まず私達が求むべきこと、それは「神の国と神の義」・・・マタイ伝6章33~34節
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若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。
3.神の「義」を求めなさい
イエス様は、ここでもう一つの事も求めなさいと命じておられます。
それは何か?それは「神の義」であるということがわかります。神の国をまず求めて、さらにその義を求めなさいと、ここで命じられています。
「神の国の義」というのは、道徳的、倫理的な正しさ、ということではなくて、神様との関係の正しさを表している言葉であります。
それはつまりどういうことかというと、私たちが清められていくということです。
神の国の義を求めるとは、「罪に汚れた私たちが清められていくこと、そして私たちがキリストの姿に少しずつ似せられて行くことを求める」ということです。
なぜ私たちは神の国だけではなく、その義をも求める必要があるのでしょうか?
それは罪が取り除かれなければ、私たちは神様との親しい交わりを経験することができないからです。私たちの罪が、神様と、私たちの間の隔ての壁となってしまって、そして私たちは神様からの祝福を十分に受けることができない、神ご自身から私たちを引き離してしまう、その罪をまず取り除くっていうことが私に求められている。でも、もし私たちが清められていくならば、私たちは神様の近くに生きることができます。強くなればなるほど、私たちは神に近づいてきます。そして私たちの確信は強められていきます。ですから私たちはここで神の国とその義を求めなさいと命じられているということを覚えたいと思います。
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