イエス・キリストをより良く知るために

列王記1章1~14節

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。
ダビデ王は年を重ねて老人になっていた。そのため衣をいくら着せても温まらなかった。家来たちは王に言った。「王のために一人の若い処女を探し、御前に仕えて世話をするようにし、王の懐に寝させて王が温まるようにいたしましょう。」こうして彼らは、イスラエルの国中に美しい娘を探し求め、シュネム人の女アビシャグを見つけて、王のもとに連れて来た。この娘は非常に美しかった。彼女は王の世話をするようになり、彼に仕えたが、王は彼女を知ることがなかった。ときに、ハギテの子アドニヤは、「私が王になる」と言って野心を抱き、戦車、騎兵、それに自分の前に走る者五十人を手に入れた。彼の父は、「おまえは、どうしてこんなことをしたのか」と言って、彼のことで心を痛めたことは一度もなかった。そのうえ、彼は非常に体格も良く、アブサロムの次に生まれた子であった。彼がツェルヤの子ヨアブと祭司エブヤタルに相談をしたので、彼らはアドニヤを支持するようになった。しかし、祭司ツァドクとエホヤダの子ベナヤと預言者ナタン、それにシムイとレイ、およびダビデの勇士たちは、アドニヤにくみしなかった。アドニヤは、エン・ロゲルの近くにあるゾヘレテの石のそばで、羊、牛、肥えた家畜をいけにえとして献げ、王の息子たちである自分のすべての兄弟たちと、王の家来であるユダのすべての人々を招いた。しかし、預言者ナタン、ベナヤ、勇士たち、そして自分の兄弟ソロモンは招かなかった。そこで、ナタンはソロモンの母バテ・シェバにこう言った。「われらの君ダビデが知らないうちに、ハギテの子アドニヤが王になったことを、あなたは聞いていないのですか。さあ今、あなたに助言をしますから、自分のいのちと、自分の子ソロモンのいのちを救いなさい。すぐにダビデ王のもとに行って、『王様。あなたは、このはしために、「必ずあなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私の王座に就く」と誓われたではありませんか。それなのに、なぜアドニヤが王となったのですか』と言いなさい。あなたがまだそこで王と話している間に、私もあなたの後から入って行って、あなたのことばが確かであることを保証しましょう。」( 列王記 第一 1:1-14 SKY17 )

要約

ダビデは晩年、老いと衰えで王としての役割を果たせなくなり、政治に空白が生じます。その隙を突いて、ダビデの四男アドニアが王位を狙い、仲間を集めて動き始めます。アドニアの野心は、父親ダビデとの希薄な関係や自身の体格の良さに起因すると考えられます。

しかし、預言者ナタンは、ダビデがソロモンを後継者と定めていたことを知っており、バテシバと協力してダビデに事態を伝え、ソロモンの命と王位を守るための行動を促します。結果的に、ナタンの介入によって危機は回避され、ソロモンが王位を継ぐことになります。

この物語は、私たち自身の行動が神の計画に沿っているか、それとも個人の野心に過ぎないかを吟味することの重要性を教えています。また、教会の歴史においても、指導者の交代期には不安定な状況が生じやすく、次世代への準備と引き継ぎの重要性を示唆しています。私たちは、自分の歩みを通して神の御心が実現するよう祈り、野心によって神の計画を妨げないよう注意すべきです。

