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子供の成長に賢いチョイス!ギデオン物語に秘められた価値・・・士師記6章11~12節

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。
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私たちは子供達の祝福された成長のために、聖書が必要であると信じております。今日もこの聖書のみ言葉に、ともに耳を傾けていきたいと思います。そして特に人間にとっての成長ということについて、みことばから学んでいきたいと思います。今日注目したい人物は、旧約聖書の中に出てくる ギデオンという人物であります。ギデオンは子供ではないですけれども、ギデオンの姿を通して、私たちは人間についての成長について学んでいきたいと思います。

ギデオンはどのような人だったでしょうか?どのような人物だったでしょうか?そしてどのような成長を、彼はしていったんでしょうか?その点について学んでいきたいと思います。

1.当時のイスラエルの状況とギデオン

当時、イスラエルの状態は、神様の祝福を全く失って、力を失っているような、そんな時でありました。ミディアン人という民族が、イスラエルの国内に大勢入り込んで、産物を荒らしていく、しかも羊や牛などの家畜も奪い去っていくという、そういう状況でした。その姿は「イナゴの大群のようだった」と聖書の中に書いてあります。そんなミディアンの人たちを恐れて、イスラエルの多くの人達は、山々にある洞窟や、洞穴の中に隠れていたという状態でありました。敵が攻めてきているのに、それに対して何もすることができない、それぐらい力のない当時のイスラエルの状態であったということであります。しかしその中にあって人々は、神様を叫び求めました。この苦しみから救い出してくださいと、いっしょうけんめい叫び求めました。
人間というのは苦しみに直面しない限りなかなか真剣に求めようとはしないものだと思います。でも、もし苦しみに直面すると、神様に助けを求めたくなります。イスラエルはまさにそういう状態であったということであります。そして神様は、そんなたみの祈りを聞いてくださった 。そして一人の人物をイスラムのリーダーとして立ててくださった。それがギデオンであります。

2.ギデオンの特徴

ギデオンはどんな特徴を持っている人だったでしょうか。二つの特徴を指摘したいと思います。

第一にギデオンはとっても臆病な人だった

士師記の6章をちょっと見てみたいと思いますが、6章の11節・12節の言葉を読んでみたいと思います。

さて主の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下に座ったこの時ヨアシュの子ギデオンは、ぶどうの踏み場で小麦を打っていた。ミディアン人から隠れるためであった。主の使いが彼に現れて言った。『力ある勇士よ、主があなたと共におられる』。

これがギデオンが聖書の中に最初に登場してくる場面ですけれども、神の使いがギデオンの所にやってきて、ギデオンが神に選ばれたという事実を伝えに来ているそういう場面であります。

この時ギデオンはぶどうの踏み場で小麦を打っていたとここに記されてあります。この言葉ちょっと変だなと思いますね。小麦を打つという作業、つまり小麦の脱穀というのは、普通は風通しの良い広いところでします。小麦の籾殻を風で飛ばしてもらうために、広いところでするのが普通でありました。ところは彼はそれを広いところではなくて、ブドウの踏み場でしていたと聖書に書いてあります。収穫したぶどうを足で踏みつけて、そしてぶどう液だけを取り出すための場所であります。けれどもぶどう液が流れやすいように溝になっていたという場所だったようです。そんなところでギデオンが小麦を打っていたのは、11節に記されてある通りで、隠れるためであったということであります。ギデオンはミディアンの人たちが怖くて、ぶどうの踏み場に隠れながら作業を行っていた、そういう人であったということがわかります。とても臆病だったということであります。
このギデオンが神様に選ばれてしまったからもう大変です。ギデオンはこの神の使いに戸惑いと不安の気持ちをぶつけております。その言葉が13節です。13節でこう語っています。

「ギデオンは御使いに言った。『もし主がわたしたちと共におられるなら、なぜこれらすべてのことが私たちに起こったのですか?『主は私たちをエジプトから登らせたではないか』と言って、先祖が伝えたあの驚くべき「みわざ」はみな、どこにあるのですか。今、主は私たちを捨てて、ミディアン人の手に渡されたのです」

