イエス・キリストをより良く知るために

真の知恵と偽りの知恵

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

ヤコブの手紙3章13~18節

あなたがたのうちで、知恵があり、分別のある人はだれでしょうか。その人はその知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。 しかし、もしあなたがたの心の中に、苦々しいねたみや利己的な思いがあるなら、自慢したり、真理に逆らって偽ったりするのはやめなさい。 そのような知恵は上から来たものではなく、地上のもの、肉的で悪魔的なものです。 ねたみや利己的な思いのあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。 しかし、上からの知恵は、まず第一に清いものです。それから、平和で、優しく、協調性があり、あわれみと良い実に満ち、偏見がなく、偽善もありません。 義の実を結ばせる種は、平和をつくる人々によって平和のうちに蒔かれるのです。


【1】 知恵がある人
 ヤコブ3章より舌を制御することの大切さについて学び、さらに、舌の制御は難しいこと、舌は火であり、不義の世界であり、休むことのない悪であり、恐ろしい結果を引き起こすことについて学びました。その上で私たちが切に求めること、それは私たちがどうすればこの舌を制御できるのかということです。
 「あなたがたのうちで、知恵があり、分別のある人はだれでしょうか。その人はその知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい(13)」。
 舌を制御するために、私たちには知恵が必要です。そして、その知恵は柔和な行いを人に与え、立派な生き方によって示されるものであることがわかります。私たちの舌を制御するために、私たちはこの知恵を求めなければなりません。
 
【2】 偽りの知恵
 私たちの生身の姿はどのようなものでしょうか。私たちの心の中には苦々しいねたみや、利己的な思いがあります。私たちは元来、自己中心であり、自分勝手であるということです。それゆえにすぐに自慢したり、真理に逆らって偽ったりします(14)。ヤコブが注目しているのは舌やことばだけではありません。私たちの心の中に何があるか、にも注目します。心の中にあるものがことばとなり、その人の生き方となって表れてくるからです。
 確かに私たちは生きていく上での知恵を必要とします。この世で充実した人生を歩むための知恵を求めます。しかしそれらの知恵は上から来たもの、つまり、神から来たものではなく、地上のもの、この世的なものです。しかもそれは肉的であり悪魔的であると指摘されています。
 私たちは皆、罪人です。そのことを私たちもよく自覚しています。しかし、私たちは心の内では「それ程悪くない」「神の前にそれ程汚れていない」と思い込みやすいのではないでしょうか。しかし聖書は徹底しています。私たちが肉的であり、さらに悪魔的であるとまで言います。悪魔は私たちの神とみことばへの信頼を失わせ、自分自身に拠り頼ませます。さらに悪魔は一致を破壊し、教会に混乱をもたらします。
 利己的な思いのあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いが伴います。イエス様が「人の内側から出てくるものが人を汚す」とお話しになられた通りなのです。
 
【3】 上からの知恵
 ところがこの地上の知恵とは全く違う知恵があります。その知恵こそはヤコブがすすめている知恵であり、舌を制御するために必要な知恵です。それはどのような知恵でしょうか。
 それは上からの知恵、つまり神からやって来る知恵です。その第一の特徴は清い、ということです。神からの知恵は私たちを清めます。そして私たちと神との関係を整えます。私たちは清められることによって神の栄光を映し出す者へと変えられていきます。
 そしてその清さが平和と優しさと協調性を生み出します。神との関係が整えられると、その祝福は人との関係に及んでいくことがわかります。神との平和が人との平和を生み出すのです。さらにそこには偏見がなく、偽善もありません。人との関係でえこひいきすることもありませんし、見せかけでもありません。
 この世には二つの知恵があります。地上の知恵と上から来る知恵です。それはともに知恵であるゆえに一見すると違いがわかりません。しかし、全く違うものです。地上の知恵は混乱と邪悪を引き起こすのに対し、上から来る知恵は平和をもたらします。私たちは地上の知恵を捨て去って、真の知恵を求めなければなりません。

【4】 平和をつくる人々
 この知恵に生かされる人は、平和をつくる人となります。この人の特徴は行く先々で種を蒔くことです。その種とは義の実を結ばせる種です。この人を通して人々は神を意識し、神を見上げ、神を信じる者へと変えられていきます。つまり神を人々に指し示す人となるのです。
 しかも、この種は平和のうちに蒔かれます。義務感や焦りや不安に駆られて種を蒔くのではありません。平和のうちに楽しそうに種を蒔きます。種蒔きが喜びなのです。その喜びが人々に伝わっていくのではないでしょうか。

【5】 むすび
 人々に広く平和をもたらす上からの知恵を、私たちはどうすれば自分のものとすることができるのでしょうか。すべての良い贈り物、すべての完全な賜物は上からものです(1の17)。それは神から私たちへの贈り物で、賜物なのです。私たちはただそれを受けとめるだけでよいのです。その知恵を獲得するために努力する必要はありません。
 舌を制御できない私たち、賛美とともに呪いのことばを口にしてしまう私たち、そして肉的で悪魔的な地上の知恵に支配されている自分自身を認め、主に悔い改めようではありませんか。そして、しっかり上を見て、神から与えられる上からの知恵をしっかりと受け止めようではありませんか。

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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

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