メッセージ筆耕

この記録は、イスラエルがダビデの後、ソロモンの時代に繁栄するが、ソロモンの後は北イスラエルと南ユダに分裂し、その後、北はアッシリア帝国に、南ユダはバビロンに滅ぼされてしまうという一連の歴史を記している。これが列王記の内容である。
全体を通して見ていくと、祝福されていたはずのイスラエルが、イスラエルの人々の罪、内側の罪によって少しずつ堕落していく姿、神様の祝福を失っていく姿を記している歴史である。しかし、もう一方から見るならば、そのようなイスラエルの人々の中にも、絶えず神様が預言者を送り、御言葉を語り続け、悔い改めに招き続けている神様の憐れみの歴史でもあると思う。
そして、全体を通して私たちが教えられることは、神様という方は人間の歴史に関わっておられるということ、そして私たちの歩みにも主が関わってくださっていて、御言葉を語り、介入されている、そのような神様のお働きがよく見えてくる書物であるということだ。そのようなことを教えられる書物ではないかと思う。そういった全体像を少し意識しながら、少しずつ読み進めていきたい。
今日は、ダビデの晩年の様子が記されている記事である。1節から4節の最初の部分、1節ではダビデが年を重ねて老人になっていた。そのため、衣をいくら着せても体が温まらなかったとある。ダビデは年を重ねて老人になっており、いくら衣を重ね着しても体が温まらず、体が冷え切っていた。私たちもだんだんそのような状態になるのだろうと思う。
そこで家来たちは、「王のために一人の若い処女を探し、見舞いに仕えて世話をするようにし、王のところに寝かせ、王が温まるようにいたしましょう」と考えた。一人の若い女性を探してきて仕えさせるということを家来たちは考えたのだ。そして、イスラエル国中の美しい娘を探し求め、その中で一人選ばれたのがシュネム人の女アビシャグという女性だった。この娘は非常に美しかった。ストライクゾーンを探し回って見つかった女性なので、ものすごい美人だったのだろう。非常に美しい女性だったのだろう。美女を見つけてきてダビデに仕えさせることによって、ダビデが元気になってほしいという計画だったのだろうと思うが、それもあまり効果がなかったということが今日の箇所を通して言えることだろう。ダビデの老いと衰えはもう明白である。
ダビデがこのような状態になっていくんだなということで、私たちも色々考えさせられることがあるのではないかと思う。皆さんのダビデのイメージは色々あるだろう。勇者ダビデというべきか、ペリシテ人の大将ゴリアテを打ち倒した少年時代の活躍から始まって、サウルに命を狙われ本当に苦しい時もあったが、そこで信仰を培って王になった後は、本当に素晴らしい働きを続け、多くの戦いに連戦連勝し、偉大なイスラエル王国を築き上げた、本当にイスラエルの人々が誇る偉大な王になったのだ。そのような活躍の姿を私たちもイメージしていると思うが、ダビデもやはり年を取っていくと、このように衰えていくのだなということ、やはり老いと、そしてだんだん弱っていく人間の姿がそこに記されているのだと思う。
しかし、ダビデはそれでも王なのだ。そして、それは王としての役割をこの時に十分に果たすことができなかったということになる。そして、それはイスラエルの政治に空白状態が生まれていたということであった。個人的なこととしてだけではなく、それはイスラエル国全体にとって極めて不安定な状況が生まれたということである。王がいるのに王が王の役割を果たしていないということなのだ。そうなると非常に政治は不安定になり、国は非常に不安定になる。そして、その政治の空白状況の中からある一つの問題が起きてきたというのが、その次につながる展開であろう。その息子が王になるということを言い出したというのが、その次の展開だろう。
5節、「その頃、ハギテの子アドニアは『私が王になる』と言って野心を抱き、戦車、騎兵、それに自分の前に走る者50人を手に入れた」とある。アドニアというダビデの息子になるのだが、その息子が「私が王になる。私が王になる」と、まだダビデが王であるにもかかわらず、野心を抱いたということだ。そして具体的に行動も起こし、戦車や騎兵、自分の前に走る者50人を手に入れて、具体的な準備も始めていたことがそこに記されている。
ダビデにはたくさんの息子たちがいた。その息子たちがどんな息子たちだったかということに関しては、第二サムエル記の3章4節を見ると出てくる。「長男はアムノン、次男はカルメル人ナバルの妻であったアビガエルによるキルアブ、三男はゲシュルの王タルマイの娘マアカの子アブサロム、四男はハギテの子アドニア」とここにアドニアが出てくる。アドニアはダビデの四男坊、4番目の息子であったことがわかる。その後、五男、六男と続いていくので、弟たちがいたこともわかる。ここに書かれている息子たちは、ダビデがヘブロンにいた時に与えられた息子たちだと注釈がついている。この後、ダビデはエルサレムに入って王様になり、バテシバという女性と出会い、バテシバとの間にソロモンが与えられる。だからソロモンは、このアドニアから見ると、だいぶ年下の弟だったと考えられる。アドニアの方が年上だったと考えられるのだ。
そしてもう一つ言えることは、この上の3人のお兄さんたちは、この時すでに死んでいなくなっていた。長男アムノンと次男キルアブは三男のアブサロムによって殺された。そしてアブサロムは父ダビデに反逆し、戦いが起こって結果的には、アブサロムは木の枝に首が引っかかって宙吊りになってしまい、それで殺されるという悲惨な結果を遂げた。上の3人のお兄さんはもうすでにこの世にいなかった。そうすると、四男のこのアドニアは、確かにその時、ダビデの息子の中では一番年長だったということになる。だから、考え方によると、アドニアは王になるにふさわしい順番から言えば、そのようなことだったのかもしれない。ただ、聖書はそれが一番の理由ではなくて、やはりアドニアは野心を抱いたというところに理由があったと書いてある。
