戦後のキ リス ト教~福音主義の成長と発展
・戦時下の教会の罪に、戦後の教会はどのように向き合ったか。
・戦後の福音派教会はどのような課題と取り組み、どのような成長を遂げたか。
I・戦争責任と戦後責任
(1) 進駐軍の占領政策とキリスト教
・1945年8 同30 日、ダグラス・マッカーサーが連合軍最高司令官として厚木飛行場に到着。連合国車
総司令部(GHQ)による占領政策が開始される。
・日本占領の基本方針:「日本が再び米国の脅威となり、又は世界の平和と安全の脅威となることなき様
保証すること」。日本の非軍事化・民主化政策を強力に推進していった。
・i945年10月「人権指令」発令。(治安維持法、宗教団体法の撤廃)、1945 年12 月「神道指令」
発令。(国の国家神道の支持、支援を禁じる。伊勢神宮、靖国神社は一宗教法人となる。)
・1946年1月昭和天皇の「人間宣言」。その後、日本各地を巡回。
・1946年11月3 日 日本国憲法の発布。信教の自由が保障された。「天皇制」は「象徴天皇制」という
形で温存されることに。昭和天皇の戦争責任も公には問われることはなかった。
戦後発足した東久邇宮内閣が「一億総懺悔運動」を開始。乞われて顧問に就任した賀川豊彦がこの運
動に協力した。
1945年8月28日、日本基督教団常務理事会が開催され、通達文がまとめられ、教団統理・富田満の
名前で全国の教会に送付された。「我等は先づ茲に到りたるは畢竟我等の匪窮の誠足らず報国の力乏
しきに因りしことを深刻に反省懺悔し‥・」。神社参拝や戦争に協力したことに対する懺悔ではなく、
天皇に対する誠が足りなかったことに対する懺悔。
・時局の激変の中で、戦争責任の追及よりも教団の体制維持を優先させた。
・I946年6月9日、全国のキリスト教徒6,000名が青山学院に集まり「全国キリスト教大会」を開催し、
300万求霊を目標とする「新日本建設キリスト運動」を開始させた。
戦争について教会の犯した罪を告白したドイツの「シュトゥットガルト宣言」のような告白は、戦後
の日本基督教団からは発表されなかった。
・敗戦と同時に自己検討した上で、戦後を再出発させるチヤンスを逸した。
・戦後20年以上経た1967年、日本基督教団執行部から「第二次大戦下における日本基督教団の責任に
ついての告白」が発表された。教団成立と戦時下に教団の名において犯した過ちを自覚した上で、神
の憐れみと隣人の赦しを請い求めた。戦争に同調し、神に託された「見張り」の使命をないがしろにし
た罪を悔い改めた。
(2)キリスト教ブームの到来
・進駐車時代の教会に人々が大挙して押し寄せた。その多くが青年たち。
・賀川豊彦が日本各地で講演。1946~49年にかけて1,219回講演し、聴衆は691,461人、決心者は
186,914人を数えた。決心者は都市部に限らず、農村地帯にまで及んだ。
(背景)
・ 日本の支配者層のキリスト教に対する態度が豹変。
・1947年、富士見町教会に属する片山哲 (社会党)が総理大臣に就任。
・皇室がキリスト教と接近。日本YWCA会長植村環が、皇后に聖書講義をした。クェ一力一のエリザベ
ス・ヴァイニング大史が皇太子 (前天皇)の家庭教師となる。
・アメリカ礼賛の風潮。
・敗戦により日本人の多くがたましいの 「真空状態」に陥った。
(評価)
・キリスト教ブームが去った後、教会から離れていった人々も少なくなかった。
・外発的要因に支えられたブームは、根を下ろした宣教や教会形成に結ぴつきにくかった。
・キリスト教ブームに便乗するかたちで 「三百万求霊」を提唱する一方、戦時下に国策に協力した自ら
を自己検討することはなかった。
2・ 戦後の福音派教会の成長
戦後の福昔派の再出発
・戦後の福音派:
① 戦前から活動していて、日本基督教団から離脱し、自分たちの群れを再建した教会
(日本同盟基督教団、日本ホーリネス、日本自由メソジスト、日本イエス・キリスト教団など)
② 戦前にルーツを持ちつつも、戦後新たな理念のもとに設立された教団
(日本基督改革派教会、インマヌエル綜合伝道回、基督兄弟団など)
③ 戦後来日した宣教団によって設立された教団
(日本福音自由教会、日本バプテスト教会連合、日本基督長老教会など)
④ 日本人によって独自に設立された教団と教会
(聖善キリスト教会、単立キリスト教会連盟、活けるキリスト一表教会など)
⑤ 超教派諸団体
(PBA、いのちのことば社、KGK、CCC、新生運動など)
・戦後、マッカーサーは、宣教師の日本への派遣をアメリカの教会に要請した。多くのアメリカの宣教
団の宣教師たちが来日にし、日本各地で伝道を進めた。
・1949年に中華人民共和国成立、1950年に朝鮮戦争勃発。中国や朝鮮半島での宣教を諦めた多くの宣
教師たちが、日本にやって来て、宣教活動に従事した。
3 福音派の協力
・1948年 日本新教連盟設立
・1951年 日本福音連盟設立 「聖歌」発行
