イエス・キリストをより良く知るために

若い時のくびき

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

旧約聖書「哀歌3章25~33節」
礼拝説教


【1】 若いときのくびき、どのように対処するのか 

「くびき」とは、車を牛にひかせるために、牛の首に固定する横木のことです。聖書では「苦難」や「隷属」を象徴的に表すことばとして用いられています。 聞いてあまり嬉しいことばではありません。人にとって、くびきを負わされることがどうして良いことなのでしょうか。しかも、若い時に。若い時くらいは青春を謳歌して楽しい時間を過ごせたらよいのではないでしょうか。しかし実際に私たちは、若い時に多くの苦しみを経験するのではないでしょうか。 若いときにくびきを負うことがなぜ良いのかを考える前に、そのような時にどのように対処すべきかについて考えたいと思います。聖書は「それを負わされたなら、ひとり静まって座っていよ(28)」「口を土のちりにつけよ(29)」「自分を打つ者には頬を向け、十分に恥辱を受けよ(30)」と教えます。 つまり、そのような時には大騒ぎするのではなく静まって、その苦しみの意味を考えること。身を低くして十分にへりくだること。そして、さらに深く苦しみを味わうことを聖書は教えているのです。 様々な問題が起こった時にすぐに答えを出さず、じっくりと祈りながら神の前に踏みとどまるという経験が、私たちには必要なのではないでしょうか。特に若い時に必要ではないでしょうか。信仰をもつということは悩みも葛藤もない、すっきり、さっぱりした人生を歩むということではないはずです。人生の悩みや葛藤を、信仰をもって乗り越えていくことこそが、私たちにとって大切な経験なのです。

【2】 くびきを負わされることが、なぜ良いのか

若いときにくびきを負わされることが、なぜ良いのでしょうか。それは、「主は、いつまでも見放してはおられない(31)」からであり、「主は、たとえ悲しみを与えたとしても、その豊かな恵みによって、人をあわれまれる(32)」からであり、「主が人の子らを、意味もなく、苦しみ悩ませることはない(33)」からです。 哀歌は、バビロン捕囚の苦しみの中で預言者エレミヤによって歌われた歌だと言われています。エレミヤは崩壊したエルサレムと、エルサレムの神殿を前にしての嘆きを表しました。そのような苦難を強いられたのは、どうしてだったのか。それは、イスラエルの背きの罪のためでした。彼ら自身の神に対する不従順の結果だったのです。その苦しみの意味をしっかりと考える必要が彼らにはありました。しかし、その先には神のあわれみが用意されていたのです。 若いときに負わされるくびきにも必ず意味があります。そして神は、その人をいつまでも見放すことはなさいません。主は一時的には悲しみを与えることがあったとしても、その豊かな恵みによって、あわれんでくださるからです。 しかもこの段落は25節の「主はいつくしみ深い」との宣言から始まっています。人は若いときにしっかり悩むことで、主のいつくしみ深さを知ることができます。そしてもし、それが若い時に与えられた経験であるならば、その後の人生は素晴らしいものに変えられます。主とともに歩む人生の素晴らしさを、若いときにすでに教えられたからです。その後の人生も、このいつくしみ深い主とともに歩んでいけるからです。

【3】 むすび

「くびき」とは二頭の牛に同時にかけられることから、「連帯性」を表すことばでもあります。イエス様は言われました。「わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(マタイ11の29~30)」 私たちが負わされた重いくびきをイエス・キリストがともに担ってくださり、それを「わたしのくびき」と言ってくださるのです。私たちの歩む道は罪と死に支配される捕らわれの道、苦難の道です。しかし、その重いくびきをイエス様が背負ってくださいました。その主が今も私たちとともに歩んでくださいます。今も私たちのくびきを背負って、ご自分のくびきとしてくださるのです。

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