ここでギデオンは神様の使者に不満をぶつけておりますね。神が共におられると言うならば、なぜイスラエルはこんな状態なのかと、かつての先祖たちとは共にいてくださったかもしれないけれども、今私たちとは共におられないではないか。そしてはっきり言うならば、イスラエルのリーダーにもなりたくないし、神様のみ言葉にも従いたくないという、そういう意思表示だと思いますね。

心の中は、ミディアン人が怖くて怖くてしょうがない、どうして神様はもっと頼りがいのある人を選ばれなかったんでしょうか?なんでこんな臆病なギデオンを選ばれて声を、かけられたんでしょうか?そう考えたくなるようなギデオンの姿ではないかと思います。

しかし神様は、こんな臆病なギデオンであるからこそ選ばれたんだということを、私たちは覚えたいと思います。あなたは、自分のことを臆病だと思っていますか?だとすればあなたは勇者になれる人ですね。少なくとも勇者になる資質があると言えるでしょうね。
なぜそう言えるかと言うと、神様の力というのは私たちの弱さのうちに働かれるからであります。人間の成長というのは実は、自分の弱さを知り、それを、受け入れるところから、始まって行きます。私たちの住むこの世の中では、何か、高い目標に挑戦をして、それを乗り越えることが人間としての成長であると一般的に教えられているかなと思います。そして自分の弱さを克服することが成長であるという風に一般的に信じられているんじゃないかと思います。
でもその過程で、自分の弱さを否定してしまったり、自分の弱さをマイナスのものと考えてしまうことが多くあるではないだろうかと思います。結果的に自分の弱さと、なかなか向き合いなかったり、受け入れられないままに、人格が築かれていってしまうということが起こります。
それは、どこかにもろさを抱えたままの成長であるということが言えると思います。
自分の力をはるかに超えた問題に直面した時に、自信を失ってしまったり、自己嫌悪に陥ってしまったりするからであります。それは人間にとっての健全な成長ではないということが言えるんじゃないだろうかと思います。

私たちが聖書を通して教えられることは、神様に用いられる人は皆、自分の弱さを知っている人であるということであります。そして人間としての真の成長は、自分の弱さを受け入れるところから始まるということを、私たちは聖書を通して教えられるのではないでしょうか。
聖書の中には、ペテロのような自信過剰で、自惚れてる人も出てきます。彼はもう、他の弟子たちがみんなダメでも、自分だけは最後まで一緒に従うと、そういう自信もっていた人でしたけれど、でもそんなペテロが失敗をして、自分の惨めさをとことん思い知らされたその時から、実はペテロの真の人間としての成長が始まっていったということを私たちは教えられます。
ギデオンもまた同じでありました。ギデオンは臆病だったからこそ神に選ばれたということであります。神に祝福される人は皆、自分の弱さを知っている人であるということを私たちは覚えたいと思います。
私たちの子供達も、成長の過程の中で必ず自分の弱さと向き合う時が必ずやってくると思います。その時に私たちは親として、大人として、どのように子どもたちをサポートしていくことができるでしょうか?現実的な課題でありますけれども、でも私たちこのことをしっかりと覚えたいと思いますね 。そのうえで子供たちをしっかりとサポートしていくものでありたいと思います。これがギデオンに見られる一つの特徴であります。