そして、どうしてこの野心が生まれてきたのだろうか。アドニアがどうしてこの野心を抱いたのだろうか。それに関係する要因として、6節を読むと2つのことが指摘されていると思う。まず最初に一つ言えることは、父親との関係についての指摘がここにあると思う。6節、「彼の父は『お前はどうしてこんなことをしたのか』と言って、彼のことで心を痛めたことは一度もなかった」とあるのだ。ダビデはアドニアに関して、「どうしてこんなことをしたのか」と言って心を痛めることはなかったという息子だったことが聖書に出てくる。
ここで考えられることとしては、アドニアという息子はダビデを煩わせることのない、とても良い息子だったということが一つ考えられるかもしれない。けれども、もう一つ考えられることは、そもそも親子関係が極めて希薄だったということなのだ。ダビデを煩わせることもないくらいに、実際は親子関係が希薄だったということも考えられることだろう。ちょっと思い出してみる時に、アブサロムも実はダビデとは非常に希薄だったのだ。父親に対して攻撃してくるほどに、すごい憎しみを抱いて反感を抱いて父親に攻撃をしてきた。その理由はどこにあったのかというと、それは父親との関係が極めて希薄だったということなのだ。
そして、ダビデはイスラエル王国の王としては極めて有能な、非常に実力のある方だったと思うが、父親として考える時には色々と課題のある、家庭をなかなか治めることのできない父親だったというような見方もできるのではないかと思う。息子たちの関係では悩んでいて、家庭を治められないという弱さを抱えていたのではないかと思う。アドニアはアブサロムの次に生まれた子であったという言葉が出てくる。それで、その繋がりというものが少し意識されているような書き方になっているが、おそらくアブサロムそうだったように、ダビデとアドニアの関係もそんなに深い関係ではなかったということだ。それがどこかやはり自分も認められたいという野望、野心に繋がっていった面があったのではないかということが予想されることである。
もう一つのことは、聖書が書いてあることは、彼は非常に体格が良かったと書いてある。これもさりげない一言、「そうだったんだな」と思うのだが、その体格の良さももしかしたら彼にとっては、自分のプライドに繋がっていた可能性もあるように思う。そのようなことが色々と作用して、彼の野望、野心に繋がっていたのではないかということが考えられる。
それで彼は7節で「彼がツェルヤの子ヨアブと祭司アビアタルに相談したので、彼らはアドニアを支持するようになった」とある。彼はだんだん仲間を集め始めているのが見える。ヨアブはダビデの家臣で、忠実な家臣で、親戚にも当たるが、ダビデをずっと助けてきた家臣だった。しかし、色々あったのだろう、ダビデとの関係は非常に複雑だっただろうと考えることができる。ヨアブはダビデに対して不満を抱いていた可能性も予想される。そのヨアブを味方に引き入れ、そして祭司アビアタルも自分の仲間に引き入れて、少しずつ自分のグループを作っていくということだ。
しかし8節を見ると、「しかし祭司ツァドクとベナヤ、預言者ナタン、それからシムイとレイ、およびダビデの勇士たちはアドニアに味方しなかった」とある。ずっと長い間ダビデに仕えてきた人たちもいたが、それらの多くはアドニアに味方しなかった。ダビデの側についていたということだ。要するに、ダビデの家臣たちの中に分裂、分派が起こってきたということだ。それまで一つになってダビデに仕えていた家臣たちの間に分裂が起こるのは、政治の世界では当たり前かもしれないし、よく聞く話かもしれないが、イスラエルのその神様に祝福された政治の世界においては、極めて残念なこと、危機的な状況だったと言えるのではないかと思う。
そしてアドニアはエン・ロゲルの近くにあるゾヘレテの石のそばで、羊、肥えた家畜、子牛をいけにえとして捧げ、王の息子たちである自分の全ての兄弟たちと、王の家来であるユダの全ての人々を招いた。しかし預言者ナタン、ベナヤ、勇士たち、そして自分の兄弟ソロモンは招かなかったとある。いよいよ色々な人たちを集めて、王としての旗揚げをするというか、その準備が着々と進んでいる様子が見られる。そのためにいけにえを用意して、王の息子たちである自分の兄弟たち、弟たちだと思うが、弟たちも集めてユダの全ての人々を招き、自分が王であることの宣言をしようとしているのだろう。しかしソロモンは招かなかったと出てくる。だからやはりソロモンとの間、同じ兄弟同士ではあるが、ソロモンとの関係はあまり良くなかったのだろう。ソロモンに対しては、敵意を抱いていたかどうかは分からないが、そのような感情を持っていたということが考えられる。
このようなことがイスラエルの中に起こってきたことは、イスラエルの国にとっては不安定な状況だと思う。どうしてこのような状況が生まれてしまったのかということを改めて考えてみる時に、一つ言えることはアドニアの野心があったということは言えることだと思うが、やはりそもそもの原因として、ダビデがちゃんと次の準備をしていなかったということ、ダビデがこのような政治の空白状態を作り出してしまったというところに、根本の原因があると考えられるのではないかと思う。ダビデの指導力不足だ。自分がだんだん年を取っていくというのは分かるわけだ。それでだんだん王としての責任、務めを自分は果たすことができなくなっていくということも分かるわけだ。しかし、その時に向けての十分な備えをしていなかったために、このような政治的な空白が生じ、それを利用する形でアドニアが現れたという展開になっていることを考えると、やはり指導力に少し陰りが見えてきているというか、そのような問題がここで指摘できるのではないかと思う。

