イエス・キリストをより良く知るために

マタイの福音書4章

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。
それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。 そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神のロから出るーつーっのことばで生きる』と書いてある。」 すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、 こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。 彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」 悪魔はまた、イエスを非常に高い山にこ連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたに上げよう。」そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」すると悪魔はイエスを離れた。そして、見よ、御使いたちが近づいて来てイエスに仕えた。  イエスはヨノ’ネが捕らえられたと聞いて、ガリラヤに退かれた。 そしてナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある、湖のほとりの町カペナウムに来て住まわれた。 これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。 「ゼブルンの地とナフタリの地、  海沿いの道、ヨjレダンの川向こう、 異邦人のガリラヤ。 闇の中に住んでいた民は 大きな光を見る。 死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る。」

この時からイエスは宣教を開始し、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と言われた。 イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」 彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。 イエスはそこから進んで行き、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイと一緒に舟の中で網を繕っているのを見ると、二人をお呼びになった。 彼らはすぐに舟と父親を残してイエスに従った。 イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた。 イエスの評判はシリア全域に広まった。それで人々は様々な病や痛みに苦しむ人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人など病人たちをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らを癒やされた。 こうして大勢の群衆が、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、およびヨルダンの川向こうから来て、イエスに従った。

マタイの福音書の3章では、イエス様がバプテスマを受ける場面から始まりました。それはイエス様の公の生涯の出発であり、人々に使える人生の始まりであったことを前回学びました。そして、3章から4章に進むと、イエス様の公の働きが始まります。最初に、イエス様は荒野に登り、40日間の断食を行いました。その後、悪魔の誘惑を受ける試みに遭われました。

1.悪魔の誘惑

荒野に登る目的は何だったのでしょうか?聖書によれば、イエス様は悪魔の試みを受けるために荒野に登られたと記されています。私たちは「主の祈り」で試みに合わせず悪から救われるように祈っていますが、イエス様は試みを受けるために荒野に登られたのです。その目的は何だったのでしょうか?また、御霊に導かれて荒野に登られたことも注目すべきです。前回、バプテスマを受けられた際、御霊が鳩のように下ってきたことが記されていました。そして、その御霊がイエス様を荒野に導かれ、悪魔の試みに遭われることが始まったのです。この荒野での試みは、イエス様の信仰と信頼を試すものであり、私たちにも学びの機会となります。

荒野はイスラエルの民にとっても重要な場所でした。エジプトを出た後、約束の地に入る前に40年間の荒野の旅を経験しました。この荒野の日々は神様からの訓練であり、鍛えられる時であったと言えます。新約聖書のヘブル人への手紙12章2節には、この荒野の旅が神様の計画の中で大切な時であったことが説明されています。神様はイスラエルの民を苦しめ、試し、命令を守るかどうか、心の内に何があるかを知るためにこの40年間の荒野で歩ませられたのです。

私たちも時々荒野のような試練に直面することがあります。耐えられない試練はないものの、耐えられる範囲で試練があることを理解しましょう。そして、試練は私たちが神様に信頼しているかどうか、何に頼っているかを知らしめるためのものです。荒野は私たちにとっても信仰の成長の場であり、主の恵みの時でもあります。

イエス様が荒野で悪魔の誘惑に直面したエピソードは、私たちに多くの教訓をもたらしていますね。悪魔はイエス様に対して3つの誘惑を試みました。それぞれの誘惑には深い意味があります。

  1. 石をパンに変える誘惑:
    • 悪魔はイエス様に「あなたが神の子なら、これらの石をパンに変えなさい」と言いました。
    • この誘惑は、自分の力で物事を成し遂げようとする欲望を表しています。イエス様は御言葉に信頼し、自分の力ではなく神に頼ることを示しました。
  2. 高い山から身を投げる誘惑:
    • 悪魔はイエス様に「あなたが神の子なら、身を投げなさい。神はあなたを守るでしょう」と言いました。
    • この誘惑は、自分の信仰を試すものであり、神に頼ることなく自分の力で試みに立ち向かおうとする誘惑です。
  3. 世の王国を手に入れる誘惑:
    • 悪魔はイエス様に「私を拝むなら、この世の全ての王国をあなたに与えよう」と言いました。
    • この誘惑は、世俗的な富や名声を手に入れることを求める欲望を表しています。しかし、イエス様は神に従い、神に忠実である道を選びました。

 

イエス様は御言葉に基づいて誘惑をはねのけ、神に信頼しました。私たちも、自分の力ではなく神に頼り、御言葉に基づいて生きることを学びましょう。そして、聖書の言葉を利用する際には、私たちの願いや欲望が御言葉に合致しているかどうかを慎重に考えましょう。

イエス様が荒野で悪魔の誘惑に立ち向かい、御言葉に信頼して勝利されたことは、私たちにとっても大切な教訓ですね。悪魔は私たちにも日々誘惑を仕掛けてきますが、イエス様のように御言葉に基づいて対処し、神に信頼することが求められています。

