列王記1章15~31節
まず、前回を振り返りたいと思います。ダビデは年を重ねて、老人になりました。
このままだとアドニアが王になってしまう。 しかし、神様のご計画は、「ダビデその後はソロモンが王になる」というものでした。
そこで預言者ナタンが登場します。 ナタンは、ダビデの妻でありソロモンの母であるバテシバのところに行き、「ぜひダビデに伝えてください」とアドバイスしました
。
――そのようにダビデに伝えよう、ナタンがアドバイスを与えたところまでが前回の指摘でした。
今日は、その続きで、バテシバがナタンの思い込みを受けてダビデのところに行く場面から始まります。 15節、「バテシバは寝室の王のもとに行った」というところです。その後、「王は非常に年老いていて、アビシャクが仕えていた」という記述が続いています。これは1節の繰り返しです。
最初に「ダビデは年老いてた」ということが書かれており、15節でもう一度それが考えられています。
何も分かっていない、緊張感があまり感じられない。 イスラエルの国がどういう状態なのか、起きているのか、危機的な状況に陥っているという認識が全くない。
モーセは120歳で亡くなったが、聖書には「彼の目はかすみ、気力も止まっていなかった」と書いてあります(申命記33章7節)。モーセの晩年とダビデの晩年を見て、かなり異なる印象を受けます。
いや、ダビデにとって王位継承問題はあったが非常に大事なことだったけれども、話したくない問題であった可能性はある。
ダビデは子育てにあまりうまくいかなかった。
なんだか問題に長く関与しないままであったことのツケが、最後に戻ってきたということが言えるかも知れません。 私たちの人生もまた、長く生きるうちに信仰があれば、逆に過去の後悔や失敗を思い出し、そこから離れられなくなることもあります。
かつて、若い頃はまっすぐに神信仰の輝きが、晩年には陰り、弱まってしまった――そのような一人の人間の現実がここに見えるのだと思います。
問題は大きくなり、「このままではアドニアが王になってしまう。そうなるとあなたの計画が中断されてしまう。ソロモンは殺されるかもしれない。」という危機的な状況が迫っていました。
「わが君、あなたは、あなたの神、主にかけて、『必ずあなたの子ソロモンが私の後を継いで王となる』と、このはしのために誓われました。それなのに今、アドニアが王となっています。あなたはそれを知らないのです。」
このバテシバの言葉に、母としての思いとともに、神の約束に対する信念が感じられます。感情だけではなく、「神の計画が成就しなければならない」という信念に立脚した勇気ある言葉でした。 バテシバはダビデの意識を神に向けさせたのです。
続いてナタンが入り、「王よ、アドニアがあなたの後を継ぐとおっしゃったのですか」と確認します。 これは「本来、王位継承の指示はあなたから出るものではないのですか」と問いかけ、再びダビデの目を神に向けさせました。
28節、「ダビデ王は答えた。『バテシバをここに呼んでください』。彼女が王の前に来ると、王は言っていた。『主は生きておられる。主は私の魂を常に苦しめるから言われて言った。』」――ここには本来のダビデの姿が戻ってきたのです。
「今日、必ずあなたの子ソロモンが私の後を継ぎ、王座に着く。」 バテシバは礼をして、「我が君ダビデ王様、今後も健在でありますように」と言いました。
とりあえず、危機的な状況の中で、神は見事に介入した。ナタンの存在がそこにありました。彼は勇気を持って王に進言し、神の考えを述べました。
そんな時、必要なのは「自分自身」ではなく、「神に目を向けさせて助けてくれる人」の存在です。落ち込んでいる人を尊重するためにはなく、神の恵みを示す存在になりたいものです。
神様のご計画があり、その中で私たちが生かされ、用いられていることを感謝します。
祈ります。
私たちも日常の中に様々な課題があり、 また私たちの中にも解決できていないような課題もあり、 またいろんな 直面することの多い私たちでありますが、しかし 神様、 どうぞ私たちが あなたに目を向けて 、あなたの素晴らしさ 、偉大さを知ることができるように 。また そのように人々にも励ましを与えていくことができるように。私たちの交わりが神様を中心とした交わる となりますように導いてくださるようにお願いいたします。 み言葉による導きと 励ましに感謝し イエス様のお名前によって お祈りをいたします。