このままアドニアが王になってしまうのだろうか。そうではなかったということが次に出てくることである。11節だが、「そこでナタンはソロモンの母バテシバにこう言った。『私たちの主ダビデが知らないうちに、ハギテの子アドニアが王になったことをあなたは聞いていないのですか』」とある。ナタンはサムエル記を読んでいればよく出てくる預言者で、ダビデは本当にナタンによって支えられてきたと思う。ダビデの治世が祝福されたのは、このナタンがいたからと言ってもいいのではないかと思う。そして、ダビデのとても大事な瞬間、ポイントポイントにナタンが現れる。
一番有名なのは、罪を犯した時にダビデはそのことにあまり自覚がないのだが、その時にナタンが現れてダビデの罪を指摘し、悔い改めに導いたのがナタンだったのだ。あるいは、ダビデの王国が永遠の王国としてこれから固く立てられていくというメシア預言があるが、その大切な預言を伝えたのもナタンだったのだ。ナタンというのは本当に神様の預言者なので、神様の御言葉をはっきりと伝える人だったのだが、それをダビデに伝える役割を果たしてきた。ダビデが迷いそうな時も色々あっただろうし、不安な時も色々あっただろうが、ナタンの伝える御言葉によって支えられてきた預言者だったと思う。そのナタンがダビデはもうだいぶ年老いて弱ってきているのだが、この時まだ健在であったことがわかる。そして、ここでもやはりナタンが出てきて、とても良い働きをしたのではないかと思う。
ナタンはバテシバのところに来て、「私たちの主ダビデが知らないうちに、ハギテの子アドニアが王になったことをあなたは聞いていないのですか」と現状の報告をしている。そして、「さあ、今あなたに助言をしますから、自分の命と自分のソロモンの命を救いなさい」と助言をしているのだ。それは自分の命とソロモンの命を救いなさいという助言であった。おそらくアドニアが王になった時には、バテシバもソロモンも殺されたかもしれない、殺されていたかもしれない。そのような危機的な状況だったのだ。おそらくソロモンに対して敵意を抱いていたということが考えられる。そうなると、もしアドニアが王になると、ソロモンも殺されてしまうかもしれない、バテシバも殺されてしまうかもしれない。だから今そういう危機的な状況ですよと伝えた上で救いなさいという助言であったことがわかる。
「王様、あなたはこのはしために、必ず『あなたのソロモンが私の後を継いで王となる。彼が私の王座に着く』と誓われたではありませんか。それなのになぜアドニアが王となったのですか」と言いなさいとナタンはバテシバに伝言を託す。それでダビデに伝えなさいと。「必ずあなたのソロモンが私の後を継いで王となる」と誓われたではありませんかと。ここを読む時に、実はダビデは何もしていなかったわけではなくて、ちゃんと準備していたのだ。自分の跡継ぎはソロモンであるということをちゃんと彼は自覚しており、そのことをちゃんと伝えていた。そのことは伝わっていたのだが、それがみんなには伝えられていなかった、みんなには十分に認知されていなかったということなのだろう。そのようなことが分かるだろう。
もしそのことを誓われたのであれば、そのようにしてくださいということだ。ちゃんとダビデに伝えてくださいと。そしてその、あなたが王と話をしている間に私もそこに行きますからと14節に出てくる。よく考えた上での計画だと思うが、とにかくそのことが必ず確実にダビデに伝わるようにという配慮が分かる。
実はダビデはソロモンのことちゃんと考えていた。サムエル記と歴代誌で、自分の家を建てた後で、神様の家、神殿を作りたいと願いがあった。ところがそれは神様から禁じられた。「あなたは神殿を作るのにふさわしい人物ではない。あなたはもう戦いすぎて多くの人の命を殺してしまったから、あなたはそれにふさわしくない。あなたの息子ソロモンがそれをするのだ」と。ダビデはちゃんとそのことを知っていて、ちゃんとソロモンが次に神殿を建築できるように、色々な準備までしているのだ。読むと分かることなのだが。だからちゃんとダビデの頭の中には、次はソロモンだと分かっていたのだ。そして、それは実は神様から来た計画で、神様の計画はソロモンに引き継がれていくということをダビデは願っていることも知っていた。しかし、それがどうもみんなに認知されていない問題があったということなのだ。