けれどももうひとつの特徴を指摘することができます。

第二にギデオンはとても正直な人であった

6章の続きの展開も私達は見ていきたいと思います。14節から読んでみます。

「すると主は彼の方を向いて言われた。『行け、あなたのその力で、あなたはイスラエルをミディアン人の手から救うのだ。私があなたを使わすのではないか。』
ギデオンは言った。『ああ、主よ、どうすれば私はイスラエルを救えるのでしょうか。ご存知のように、私の氏族はマナセの中で最も弱く、そして私の父の家で一番若いのです。』主はギデオンに言われた。『私はあなたと共にいる。あなたは一人を打つように、ミディアン人を撃つ。』するとギデオンは言った。『もし私がみこころにかなうのでしたら、私と話しておられるのがあなたであるというしるしを、私に見せてください。どうか私が戻ってくるまでここを離れないでください。贈り物を持ってきて、み前に備えますので。』主は、『あなたが戻ってくるまでここにいよう』と言われた。

ここまでにしますけども、主の使いが、ギデオンに向かって言いました。「いけ、あなたのその力で」と。背伸びしなくてもいいんですね。あなたの持っているその力で、いきなさい、そのままの、そのままの力で行きなさいという風に言いました。ギデオンにとっても励まされたと思いますね。その励ましをいただいて、ギデオンは少し前向きになって、そして神の言葉に従って、イスラエルのリーダーとしての務めを果たそうと、一歩前に踏み出し始めたということがわかるんですが、でもそれでギデオンの中にあった恐れや不安がなくなったわけではないんですね。怖いなという気持ちが払拭されたわけではありませんでした。そこでギデオンは15節で、「ああ、主よ、どうすれば私はイスラエルを救えるでしょうか。ご存知のように私の所属はマナセの中で最も弱く、そして私は父の家で一番若いのです」と言いました。
ギデオンのこの言葉、特に最初の部分ですね、「ああ、主よ、どうすれば」という、このところに、ギデオンの強い気持ちと言うか、非常に不安になっているその気持ちが、正直に込められている、表されているということが分かると思います。

彼は自分の弱さや力不足を、ひしひしと感じております。私は父の家で一番若いと言ってますけれども、本当に彼は若い人だったということがわかりますが、若さゆえの経験不足も、心配の原因だったということがわかります。そんなギデオンに対して主はさらに言われます。「私はあなたと共にいる。あなたは、一人を打つようにミディアン人を撃つ。私あなたと共にいる。
非常に力強い励ましの言葉をいただいたんですけれども、でもそれに対してもギデオンは答えました。「もし私がみこころにかなうのでしたら、私と話しておられるのが、あなたであるというしるしを私に見せてください。」とても興味深い一言だなと思います。私と話しておられるのが、あなたであるというしるしを見せてください。今話してる最中ですけれども、今話しているあなたが、本当に、 神の使者であるかどうかということが分かるように教えてほしい。そして、今聞いた言葉が本当に神の言葉であるかどうかがわかる確信が欲しい。そして本当に神様が約束してくださった、「あなたと共にいる」ということばが、本当にその通りかどうか彼は確信が欲しかった。その彼の不安なその気持ちを、そのまま正直に注ぎ出しているということが分かるわけであります。
実に正直な人ではないでしょうか?臆病だったかもしれませんけれども、そんな気持ちをごまかすことなく、そのまま外に出して神の使者に訴えている実に正直な人だったということが分かると思います。そしてそのことはですね、この後いろいろ話が展開して、戦いの場面になります。戦いの始まる直前の場面でも、同じようなやり取りがあることを私達は確認したいと思います。
今度は6章の36節から40節まで読んでみたいと思います。

「ギデオンは神に言った。『もしあなたが言われた通り、私の手によってイスラエルを救おうとされるのなら、ご覧下さい。私は刈り取った一匹分の羊の毛を、打ち場に置きます。もしその羊の毛だけに露が降りていて、土全体が乾いていたら、あなたが言われた通り、私の手によってあなたがイスラエルを、お救いになると私にわかります。』するとそのようになった。ギデオンが翌日朝早く、羊の毛を押し付けて、その羊の毛から露を絞り出すと、鉢は水でいっぱいになった。ギデオンは神に言った。『私に向かって、み怒りを燃やせないでください。私にもう一度だけ言わせて下さい。どうかこの羊の毛で、もう一度だけ試みさせてください。今度はこの羊の毛だけが渇いていて、土全体には露が降りるようにしてください。』神はその夜、そのようにされた。羊の毛だけが乾いていて土全体には露がおりていたのであった。」

