マタイの福音書11章16~30節
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若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。
16.この時代は何にたとえたらよいでしょうか。広場に座って、ほかの子どもたちにこう呼びかけている子どもたちのようです。 17. 『笛を吹いてあげたのに 君たちは踊らなかった。 弔いの歌を歌ってあげたのに 胸をたたいて悲しまなかった。i 18.ヨハネが来て、食べもせす飲みもしないでいると、 『この人は悪霊につかれている』と人々は言い、 19.人の子が来て食べたり飲んだりしていると、 「見ろ、大食いの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言うのです。しかし、知恵が正しいことはその行いが証明します。」 20.それからイエスは、ご自分が力あるわざを数多く行った町々を責め始められた。彼らが悔い改めなかったからである。 21.「ああ、コラジン。ああ、ベツサイダ。おまえたちの問で行われたカあるわざが、ツロとシドンで行われていたら、彼らはとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。 22.おまえたちに言う。さばきの日には、ツロとシドンのほうが、おまえたちよりもさばきに耐えやすいのだ。 23.カペナウム、おまえが天に上げられることがあるだろうか。よみにまで落とされるのだ。おまえのうちで行われたカあるわざがソドムで行われていたら、ソドムは今日まで残っていたことだろう。 24.おまえたちに言う。さばきの日には、ソドムの地のほうが、おまえよりもさばきに耐えやすいのだ。」 25.そのとき、イエスはこう言われた。 「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを、知恵ある者や賢い者には隠して、幼子たちに現してくださいました。 26.そうです、父よ、これはみこころにかなったことでした。 27.すべてのことが、わたしの父からわたしに渡されています。父のほかに子を知っている者はなく、子と、子が父を現そうと心に定めた者のほかに、父を知っている者はだれもいません。 28.すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 29.わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。 30.わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
要約
1. イエスの時代の人々への批判 (11:16-24)
イエスは、当時の世代を「市場に座っている子どもたち」に例え、彼らがどんなメッセージにも反応しないことを批判しています。ヨハネの厳しいメッセージにも、イエスの優しいメッセージにも耳を貸さない人々の姿勢を指摘しています。
2. イエスの招き (11:25-30)
この部分では、イエスが父なる神に感謝し、疲れた人々や重荷を負っている人々に対して「わたしのところに来なさい」と招いています。特に有名な28節では、「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と語られています12。
この箇所は、イエスが人々に対して優しさと慰めを提供し、彼の教えに従うことで魂の安らぎを得ることができると約束している重要な部分です。
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