イエス・キリストをより良く知るために

福音派の形成と発展【1】

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

合理主義の時代と福音主義の誕生

「福音派」と呼ばれる教会が、どういう経緯で形作られ、形成され、今日に至っているかということを学んでいきたいと思います。
プロテスタントの教会には、いろんな教会があって、ルーテルもあるし、バプテストもあるし、長老派、ペンテコステとかホーリネスとか色々グループがあるんですけれども、それら全部を含めて福音派の教会と呼ぶことができるんですね。福音派っていうのはどういう教会かと言いますと、「聖書は完全に神の霊感によって書かれ、誤りなき神の言葉である」という聖書の十全(聖書信仰を信じる教会)と言うことができると思います。一言で言えば「聖書は神の言葉である」、「全て神によって記された神の言葉である、ということを信じる教会」ということになります。
第二ペテロ1章21節「なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです」と書いてあって聖書は、それは人間の意思によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちによって記されたと主張しています。
また第二テモテ3章16節「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」とあります。聖書は人によって書かれたけど全部御霊による御業なのだ、「神の言葉なのだ」っていうことを聖書が主張しているわけですけれども、そのことを信じる教会が福音派の教会ということになります。
でもそれは、言ってみれば「聖書は神の言葉ではない」「 聖書は神の言葉であると信じてない教会もある」って言うことになるのですね。「全部神の言葉ではなくて部分的に神の言葉である」とか、「ある部分は人間によって記された創作である」と信じる人たちもいるのです。そういう立場を自由主義的な教会といいますね。

ですから自由主義的な教会に対して、私たちは福音主義に立つ教会ということになります。これがどういう経緯で生まれて、今日に至っているかということを、学んでいくんですけれども、時代との戦いの中で、福音派というグループが形成されてきたということが分かると思います。

1.合理主義の時代の到来

①16世紀

16世紀は宗教改革の時代でした。ルーター・カルバンなど宗教改革者たちが、大活躍をして、教会が、「み言葉のみ、信仰のみ、恵みのみ」っていう聖書の教理に目を開かれて勢いを取り戻した、そういう時代だったんですね。ところが、100年ぐらいすると、その教会もだんだん教条主義・形式主義に陥ってしまってですね、時間が経つと教会が命を失っていってゆくということになってしまったんですね。
そして17世紀に入ると、三十年戦争という戦争が起きました。これは政治的要因・経済的要因・色々複雑に絡み合ってますけれども、形としてはカトリックとプロテスタントの宗教戦争という形になりました。教会同士の戦争ということになりましたので、その影響は本当に甚大だったんですね。教会に対する人々の信頼が失われてしまいました。そして反キリスト教精神が広がってしまう。その荒廃が著しかったのが、戦場になったドイツでした。当時のドイツの国民の1/3が戦争によって亡くなっているんですね。本当にドイツは、その戦争によって甚大な被害を、その戦争によって受けたんですね。しかもそれが宗教がらみ、教会がらみの戦争だったということなんです。そうなってしまうと、人はとても教会を信頼できなくなるって言うのは当然の結果だったと思うんですね。とても残念なことだったなと思いますが、これが後々にいろんな影響を及ぼしていきます。

②17世紀

他方、17世紀っていうのはどういう時代かというと、ガリレオ・ケプラーが地動説を発見、ニュートンの万有引力の法則の発見で、そういう人たちが登場してくることによって、近代物理学の基礎が築かれ、18世紀に自然科学が発展しました。 この時代の人たちがだんだんで賢くなってきました。自然界っていうのは、適当に動いてるんじゃなくて、ある一定の法則に基づいて動いてるって言うことを発見するんです。りんごが木から落ちるっていうのは、それはたまたま落ちるんじゃなくて、ある一定の法則に従って落ちるんだっていうことを発見したんですね。ですからこの世界は何か、すごい法則があるらしいなどと、そういうものに対する関心・興味がどんどん膨らんでいって進歩していくっていう、そういう時代だったわけです 。
さらにデカルト・フランシスベーコン・カントなどの哲学者たちが登場して、啓蒙思想が発展しました。それまでの時代の人たちは真理って言うのは聖書に記されていることが真理だったんですね。神様が聖書を通して啓示して下さったことが真理だったんですね。しかしこの時代の人は真理そのものを疑うんですね。「真理なんてない」と。それで疑うところから始めて、いろいろ仮説を立てて、そしてその仮説を実験によって証明して、証明できたことが真理であるっていう、そういう真理に対するアプローチが変わってしまうんですね。あらゆることを疑うようになってしまう。そして啓蒙思想の精神に基づいて、フランス革命、アメリカ独立戦争などが引き起こされ、近代国家形成に大きな影響力を及ぼしたのです。