・1960年 プロテスタント宣教100周年を機に 「日本プロテスタント聖書信仰同盟 (JPC))」を結成。
その中に聖書翻訳委員会 (新改訳聖書刊行協力会、日本福音主義神学会へと展開)と伊勢神宮対策委
員会 (靖国神社国営化反対運動の基礎を据える)が設けられた。
・1960年代には東京クリスチヤンクルセード、ビリー・グラハム国際大会、本田クルセード、総動員伝
道などの大規模伝道が諸教会の協力によって実施された。
・1968 年 日本福音同盟 (JEA)が結成。
・1969 年、日本福音主義神学会が設立される。
・1974 年6戸 第一回日本伝道会議が京都で開催される。テーマは 「日本をキリストヘ」。7月にはロ
ーザンヌ伝道会議がスイスのローザンヌで開催され、日本からも53名が参加した。(ミッションとい
う概念を 「伝道」と「社会的責任」の二つに分け、両者を含むものとした。)
・1982年 第二回日本伝道会議 (京都) テーマ 「日本をキリストヘー終末と宣教」
・1987 午 JEAが世界福音同盟やアジア福音同盟に加盟する。
・1991年 第三回日本伝道会議 (塩尻)「日本、アジア、そして世界へ」
・2000年 第四回日本伝道会議(沖縄) 沖縄宣言を発表 テーマは「21世紀を担う教会の伝道一和解
の福音をともに生きる」
・2009年 第五回日本伝道会議 (札幌)「危機の時代における宣教協力」
・2016年 第六回日本伝道会議 (神戸)「再生へのRe-Visionー福昔、世界、可能性」
・2017 年 「新改訳2017」発行
4. 福音派とは何か~福昔派のアイデンティティ一の形成
(ア)聖書翻訳事業
・1961年 新改訳聖書刊行協力会が結成される。65年に新約聖書、69午に旧約聖書が完成。
・1978年の第二版、2003 年の第三版を経て2017 年の 「新改訳2017」の完成に至る。
・福音派の多くの教会が新改訳聖書を採用し、日本の福音宣教と教会形成に大きく貢献した。
・ 「新聖書注解」(1972-76)「新聖書辞典」1985)、r新聖書講解」(1987~89)「実用聖書注解」(1995)
などが日本人教職者の手によって作成、出版された。
(イ)聖書論論争
日本の福音派は1970代後半~8O年代にかけて大きく成長した。
成長した要因:1.伝道に積極的、2.世代交代が進んだ、3.よき協力関係が築けた。
・この頃、聖書の全的無誤性をめぐる聖書論論争が起きる。福音派のアイデンティティーが問われた。
・米国で始まっていた聖書の無誤性をめぐる論争が日本にも波及。福音派を二分する論争に発展した。
・I987年、JPCの総会にて 「聖書の権威に関する宣言」を発表。「聖書の内容を信仰的・教理的領域と
歴史的・社会科学的領域に分けることは不可能であり、聖書はその書が書かれた目的にそって理解さ
れるなら、それが主張しているすべての事柄において誤りがない」と宣言された。
(ウ)聖書論論争
・198O年代から90年代にかげて、日本の教会内に異言をともなう聖霊のバプテスマを強調する 「聖霊
の第三の波」、悪霊からの解放や癒しを強調する 「力の伝道」などの信仰運動が起こった。
・1996年、ペンテコステ派、カリスマ派、諸教会の結集を目指して 「日本リバイバル同盟」が結成。機
関紙として 「リバイバル新聞」が発行された。
・このカリスマ運動は福音派を含む諸教派に大きな影響と混乱をもたらした。
・この運動に対する警戒が福音派に広がるとともに、聖霊問題に対する対応が求められた。
(エ)天皇の代替わりに対する対応
・1989円、昭和天皇が亡くなり、「昭和」が終わり「平成」が始まる。天皇の重体時には日本中に自
粛ムードが広がった。天皇制を支える日本人の精神構造が露呈された。
天皇神格化を象徴する大嘗祭が国家行事として行われるのに際し、日本の教会も連帯して反対を表明。
日本福音同盟においても問題意識の喚起や、政府に対する抗議声明の発表がなされた。
一連の天皇の代替わりを通し、国家との関わりや歴史認識、戦争責任問題について福音派は大きな変
化を経験した。
戦後50年にあたる1995年には多くの団体や教団から戦争責任告白や平和声明が発表される。福音派
教会の中でも戦争責任の自覚が深まった。
(オ)2001年アメリカ同時多発テロ以後の世界への対応
・2001年9月11 日、アメリカで同時多発テロが起き、アメリカはテロリスト勢カとの全面対決へと乗
り出す。
・アメリカ福音同盟はイラク戦争賛成の立場を取る。日本福音同盟、アジア福音同盟はイラク戦争反対
の声明を発表した。
(まとめ)
・小さな教派に分解した諸教会が、互いに協力したり神学的研鎖を積みながら、宣教協力をともにする
だけでなく、日本における福音主義の形成や、聖書信仰の確立に努力した。
・今日の社会が抱える多くの問題、日本の伝統や宗教との関わりなど難題が載積する中、福音主義信仰、
聖書信仰を確立する必要に迫られてている。