これはまさに今、ミディアン人との戦いが始まろうとしているその前の場面ですけれども、おびただしい敵の軍勢を見て、ギデオンがまた不安になっているということが感じられます。
本当に神様が言われた通り、自分の手を通して、神様がイスラエルを救ってくださるのかどうか、そのしるしをここで見せてほしいと、ギデオンは訴えています。そのことを求めています。

それで面白い提案をしました。「もし本当にあなたが、イスラエルをお救いになるのでしたならば、そのしるしを私に見せてください。明日の朝に私の用意した羊の毛だけに露が降りて、土全体は乾いているようにしてください」という実に具体的なお願いをしているということがわかります。そしたら本当にその通りになりました。次の日の朝になったらば、ギデオンが用意した羊の毛の方にだけ、露が降りて濡れていて、土全体は乾いているという、そういうことが起こった。
これで満足したかなと思ったらそうではない。まだ満足していない。もう一度お願いします。今度は逆にしてください。今度は「土全体に露が降りて、そして羊の毛が乾いているようにしてください」とお願いをしましたね。そしたら本当にその通りになったということがわかります。
非常に一方的とも見えるような、ギデオンのお願い、個人的な祈りだと思いますけれども、その祈りにも神様はちゃんと答えてくださっているというところに、私たちは驚かされるんですけれども、でもこのやり取りをみても、本当にギデオンは、正直な人だなぁという風に思いますね。彼は不安なんです。これから戦いが始まるんです。すごい軍勢を前にして、本当に主が私に勝利をくださるかどうか自信がないんですね。それでしるしを欲しいと言って、お願いして、一度はくださって、それでもまだ満足してない。もう一度しるしをくださいと。非常に正直な人だなということを思うんですね。なんでも神の前に自分の心を注ぎ出す人でありました。不安な時は不安ですと言うし、確信がない時は確信がないという、本当にまっすぐな人だなという風に思います。
でも神様は、そんな ギデオンの祈りをとっても喜んで受け入れてくださったということに私たちは気付かされるわけであります。

3.私たちが子供達に願うこと

それはいろんなことを願いますけれども、子供たちに「祈りを知ってほしい」、「祈る者になってほしい」、それが私たちの願いではないだろうかと思わされます。
子供達は小さいうちは親の保護下に置かれておりますけれども、やがて親元から離れて自分で人生を歩んで行く日がやってきます。そしていつか自分ではどうすることもできない問題に直面することが必ずあると思います。行き詰まってしまうこともあると思います。その時に親は何もしてあげられない。他の大人達も何もしてあげられない。そういう時があります。
でもそんな時に、もし子供たちが祈ることを知っていたらば、私たちは救われるんではないだろうかと思いますね。自分は本当に不安です、恐ろしいです、確信がありません、ということを正直に神様の前に注ぎ出すことができたならば、子供達はその祈りをとおして神様から力を頂いていくことができるんではないでしょうか。
神様になんでも相談できるならば、私たちは安心なんではないでしょうか。これからの時代どんな時代になっていくか私たちは分かりませんけれども、今までも、ちょっと厳しい時代だったと思いますが、これからはますます若い人たちが生きていく上で大変な、困難な時代がやってくるんじゃないかなという気がいたします。どうなるか分かりませんけれどもね。
ですから私たちは一人一人の子供たちが、本当に祈るものとなるように祈っていかなければいけないんではないでしょうか。
子供達は人生の途中で必ずいつか考える時があると思うんです。自分は何のために生きてるんだ?人生とは何だろうか?何のために自分は生きていて、何をするべきなのか?
そんなことを考える時がいつかやってくるんじゃないかなと思います。
そんなこと考えても、答えはないからと言って、最初から諦めてしまう人もいるかもしれません。けれどもでも人間というのは、生かされている限り、そういう問いを持っているものですね。そんな想いになった時に、 命を与えてくださった方に目を上げて、祈るものとされたら、それはなんと素晴らしいことではないだろうかという風に思います。子供たちが心を注ぎ出して主に祈ることができるように、私たちは祈る者となろうではありませんか。そのようにして私たちは祈り続けていくものでありたいと思います。