③啓蒙思想

啓蒙思想っていうのは、人間の自由とか平等を、すごく大事にするんですけども、それは聖書に基づいて、人間の自由と平等 を語るのではなくて、むしろ聖書を否定して、人間中心主義の考え方の中で、自由・平等というものを追求するわけですね。「自由」って言った時に、それは神からの自由であったり、教会からの自由だったり、それまでは教会によってある意味では、支配されていたっていう時代が、長かったわけですけれども、もう人間は自由なんだ、神様からも自由なんだという、いわば啓蒙思想に目覚めていくわけです。でも、それがフランス革命とかですね、アメリカの独立戦争とか、色んな所に影響を及ぼして、人権宣言とか独立宣言とか、世界の歴史に甚大な影響をもたらしたということになります。
このように合理主義の時代がやってきました。この合理主義は世界への関心と、理性への信頼を最大の特徴とし、科学万能主義を引き起こしたということです。かつては神学という学問が最高に権威のある学問でしたね。中世の時代は一番大事なのは「神様を知る」ということへの了解があったわけですけれども、17世紀18世紀になると神学っていうのも「時代遅れの学問」になるんですね。神学ではない、科学と人間の理性が作り出し発見することは、大事な学問であるっていう風にですね、そういう風になってしまう。 いかに当時の人間が神様から離れてしまうかがわかると思います。そしてその影響を今日まで引きずっているということです。教会が力を失っていく形骸化していく、そしてそういう人間中心主義がはびこってしまうという、そういう世の中になってしまったわけです。

2.福音主義の誕生–ドイツ敬虔主義

でも神様はそういう時代の中に、新しい命を注ぎ込んで、御業をなしてくださったということを次に見ていきたいと思います。
そういう時代の中で福音主義とい考え方が生まれてきます。
ドイツに注目したいと思いますけれども、この中にドイツに敬虔主義と呼ばれる運動が起こりました 。 ドイツは、三十年戦争で一番甚大な被害を受けて苦しんでた国ですね。人々は本当に戦争の傷跡も残っていましたし、もともとルターによる宗教改革の始まったところですから、人々は何かを求めてたと思うんです。
その中からフィリップ・シュペナーという人が現れました。この人はフランクフルトのルター派の牧師でした。この人がドイツ敬虔主義の指導者になった。 そして、祈り・聖書研究・霊的経験を分かち合うための、家庭集会がドイツ国内で急速に数を増やし敬虔主義運動の基礎となった。 勿論教会での礼拝を大切にしていましたけれども、それと同時に祈り・聖書のみ言葉を学び、そのための交わりの場であったり、家庭集会のようなグループが、いろんなところにできて、それが敬虔主義の土台になったっていうことですね。
そしてシュペナーは「敬虔なる願望」を出版しました。この本で彼は「教会内の霊的衰退の原因は、生きた信仰の欠如であり、牧師が霊的に再生すべきこと」を訴えています。当時は牧師も停滞してたようですね。本当にその通りだと思いますね。やっぱり教会が再生するために、牧師がまず再生しなければならない。牧師が沈んだような教会はやっぱり沈んでしまうと思います。牧師がみ言葉によって生き生きと生かされていなければならないと思います。
シュペナーによって始められた働きを引き継いだ人が、アウグスト・フランケという人です。この人は後にハレ大学という大学の教授となりました。この大学が、敬虔主義の拠点となった。フランケは大学運営だけでなく、貧民学校・養護施設・ラテン語学校を創設し、社会奉仕活動にも取り組んだそうです。やはりみ言葉によって生かされて、生き生きとしてくると、神様の御心に沿って歩みたいという願いが起こされますね。
そういう願いの中で世の中を見ていくときに、本当にそこにはいろんな問題があって、苦しんでいる人もいて、そういうところに、神様の愛を届けたい という、そういう気持ちが与えられて、それ中から色んな社会的な活動も始まっていったということです。
さらにこの敬虔主義運動が注目に値するのは、プロテスタント教会の中で、いち早く「世界宣教」に熱心に取り組んだということです。デンマーク・ハレミッションと言いますけれども、デンマークの王様が関わっているので、デンマーク・ハレミッションという名前になるんですけれども、1800年までに、インドやグリーンランドなど世界各地に、約60名の宣教師を遣わし、この働きが世界宣教の先鞭になったのです。
このドイツ敬虔主義は後に、モラビヤ兄弟団、クエーカーそしてウエスレーによるメソジスト運動などに引き継がれ、ヨーロッパ中に信仰復興運動をもたらし、さらにアメリカにも拡大していった。 このようにもともと小さな働きに過ぎなかったデンマーク・ハレミッションは、注目に値する働きだったということが言えると思います。
でもその大元に何があったかったか言うと、やっぱりこの、祈り・聖書研究・そしてその交わり、家庭集会、こういうところから始まってるって言うことは、非常に私たちにとって重要なことじゃないかなという風に思います。

