ソロモンの宮殿と私たちの完成 ―第一 列王記7章1〜12節
今日の箇所は、ソロモンが十三年をかけて自分の宮殿を建て上げたというところです。前の章では神殿の建設について学びましたが、ここからは王の住まいとなる宮殿の建築が始まります。神殿が七年で完成したのに対し、宮殿には十三年が費やされたと記されています。それはソロモンが神よりも自分を大切にしたということではなく、そこにそれぞれの役割と意味があったからです。
宮殿は単なる王の私的な住居ではありませんでした。そこは政治の中心、国を治め、人々の訴えを聞き、正義を行う場所でもありました。裁きをする広間や、ファラオの娘のための邸宅も造られ、全体として国の秩序を支える重要な施設でした。神殿と宮殿は隣り合って建てられています。つまり、礼拝と政治、信仰と生活は切り離されないということを象徴しているのです。
私たちの生活も同じではないでしょうか。日曜日の礼拝と、月曜からの仕事や家庭の生活――それは別のものではありません。どちらも神の御前にあり、神のための働きなのです。教会でも礼拝の備えだけでなく、会計や管理、地域との関わりといった「生活の部分」があります。それらはすべて主に仕える行いであり、神の御業を支える大切な務めです。
この箇所で繰り返される言葉、それは「完成した」という表現です。神殿が完成し、宮殿も完成した。ソロモンの王国は、長い歴史を経て神の約束が成就していく過程の中で、「完成」という一つの節目を迎えました。出エジプトから480年――神は民を導き、この時まで計画を進めてこられたのです。
そして私たちもまた、完成へと導かれている者です。神は私たちの人生の中で、まだ途中の働きを続けておられます。信仰生活は一日で終わるものではなく、神の御手の中で少しずつ形づくられ、磨かれてゆく歩みです。
ですから、教会が「現状維持」で満足してしまうとしたら、それは大きな危険です。私たちは常に「完成」を目指して前進する者でありたいと思います。神が働いておられるその途中に私たちは生かされているのです。
ソロモンの時代にも、繁栄の後に崩れがありました。人は完成を喜ぶときに、しばしばそこで歩みを止めてしまいます。しかし神は、完成したその先にも目的を持っておられます。神の前でへりくだり、日々新たに造り変えられていく――そこに、神の国の完成への希望があります。
今日、私たちもまた「完成を目指して歩む者」として召されています。神殿も宮殿も、すべて神の栄光のために建てられました。私たちの生活、奉仕、仕事もまた、神の栄光を現すためにあるのです。どうか、主が私たち一人ひとりの中で、その御業を完成してくださるように祈りましょう。