イエス・キリストをより良く知るために

列王記1章15~31節

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。
それからダビデ王は「祭司ツァドクと預言者ナタン、それにエホヤダの子ベナヤをここに呼べ」と言った。彼らが王の前に来ると、王は彼らに言った。「おまえたちの主君の家来たちを連れて、私の子ソロモンを私の雌ろばに乗せ、彼を連れてギホンへ下れ。祭司ツァドクと預言者ナタンは、そこで彼に油を注いでイスラエルの王とせよ。そうして、角笛を吹き鳴らし、『ソロモン王、万歳』と叫べ。それから彼の後に従って上れ。彼は来て、私の王座に就き、私に代わって王となる。私は彼をイスラエルとユダの君主に任命する。」エホヤダの子ベナヤが王に答えて言った。「アーメン。王の神、主も、そう言われますように。主が王とともにおられたように、ソロモンとともにいて、その王座を、わが君ダビデ王の王座よりもすぐれたものとされますように。」そこで、祭司ツァドク、預言者ナタン、エホヤダの子ベナヤ、それにクレタ人とペレテ人が下って行き、ソロモンをダビデ王の雌ろばに乗せ、彼を連れてギホンへ行った。祭司ツァドクは天幕の中から油の角を取って来て、ソロモンに油を注いだ。彼らが角笛を吹き鳴らすと、民はみな、「ソロモン王、万歳」と言った。民はみな、彼の後に従って上って来た。民が笛を吹き鳴らしながら、大いに喜んで歌ったので、地がその声で裂けた。アドニヤと、彼とともにいた客はみな、食事を終えたとき、これを聞いた。ヨアブは角笛の音を聞いて言った。「なぜ、都で騒々しい音がするのか。」彼がまだそう言っているうちに、祭司エブヤタルの子ヨナタンがやって来た。アドニヤは言った。「入れ。おまえは勇敢な男だから、良い知らせを持って来たのだろう。」ヨナタンはアドニヤに答えた。「いいえ、われらの君、ダビデ王はソロモンを王とされました。ダビデ王は、祭司ツァドク、預言者ナタン、エホヤダの子ベナヤ、それに、クレタ人とペレテ人をソロモンにつけて送り出されました。彼らはソロモンを王の雌ろばに乗せ、祭司ツァドクと預言者ナタンが、ギホンで彼に油を注いで王としました。こうして彼らが喜びながら、そこから上って来たので、都が騒々しくなったのです。あなたがたが聞いたあの物音がそれです。しかも、ソロモンはすでに王の座に就きました。そのうえ、王の家来たちが来て、『神がソロモンの名をあなたの名よりもすぐれたものとし、その王座をあなたの王座よりも大いなるものとされますように』と、われらの君、ダビデ王に祝福のことばを述べました。すると、王は寝台の上でひれ伏されました。また、王はこう言われました。『イスラエルの神、主がほめたたえられるように。主は今日、私の王座に就く者を与え、私がこの目で見るようにしてくださった。』」アドニヤの客たちはみな身震いして立ち上がり、それぞれ帰途についた。アドニヤもソロモンを恐れて立ち上がり、行って祭壇の角をつかんだ。そのとき、ソロモンに次のような知らせがあった。「アドニヤはソロモン王を恐れ、祭壇の角をしっかり握って、『ソロモン王がまず、このしもべを剣で殺さないと私に誓ってくださるように』と言っています。」すると、ソロモンは言った。「彼が立派な人物であれば、その髪の毛一本も地に落ちることはない。しかし、彼のうちに悪が見つかれば、彼は死ななければならない。」それから、ソロモン王は人を遣わして、アドニヤを祭壇から降ろさせた。アドニヤが来てソロモン王に礼をすると、ソロモンは彼に言った。「家に帰りなさい。」( 列王記 第一 1:32-53 SKY17 )