4.神様の驚くべき指令とその理由

最後にそんな臆病ででも正直だったギデオンに神様豊かに答えてくださったということを見て終わりにしたいと思います。ギデオンは神様に励まされて、一歩一歩の歩みなんですけれども、少しずつ少しずつ整えられて、そしてイスラエルの先頭に立って民を導くリーダーとされてゆきました。そして、いよいよこれからミディアン人との戦いが始まるという場面になるわけですけれども、士師記6章33節を見ると、敵はミディアン人だけではなく、アマレク人や東方の人々を含む連合軍だったということがわかります。どれだけの軍勢の人たちが、そこに集まっていたのか、人数は書いていませんけれども、ものすごい数だったことは間違いない。
それらの軍勢を目の前にして、ギデオンも戦いに備えるんですね。つの笛を吹いたり、使者を遣わしたりしながら、なるべく多くの兵士たちを集めてきました。そういうやり取りが書いてあります。そんなギデオン、そんな努力をしているギデオンに、神様は驚くべき指令を与えました。それはどういう指令かと言うと、多過ぎるという指令でありました。
7章の1節と2節を読みます。

エルバァール、すなわちギデオンと彼と共にいた兵は皆、朝早くハローデイの泉のそばに陣を敷いた。ミディアン人の陣営は、その北、モレの丘に沿った平地にあった。主はギデオンに言われた。『あなたと一緒にいる兵は多過ぎるので、私はミディアン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが自分の手で自分を救ったと言って、私に向かって誇るといけないからだ。』

こういう指示を神様はギデオンに出したということがわかります。「兵士が多すぎる」という声を聞いたとき、ギデオンはどんな気持ちになったでしょうか?
ここに書いてないから想像するしかありませんけれども、非常にびっくりしたんではないかなと思いますね。そして「どうして?」という、そういう想いだったんではないでしょうか。向こうは、ものすごい数の敵が揃っていて、それに対抗するために何とか兵を集めようと頑張っている、それなのに「多すぎる」とはどういうことでしょうか?非常にびっくりさせられる指令だったと思います。でもこれが神の命令でしたので、ギデオンはそれに従って、そして人々に言いました。
「誰でも恐れおののく者は帰りなさい。」
そしたら22000人の人たちが帰ってしまったということでありますね。そして残ったのは1万人、1/3しか残らなかったということですね。でも1万人でどうやって戦うかっていう感じだったと思うんですけれども、さらに驚くべき指令が出ました。「まだ多い。兵はまだ多過ぎる」と4節で主はギデオンに言っております。そしてさらに人数が絞られて最終的に何人になったでしょうか。最終的に300人になったという風に聖書に出てくるんですね。
300人でどうやって戦えるんでしょうか?この300人でいったいどうやって敵と戦ったらいいのだろうかと本当に途方に暮れてしまうような事態だったと思うんですけれども、でもこれがギデオンにとってはどうしても必要な経験であったということであります。
なぜこれほどまでに人数が絞られてしまったんでしょうか。それは2節に記されてある通りで、イスラエルが自分の手で自分を救ったと言って誇ることがないためであったということですね。
でももう一つ理由がありました。それは ギデオンが本当に神様を知るためです
本当に神は生きている、そして本当に自分の信じている神様は力強い神であるということ、本当に共にいてくれるんだということ、本当に自分のために戦ってくれるんだということを、ギデオンが理屈ではなくて、経験で知る必要があった。そのために特別に与えられた主の導きであったということを、私たちは覚えたいわけであります。