ヤコブの手紙でも、商売をして儲けることは悪いことではないとされていますが、その中で誘惑が潜んでいます。私たちは天に宝を蓄えることを心がけ、神の言葉に従って生きることで、現実的な誘惑に対処できる知恵を得ることができるでしょう。

 

ここでの悪魔のことばには「み言葉にはこう書いてますよ、 だからどうですか?」 と み言葉を利用しての誘惑であるという面もあるんですね。ですから この辺も非常に巧妙です. 私たちも気をつけたいなと思うんです。 聖書の言葉を時々 利用してしまうことがあるかなと思うんですよね。 私たちの願いが、 願望が先にあって、それを裏付けするために 御言葉をうまく使って 、自分の枠組みの中で 御言葉を理解しようとしようとする。 誘惑に 足 を救われるって言うんでしょうかね、そういう危険があるんじゃないかなと思うんですね。 まあこの辺も非常に巧妙だなと思いますので 、私たちは本当に神がなんておっしゃっておられるのか、 そういうところに耳を傾けて、 誘惑に勝利していくということが求められているということを覚えたいなと思います

 

2.イエス様の宣教の始まり

イエス様の宣教がガリラヤ地方で始まったことも示されています。バプテスマのヨハネが捕らえられたことが、イエス様の宣教のきっかけとなりました。ヨハネが捕らえられた後、イエス様はガリラヤ地方に退き、カペナウムという湖のほとりの町に住まわれました。この地方は予言者イザヤを通して語られたことが成就するための場所であり、闇の中に住んでいた人々が大きな光を見るという預言がここで実現しました。

イエス様の宣教は「悔い改めなさい、天の御国が近づいた」という宣言から始まりました。このメッセージはバプテスマのヨハネが既に語っていたものであり、イエス様の働きが始まったことを示しています。

そして、今日の後半では、多くの人々がイエス様のもとに集まり、救いを求めている様子が描かれています。イエス様の宣教は、苦しんでいる人々の中から始まり、彼らに光をもたらす使命が始まったことを感じますね。

3.弟子を選ぶ

さらに、弟子を選ぶ場面も注目すべきです。イエス様は、彼らを選び、共に歩む使命を託されたのです。イエス様が漁師たちに「私についてきなさい」と声をかけ、彼らがすぐに網を捨てて従った場面は、私たちにも多くの教訓をもたらしますね。

  1. 即時の従順:
    • ペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネの兄弟たちは、イエス様の呼びかけに即座に従いました。彼らは網を捨て、船や父親を置いてでもイエス様についていく覚悟を持っていました。
    • 私たちも、神の声に従うことが求められる瞬間があるかもしれません。そのとき、即座に従順に行動することが大切です。
  2. イエス様の言葉の力:
    • 弟子たちが従った理由は、イエス様の言葉にあったからです。イエス様の言葉は、彼らの心を打ち、行動に移す力を持っていました。
    • 私たちも、聖書の言葉をよく聞き、神の声に耳を傾けることで、従順な人生を歩むことができます。
  3. 祝福と使命:
    • イエス様に従った漁師たちは、祝福され、イエス様の宣教の一環として人々に神の愛を伝える使命を果たすことになりました。
    • 私たちも、イエス様に従うことで、神の愛を広める使命を担い、人々に喜びと希望をもたらすことができるでしょう。

主の声に耳を傾け、従順に歩むことで、私たちは神の計画に参加し、祝福を受け、人々に神の愛を伝える使命を果たすことができます。

主が私たちに目を留めて声をかけてくださり、私たちを招いてくださっていることを感じますね。その声を聞くことによって、私たちは前進し、従う力を得ることができるのではないでしょうか。

御言葉を聞くことは、誘惑に対処するためだけでなく、喜んで主に従うためにも重要です。また、その従順によって祝福が私たち自身だけでなく、他の人々にも届けられることを思います。

後半では、イエス様の宣教の様子が描かれています。イエス様は福音を述べ伝え、病気や病を癒してくださいました。その結果、多くの人々がイエス様に従い、神の平安と癒しを受けることができました。

私たちの教会も、御言葉と技による宣教を目指していくことで、神の愛を広め、人々に祝福をもたらす存在となりたいと思います。祈りを通じて、豊かな実現が教会を通して広がることを願っています。

お祈りをいたします。

神様 、マタイの福音書 4章を学ぶことができて、 改めて御言葉が大切であることを教えていただきました。 誘惑に対処し、そしてそこに勝利するために、自分の力にすがってより頼んでしまうことがないように、また御言葉 よく聞くことができるように、信頼できるように助けてください。 また私たちが喜んで主に従っていき、また神様の の 祝福を人々に伝えることできるように、どうか さらにあなたの御声を聞かせてください 。あなたの声に応答して 、あなたに従ってことできるように、 そして教会が祝福の基となって、 この時代、 この世にあって、よくあかし を立てていくことできるように、私たちの教会をさらに祝福し 、一人一人を用いてくださいようにお願いいたします 。御言葉の学びを感謝し 、イエスキリストの御名によって お祈りをいたします 。

 

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