まず、前回を振り返りたいと思います。ダビデは年を重ねて、老人になりました。

このままだとアドニアが王になってしまう。 しかし、神様のご計画は、「ダビデその後はソロモンが王になる」というものでした。

そこで預言者ナタンが登場します。 ナタンは、ダビデの妻でありソロモンの母であるバテシバのところに行き、「ぜひダビデに伝えてください」とアドバイスしました

――そのようにダビデに伝えよう、ナタンがアドバイスを与えたところまでが前回の指摘でした。

今日は、その続きで、バテシバがナタンの思い込みを受けてダビデのところに行く場面から始まります。 15節、「バテシバは寝室の王のもとに行った」というところです。その後、「王は非常に年老いていて、アビシャクが仕えていた」という記述が続いています。これは1節の繰り返しです。

最初に「ダビデは年老いてた」ということが書かれており、15節でもう一度それが考えられています。

何も分かっていない、緊張感があまり感じられない。 イスラエルの国がどういう状態なのか、起きているのか、危機的な状況に陥っているという認識が全くない。

モーセは120歳で亡くなったが、聖書には「彼の目はかすみ、気力も止まっていなかった」と書いてあります(申命記33章7節)。モーセの晩年とダビデの晩年を見て、かなり異なる印象を受けます。

いや、ダビデにとって王位継承問題はあったが非常に大事なことだったけれども、話したくない問題であった可能性はある。

ダビデは子育てにあまりうまくいかなかった。

なんだか問題に長く関与しないままであったことのツケが、最後に戻ってきたということが言えるかも知れません。 私たちの人生もまた、長く生きるうちに信仰があれば、逆に過去の後悔や失敗を思い出し、そこから離れられなくなることもあります。

かつて、若い頃はまっすぐに神信仰の輝きが、晩年には陰り、弱まってしまった――そのような一人の人間の現実がここに見えるのだと思います。

問題は大きくなり、「このままではアドニアが王になってしまう。そうなるとあなたの計画が中断されてしまう。ソロモンは殺されるかもしれない。」という危機的な状況が迫っていました。

「わが君、あなたは、あなたの神、主にかけて、『必ずあなたの子ソロモンが私の後を継いで王となる』と、このはしのために誓われました。それなのに今、アドニアが王となっています。あなたはそれを知らないのです。」

このバテシバの言葉に、母としての思いとともに、神の約束に対する信念が感じられます。感情だけではなく、「神の計画が成就しなければならない」という信念に立脚した勇気ある言葉でした。 バテシバはダビデの意識を神に向けさせたのです。

続いてナタンが入り、「王よ、アドニアがあなたの後を継ぐとおっしゃったのですか」と確認します。 これは「本来、王位継承の指示はあなたから出るものではないのですか」と問いかけ、再びダビデの目を神に向けさせました。

28節、「ダビデ王は答えた。『バテシバをここに呼んでください』。彼女が王の前に来ると、王は言っていた。『主は生きておられる。主は私の魂を常に苦しめるから言われて言った。』」――ここには本来のダビデの姿が戻ってきたのです。

「今日、必ずあなたの子ソロモンが私の後を継ぎ、王座に着く。」 バテシバは礼をして、「我が君ダビデ王様、今後も健在でありますように」と言いました。

とりあえず、危機的な状況の中で、神は見事に介入した。ナタンの存在がそこにありました。彼は勇気を持って王に進言し、神の考えを述べました。

そんな時、必要なのは「自分自身」ではなく、「神に目を向けさせて助けてくれる人」の存在です。落ち込んでいる人を尊重するためにはなく、神の恵みを示す存在になりたいものです。

神様のご計画があり、その中で私たちが生かされ、用いられていることを感謝します。

祈ります。

私たちも日常の中に様々な課題があり、 また私たちの中にも解決できていないような課題もあり、 またいろんな 直面することの多い私たちでありますが、しかし 神様、 どうぞ私たちが あなたに目を向けて 、あなたの素晴らしさ 、偉大さを知ることができるように 。また そのように人々にも励ましを与えていくことができるように。私たちの交わりが神様を中心とした交わる となりますように導いてくださるようにお願いいたします。 み言葉による導きと 励ましに感謝し イエス様のお名前によって お祈りをいたします。

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