では、そのことでナタンが介入し、その後15節以降は来週、具体的にどのような展開になっていくのかを見ていきたいと思う。結果的には危機は回避され、アドニアは王にならずに済み、ソロモンが王になっていくという展開に繋がっていくが、しかし一瞬危なかったのだ。ナタンがここに介入したことによって守られ、神様のご計画が滞りなく進展していった、繋がったということだ。それは来週確認していきたいと思う。
今日、最後に私たちが考えたいことだが、私たちの行動をかき立てている色々なものがあると思う。私たちも普段の生活の中で、色々「あれがやりたい、これがやりたい」と願っていることがあると思う。それは本当に神様のご計画の中にあることなのか、神様の御心にかなっていることなのかということだ。ナタンはソロモンのこと考えたのは、もちろん、ソロモンが大好きだから、ソロモンに贔屓しているからということではないのだ。神様のご計画なのだ。神様の約束の実現なのだ。それを守らなければいけないという思いで、バテシバもそれに協力していくわけだが、そこに彼らの選択の基準があるわけだ。
ところがアドニアはそうではない。アドニアは神様の計画とか全然考えていない。自分の野心なのだ。自分のやりたいことを成し遂げたいという思いで突っ走っているのがアドニアなのだ。そのことによって神様のご計画を妨げようとしている、そのような障害になっているという二つの立場が見えてくる中で、私たちはどちらなのだろうと吟味する必要があると思う。私たちもちろん全部神様のためと思っているかもしれないが、よく吟味してみると、もしかしたら野心を抱いているのかもしれない、野望なのかもしれない。神様のご計画を妨げていることはないだろうかという吟味は必要だと思う。私たちがやはり願うべきことは、私たちの歩みを通して神様の御心が実現するということ、神様のご計画が進展していくということだ。「御心が天でなされているがごとく、地においてもなされますように」と祈るが、そのような祈りというのは、私たちの歩みを通して、私たちの生活を通して本当に主の御心がなりますようにという祈りなのだ。遠いところで私たちと関係ないところで御心がなりますようにという意味ではなくて、私たちの地上の歩みの中で本当に御心がなりますようにという祈りなのだ。
だから、ぜひ私たちもそのような祈りを大切にしながら、私たちの歩みの中で本当に神様のご計画が進展し、御心が行われ、間違っても私たちの野心によって思いによって神様の計画を妨害したり、邪魔したりすることがないように、そのように注意しながら神様の御言葉により頼みながら歩んでいきたいと思う。
はい、ということで一回目はここまでにしたいと思う。
お祈りいたします。
神様、どうぞこれからの学び、神様が豊かに私たちを養ってくださいますように。そして私たちの歩みの中にも確かに関わってくださって、色々な危機的な状況、色々な制約、人間的に考えるならば本当に悲しいようなこともたくさんありますが、でもそこにも主はちゃんと導いてくださいまして、私たちを正しい方向に導き、やがて全てのもの益と変えて、祝福と変えてくださることを覚えて感謝いたします。あなたの御手により頼みながら歩んでいくことができるように一歩一歩導いてください。御言葉に感謝し、イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。
3.2秒

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