この後に続く、士師記7章9〜23節の場面はまさにこのギデオンによって率いられるイスラエルが、大勝利をおさめる場面であります。ギデオンが用いた武器は、角笛空の壺と、松明のその三つだけですね。剣は使わなかった。角笛と空の壺と松明の3点セットで勝利してしまいました。それらの三つのものを300人にそれぞれ持たせて、三つに分けて配置をし、そして真夜中に夜襲による攻撃を仕掛けたということがわかります。

彼らは300人だけでしたけども、全員でつのぶえを吹いて、そして持っていた壺を打ち壊すと、中にあった 松明の火が突然輝きはじめ、そして「主のため、ギデオンのためのつるぎ」と全員で叫んだということであります。真夜中に休んでいたミディアム兵士たちは、どんなに慌てたことでしょうか。突然、つのぶえが鳴り響き、壺の割れる音がして、いきなり光に照らされて、そしてイスラエルの兵士たちの叫び声が聞こえてきて、それは彼らにとってはどぎもを抜くような経験だったことは間違いない。そしてその結果彼らは本当に慌ててしまって、なんと、同志打ちが始まってしまった。そしてその後あわてて逃げていった。イスラエルに大勝利がもたらされたということがわかります。
そしてこれは、まさにギデオンの力ではないですよね。本当に神様によってもたらされた勝利であるということを、私たちは、この聖書の展開を通して教えられるわけであります。それをギデオンは経験する必要があったわけであります。

5.まとめ

本当に主が生きておられる、本当に主が共にいてくださる、そして本当に主が戦って下さる。私の信じている主はこんなに素晴らしい方であるということをギデオンはマザマザと知らされる、そういう経験が与えられたわけであります。

私たちが子供たちに願うのも子供達がそんな経験を与えられて成長していくことではないだろうかという風に思わされます。
神様という方は目に見えません。本当にいるのかいないのか?疑いたくなってしまうような時もあると思います。けれども、でもその目に見えない神様が、本当に生きている、そして私と共にいてくれる、私のために戦ってくれる、本当に素晴らしい神様であるということを、子供たちが成長の過程で経験できたら、こんなに素晴らしいことはないんじゃないでしょうか。頭での理解じゃないですよ、理屈ではないですよ、本当に主は生きておられるということがわかる、それが分かったら本当に私たち安心ですね。子供たちにとっても本当に安心だと思います。もうほっといても大丈夫ですね。自分で神様との関係の中で祈って、そしてそこで力を与えられて、勝利していくからであります。どんなに厳しい時代の中にあっても、どんなに大きな障害の中にあっても、神様が共にいてくださるという人生が、どんなに素晴らしい人生であるかということを、私たちも味わいたいと思いますし、そのような人生を子供たちが味わっていくことができるように、私たちは祈っていく責任があるんではないでしょうか。そのためにはまず、大人である私たちが信じなければいけないですね。私たちが不信仰であれば、とても祈りに力が入りません。私達がもし神様を知っていると言いながら、その神様を本当に知らなければ、祈ることできないと思うんですね。だから私たちがまず信じなければいけないです。神様は目に見えないけれども、本当に生きている。力強い、私たちと共にいてくださる方、そのことをどれだけ私たちは味わっているでしょうか。普段の歩みの中でそのことをしっかりと経験させていただいて、そしてその確信と喜びをもって、子供たちのために祈っていくそんな教会でありたいと思います。子供達の上に祝福が豊かにあるように、ご家族の上に祝福が豊かにあるように、ともに祈って参りたいと思います。

お祈りしましょう。
力に富んでいる私たちの父なる神様。私たちが、あなたを更に仰ぎ、さらに信じることができるように、どうぞ助けて下さい。そして子供たちのために、働く家族のために、続けて祈り続けていくことができるように私たちの祈りを励ましてくださいますようにお願いをいたします。み言葉を心から感謝し、主イエスキリストのみ名によってお祈りをいたします 。

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