3.今日の日本の教会

今日の日本の教会を見た時に、少し、力を失ってきてるんじゃないかっていうの見方があります。福音派と呼ばれるグループは、30年ぐらいはすごく勢いがあって、羽ばたく福音派なんていう言われ方をしたりしました。教団系の教会は、いろんな問題抱えていたんですけど、福音派は、どんどん人が増えて宣教が祝され、教会がどんどん建って勢いがあった時代があったんですね。今から40年ぐらい前、西暦1980年とかそのくらいだと思います。その時はもうすごい活発でお金がどんどん増える 。クリスチャンの数も増えるし、「福音派、すごいね」っていう時代があったんです。でもあれから40年経った今、なんとなく福音派の教会も力を失ってきています。40年前は若かった人たちがですね、今は、60代70代80代ぐらいになってきて、その後の世代があんまり育ってないっていう問題が、どの教会にも見られるんですね。地方の教会に多いんですけれども、牧師が来なくて高齢化が進んで、教会をもう閉じなくちゃならないっていう、そういう問題がいろんなとこで今起きてきてるんですね。それでどうやったらね若い人が来る教会なるだろうか?どうやったら教会が力を取り戻せるかって言う、苦労、葛藤が、いま日本の教会にあるんじゃないかなという風に思います。それで色々なプログラムを考えたり、若者向けのプログラムを用意したり、色々努力をしたりするんですね。そういうことも大事かなと思うんですけれども、でも歴史を通して私たちが覚えておかなくちゃいけないことは、やっぱり、みことば・祈りって言いますか、そしてそこで、神様との出会いが味わわれ、本当にそこに命があるかどうかっていうことが一番大事だと思います。ですから教会の中に、本当に命があれば、必ずその教会は力を取り戻すし、若い人も必ず来てくれるし、そういう信仰に私たち立ちたいなと思うんですね。もちろんプログラムも大事だと思いますけども、プログラムに頼るというよりは、やっぱり本当にそこにみ言葉があるかどうかって言うか、そして私たちが本当に神様に生かされているかどうかっていう、そこが一番肝心なことだと思います。ですから、こういう合理主義の時代の中にあってもね、本当に教会が命を失いかけたような中にあっても、やっぱり福音的な働きが始まったのは、そういうところから始まってるわけですから、そういうことを 、私たちは、歴史から学んで、「聖書を読む会」や、家庭集会、祈り会など、そういう小さな働きを本当に大切にしていくっていうことが、教会の命に繋がっていくということを是非覚えたいなという風に思います。

ここまでが17世紀、18世紀ですが、19世紀に行きます

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