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映画「新聞記者」を観て・・信仰の自由への懸念

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ここに掲載している記事は毎週の礼拝で受ける恵メッセージの中でも特に教えられ感銘を受けたものをとりあげています。自分の霊の糧として、あるいは友人と分かち合いたいという願いから、また是非心に留めておきたいという想いから、BLOGという体裁を取らせていただきました。

今の若者たちの現政権に対する支持率が意外なほど高いと聞く。昭和40年代の学生運動華やかなりし頃、実際にその運動の末端に連なり、権力と戦うことがかっこいいと思っていた我々世代からすると、実に隔世の感がある。

そんな私がふとしたきっかけからネットの記事を見かけ、その解説に惹かれ、実際に映画「新聞記者」を観に出かけた。以下に予告編を載せておくので是非観てほしい。

1.映画の感想

おりしも参議院議員選挙投票日が、まじかに迫っている。「神の国と神の義」を第一として、為政者への執り成しの祈りを捧げつつ、大切な一票を投じたいと願っている(マタイ6章23節・第一テモテ2章1節2節)。

そんな中で、この映画を観て、一番強く印象に残ったことは、一言でいえば権力に対して「おもねる」ことの危険性である。勿論これはあくまでも映画であり登場人物の葛藤を描いたドラマではあるのだが、実際にあった、そしていまだに解決されたとは言い難い「もりかけ学園」問題がモチーフになっている。登場人物の一人、上級官僚が放った一言「この国の民主主義は形だけでいいんだ」というセリフが、この映画のアンチ・テーゼであると思われる。一般的にはヒットしないとされる「政治ドラマ」ではあるが、それに挑戦した制作者・スタッフの気概と熱意を強く感じる。松坂桃李の演技も良かったが、主演のシム・ウンギョンの演技は素晴らしかった。この役を引き受ける日本人の女優がいなかったので彼女にお鉢が回ってきたという。

 

2.キリスト者として刮目して認識すべきこと・・信仰の自由への懸念

もうずいぶん前から言われていることだが、自民党の憲法改正草案第二十条は信仰者からすれば決して看過できない草案である。

現行憲法第二十条1項 自民党憲法草案第二十条1項
①信教の自由は、何人に対してもこれ在保障する。いがなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない ①信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、 特権を与えてはならない

この20条1項に対する変更点と問題点

1.現行条文の「何人に対してもを削除

これによって公務員(例えば学校の先生)の信教の自由に制限を加えることが可能になる。

2.「国は」を主語として挿入

これによって信教の自由を国民に与えるのは国家だと位置づけることになる。(主客転倒させている)。憲法は、国家の統治者の権カ行使が暴走しないように歯止めをかけ、 基本的人権を守るためのものであるという立憲主義の精神が踏みにじられる

3.「又は政治上の権力を行使してはならない」を削除

これを削除することによって特権は与えないにしても、特定の宗教(例えば安倍首相や国会議員の4割)が属するといわれる日本会議(=成長の家がその前身)と特定の政治権力との結びつきが可能となる。

現行憲法二十条3項 自民党憲法草案二十条3項
③国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしては ならない。 ③国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育 その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的 行為の範囲を超えないものについては、この限りでない

この20条3項に対する変更点と問題点

草案のほうには「社会的 儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないもの」が追加されている。
このことによって、例えば神社参拝は 日本古来からの「社会的儀礼 又は習俗的行為 の範囲を超えないもの」であるとして、国は、子どもたちに、宗教教育ではないとして、神社参拝をさせる根拠を与えることができてしまう。、やがては靖国神社の国家護持、天皇の公式参拝にまで至るかもしれない。  ただしこの懸念は、すでに、改悪された教育基本法の「愛国心」条項で先鞭をつけられてしまっているのであるが。

この憲法草案の主眼は、憲法九条「戦争放棄」規定の改正にあるのは明らかだが、信教の自由に関する改正案も、勝るに劣らない重要項目である。と言うのはこの草案の根本的思想背景には先に記した「日本会議」(成長の家)があり、その目指すところは、「美しい日本」であり、日本の伝統文化を尊重しようという考え方があると思われる。そのこと自体は問題ではないが、しかし幾世紀もの歴史の風雪に耐え、世界の思想の果実ともいうべき現憲法の立憲主義思想と抵触するようであれば、それに従おうとするのはあまりの時代錯誤であり、歴史に逆行する所業ではないだろうか。ましてや私達クリスチャンは、神様が示される価値観に基づいて神の国実現のために遣わされているのである。それが如何に快い響きを持つ価値体系であっても、神様の御心に反するものであれば、NOと言わざるを得ない。

3.まとめ

クリスチャンになろうと決心したとき、「信仰」と「生き方」は区別すべきだ、それが私の親からの忠告だった。なんとなくではあったが信仰を持つことによる生きづらさを懸念してのアドバイスである。つまり、なにを信じても構わないが、それを世間に公にせず、時に我慢し、周りと折り合いをつけて生きなさいという親心ではあった。

マスコミから伝えられる今の若者たちの投票行動にも同じような傾向がみられるのではないだろうか。「このままでいいのか?」と言う漠然とした不安はあるものの、その不安にまともに向き合うことの懸念から、あまり深く考えずに現実の流れに身を任せて生きてゆく。

同じことは、「忖度」が横行する現実の政治状況の中でも垣間見られることではないだろうか。

この記事もご参考に

東京新聞電子版(7月7日)より

https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201907/CK2019070702000269.html

 【ニューヨーク=共同】米紙ニューヨーク・タイムズ電子版は五日、東京新聞の望月衣塑子(もちづきいそこ)記者を紹介する記事を掲載した。菅義偉官房長官らに対して多くの質問を繰り出すことで、日本の報道の自由にとって「国民的英雄のような存在」になっていると指摘した。

背景として、日本政府は一部の記者を会見から排除するなど「独裁政権のような振る舞い」をすることがあると批判。日本には多くの記者クラブがあり、所属する記者たちは情報を得られなくなることを恐れ、当局者との対立を避ける傾向があるとの見方も紹介した。

望月記者については、会見で菅官房長官が「あなたに答える必要はない」と発言するなど、多くの質問で「政治家や官僚をいら立たせる」と指摘した。望月記者はニューヨーク・タイムズ紙に「権力の座にある人々を監視すること」が自分の使命であり、政府は「常に情報を隠そうとする。それを掘り起こさなければならない」と強調した。

 

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