まず私達が求むべきこと、それは「神の国と神の義」・・・マタイ伝6章33~34節
5.まとめ
以上のことは、実はイエス様がもう「主の祈り」の中で教えてくださっていたことでありました。
私たちは主の祈りの中で、神様に向かって「日ごとの糧を与え給え」と祈ることができます。いやむしろ、祈るべきですね。私たちの生活の必要が満たされますようにと祈ることができるんです。
でもそれは私たちの第1の祈りであってはいけない。その日毎の糧を求める前に、もっと別のものを求めなさいと、イエス様は私たちに教えてくださいました。それは「御名があがめられますように、御国がきますように、御心が天でなされますように地でもなりますように」、つまり御名、御国、御心という神様の大きな目的を求める、それをまず求めなさいというのがイエス様が私たちに教えてくださった祈りです。
そのあとで、私たちの必要が満たされるように、日ごとの糧を求める、そういう順番が大事であるということを私たちは教えられているわけであります。私たちは礼拝のたびに、毎週、毎週この「主の祈り」を唱えながら実は、そのことを確認しているはずなんです。
ところが普段の生活に戻ってしまうと、この優先順序がひっくり返ってしまうことがありますね。御名、御国、御心というのはだんだん脇に追いやられて、その関心が薄れてしまって、私たちの生活の必要だけが私たちの最大の求めになってしまうということがあるんではないでしょうか。
今あなたが一番求めているものは何でしょうか?神の国とその義でしょうか?それともその他のものでしょうか?その他のものも大事です。生活の必要も全部大事です。私たちの生活のこと仕事のこと、勉強のこと、この世にある色々な経験、全部大事なことですよね。全部必要なものです。
でも、もっと大事なものがあるとイエス様も教えてくださっているんではないでしょうか。
それは私達と神様との関係です。神の国とその義です。そのことをまず求めなさいと命じられている。そのことを求めれば、もう父なる神様は私達をほんとに祝福してくださる。その準備があると、ここで教えてくださっているわけです。
是非私たちの心の中でこの優先順序がはっきりと意識されますように。第一に求めるべきものを、本当に求めることができるように。私たちはそのような祈りを主に捧げていくものでありたいと思います。そうすればもう私たちは明日のための心配は必要ないと34節にあります。「だから明日のための心配は無用です。もう明日のことは明日が心配する、その日その日の労苦は十分にある」と記しています。
どうしてですか?それはこの33節の言葉がはっきりと自覚されている結果です。33節があって34節の、この祝福へ繋がっていくというそのつながりを意識したいものです。
では私たちは、これから何を求めていくべきでしょう?是非私たちは神の近くにいることを求めようではありませんか。そのために私たちが清められていくことを求めようではありませんか。神の国とその義をまず第一に求めていこうではありませんか。その時に主がくださる祝福をたくさん味わっていきたい。それぞれの遣わされたところで、神の国の民として、その自覚を持って、生きることができるように祈っていきたいと思います。