はじめに神が天と地を創造された

創世記1章1~5節

聖園教会の歴史を振り返るシリーズの今回が最後。今日は聖園教会が今まで60年、この地に立ち続けた恵みを覚え、教会が存在する意味について考えたいと思います。
60年前に聖園教会は「地の果て」のように感じられる場所に建てられました。こんな人里離れたところに教会を建ててしまって人は本当に集まるのだろうか、と心配された方も当時はおられたそうです。この林の中に教会を建てたのは教会がキャンプ場としての働きから始まったから。その後、近くに美杉台ニュータウンが建設され、この地は今、飯能で一番よい場所になりました。伝道の拠点としても最適ですし、さらに、人が神と出会い、本来の自分を取り戻すためにもとてもよい場所となりました。

【1】 聖書の土台、人生の土台
「はじめに神が天と地を創造された」。聖書の最初の創世記1章1節のみことばは、聖書全体の土台となっているみことばです。ここに示されている真理を前提として、聖書全体のメッセージが成り立っているからです。それは①神がおられること、そして②天地万物は神によって造られたこと、この二つの真理です。
まず、神はおられます。「はじめ」と呼ばれる時にすでに神はおられました。神は永遠に存在しておられるということです。次に、この世のすべてのものは神によって造られました。その中に私たち人間も含まれています。神は天地万物を六日間かけて造られ、そして七日目に休まれました。この世のすべてのものが神から発しているだけでなく、それらは完全な秩序と麗しい調和に満ちています。
その中に置かれる時に私たちは心から喜び、本来の人間性と取り戻すことができます。私たち自身が神によって造られた被造物であり、この被造世界の一部であるからです。

【2】 罪による破壊と荒廃
私たち一人ひとりが神によって造られたとは、私たちが価値ある存在であり、人の人生には必ず意味と目的がある、ということを表しています。私たちは偶然に適当に、なんとなく存在しているわけではありません。一人ひとりが神によって造られた最高傑作であり、それぞれに人生における計画と目的があります。意味なく存在している人は誰もいません。よって創世記1章1節のみことばは、私たちの存在の土台であり、私たちの人生の土台でもあるのです。
この土台が見失われる時に、私たちは人生の土台を見失います。なぜ自分が生きていて、何のために生きているのか、その人生の意味と目的を失います。それゆえに私たちは、それを見出すための必死の努力を始めざるを得ないのです。
日本人は世界の中でも幸福感がとても薄い民族だと言われています。あらゆるものに恵まれているのに、幸せを実感できない人がたくさんいます。それと関係があるのだと思いますが、自己肯定感の低い人が多いとも言われています。生まれた時から人との比較の中で育てられ、やがて厳しい競争社会に投じられ、この世にどれだけ役に立つかという規準によってのみ、人間の価値が測られてしまいます。自分の価値を自分で証明することがいつも強いられるような状況です。その過程で、私たちは人生の最も大事な土台を見失ってしまうのです。
そのような歪んだ人間性を取り戻す場所が私たちには必要です。まず神がいてその上で私たちが存在していること、私たちは皆神から発し神に帰ること、造り主なる神が私たちを無条件に愛し導いておられること、その事実を知らされて私たちは本来の自分を取り戻すことができるのです。

【3】 教会のつとめ
この夏の暑さは尋常ではありません。ハワイやカナダやギリシャなどで起こった山火事のニュースに、私たちは心を痛めます。その一方で水害に苦しんでいる地域もたくさんあります。神の造られた麗しい秩序と調和が急速に崩壊し、コントロールを失いつつあることを実感します。この世の楽園と思われてきたハワイが焦土と化す映像を見ながら、この世には安心できる場所は一つもないのだ、と思わされます。そのような環境の崩壊に伴って社会の規範や健全な価値観、そして人間性そのものが今、どんどん崩れ去っているように見えます。
このような時代の中にあって教会に委ねられているつとめは大きいのではないでしょうか。自らを失っている現代人に天地万物を造られ全世界を治めておられる神がおられること、その神の前にあって人は初めて本来の人としての安心を得られること、その事実を示す働きが、今どんなに求められていることでしょうか。それだけでなく崩れ行く現実の世界の中に、永遠に変わらない御国がすでにあること、その御国がやがて完成する希望をも、教会ははっきりと示していかなければなりません。

【4】 むすび
預言者イザヤはかつて預言しました。「しかし、ついに、いと高き所から私たちに霊が注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになる。(イザヤ32の15)」 「荒野」と見えてしまう私たちの人生の歩みとこの世の厳しい現実の中に、聖霊の息吹によるみわざがなされていること。それがやがて新天新地として完成される希望をしっかりと心に抱きつつ、その希望をこの世に示し続けたいと思います。

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