永遠の火に投げ込まれるよりよいのです。
また、もしあなたの目があなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちに入るほうが、両目そろったままゲヘナの火に投げ込まれるよりよいのです。
 あなたがたは、この小さい者たちの一人を軽んじたりしないように気をつけなさい。あなたがたに言いますが、天にいる、彼らの御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。
あなたがたはどう思いますか。もしある人に羊が百匹いて、そのうちの一匹が迷い出たら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。
まことに、あなたがたに言います。もしその羊を見つけたなら、その人は、迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜びます。
このように、この小さい者たちの一人が滅びることは、天におられるあなたがたの父のみこころではありません。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4–2–3号
。」

要約
マタイの福音書18章1-14節では、弟子たちが「天の御国で誰が一番偉いのか」とイエスに尋ねた場面から始まります。この問いに対して、イエスは子供を弟子たちの真ん中に立たせ、「向きを変えて子供のようにならなければ天の御国に入ることはできない」と教えました。これは、自分を低くし、謙虚になることの重要性を示しています。
さらに、小さな者たちを「つまずかせる」ことの罪深さについて警告されており、弱き者、迷った者を守り、大切にすることの重要性が語られます。迷子の羊の例えでは、たとえ99匹を置いてでも迷った1匹を探し出すことが示されています。これは、神にとって一人一人がどれほど価値ある存在であるかを強調するものでした。
全体を通して、イエスの教えは「誰が一番偉いか」という上下関係の競争ではなく、謙虚さや心の転換、小さな者を大切にする姿勢が神にとって重要であることを教えています。

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若井 和生師
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