イエス・キリストをより良く知るために

戦時下の教会の受難~日本基督教団の成立とホーリネ、ス弾圧

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

大正期に安定期を迎えたキリスト教会は昭和に入り、天皇制国家主義の中にしっかりと組み込まれる。
国策に沿った教会形成を行った結果、神社参拝や戦争協力などの罪を犯すことになった。
この時代の教会は、それまで培った信仰が試される時だった。当時の教会は何を問われたのか。
天皇 を中心とする国体の中にどのように見込まれ、なぜ組み込まれたのか。

 

I・日本基督教団の成立

(I)設立の経緯
l923年、日本基督教会連盟が発足。神の国運動などのさまざまな超教派的活動を展開しながら、
教会合同を推進していった。日本基督教会の慎重な姿勢もあって合同運動は一進一体。
1939年(昭和I4)に第二次宗教団体法案が可決、翌年に施行された。(1927年、1929年の二回、
同様の法案が国会に提出されていたが、いずれも不成立に終わっていた。)

*宗教団体法
・対象は教派神道、仏教宗派、キリスト教、ぞの他の宗教。国家神道は対象外。宗教団体を国が管
理するために制定された。
・宗教団体の教義や宗教上の行事が 「安寧秩序を妨げ又は臣民たるの義務に背く」と見なされた時
は、教師の業務を停止させ、宗教団体の認可を取り消すという内容が盛り込まれた。(第I8条)
・第二次法案提出時には、提出理由に 「時局」が登場した。
・翌年、治安維持法が改正される。天皇制の精神統合をはかるため、国体に反する思想・信条は厳
しい取り締まりを受げた。

・キリスト教界は、この動きに沈黙か賛成でこたえた。大勢は国家と同じ方を向いた。
日本選督教会・富田満議長:「若し国策上から教会の合同が多少とも必要なら、福音の真理に反か
ざる範囲で一段と努カすることは日本基督教会として当然為すべきことと思われる。」(1940 年
「大会記録」)
・1940 年、文部省が教団認可の具体的基準を提示:所属教会50 以上、信徒数5,000 人以上。当時
この基準に達していたのは7教派だけだった。中心教派間において合同が進められる。
・1940年7月、救世軍スパイ容疑事件が起こり、諸教会に大きな衝撃を与えた。外国ミッションと
の関係を早急に断ち切る必要に迫られる。
・1940 年l10月17 日、「皇紀2600 年奉祝全国基督教信徒大会」が青山学院の校庭で開催される。
二万人の信徒が集まり、「吾等は全基督教会合同の完成を期す」との決議を採択した。
・その後、合同準備委員会が組織され、信条、機構、教職制度、財務等について8回にわたる討議
を重ねたが、信仰告白については一致できず。信仰告白に基づく一致ではなく、各派の連合組織
となる部制をとって合同に踏み切ることになる。
・1941年6月24~25日、富士見町教会にて総会が開催。プロテスタント教会の34 教派が一つと
なり、「日本基督教団」が成立した。教団統理者として 日本基督教会・富田満が選出される。
・宣誓文:「われら基督教信者であると同時に日本臣民であり、皇国に忠誠を尽くすを以て第一とす。」

第1部:日本基督教会
第2部:日本メソジスト教会他
第3部:日本組合教会他
第4部:日本バプデスト教会
第5部:日本福音ルーテル教会
第6部:日本聖教会
第7部:日本伝道基督教団 (日本イェス・キリスト教団、墓督伝道隊など)
第8部:日本聖化基督教団 (自由メツジスト、ナザレン、日本同盟基督協会など)
第9部:きよめ教会他
第10部:日本独立基督教会同盟会 (様々な立場の単立教会を含む)
第11部: 日本救世団

・新たに設立された教団が11の連合体にすぎないことを見た文部省は、部制解消を教団に要求。翌
年11月に開かれた教団総会で部制が廃止され、完全合同が実現した。

・1941年12月8日、太平洋戦争勃発。教会も国家統制に組み込まれる。愛国機献納、慰問袋の作
製、宮城遥拝、靖国神社参拝等により、国策に協力した。

(2)教団成立の評価
① 積極的・肯定的:会同成立を神のみこころの成就として積極的に受け止めた。
・「神はこの反動法を通しても、キリスト教を日本において公認させ、また長い祈りであった教会
一致の理想を実現するきっかけを作られた。」(海老沢亮)

② 消極的・否定的:会同成立を国家権力に対する屈服と、国策への妥協と受け止めた。
・「教会は、他者依存的な体質のために、自己の保存を求めて、みずから天皇制国家の支配体制の
なかに自己を投げ出し、教団を設立した。」(土肥昭夫)
・「信仰告白への関心を弱めるのみならず、告白すべき信仰内容すら確認し得ない、最も悪しき合
同と言わねばならない。(小野静雄)
・「日本の教会は自ら進んで宗教団体法による教団に入った。それによっで、日本のキリスト教は
・「日本基督教会」となり、その使命は「宗教報国」となった。そしてキリスト者個人はキリスト者
である以前に「日本人」となったのである目 (井戸垣彰)

③ 折衷評価:
国家権力への屈服であることを認めつつ、なおもその中に主の御手の配剤を認めた。
・「われわれはそこに暗示された歴史の意義を学ぶ謙虚な態度を求めなければならない。」(石原謙)

まとめ:
・1920年代より教会を合同させる動きはあったが、1941年に結成された日本基督教団は信仰告白
を共有する教会合同ではなかった。国策に協力することを目的とした合同。
・合同達成後は教団あげて戦時体制に組み込まれ、戦争の遂行に積極的に協力し、神社参拝や礼拝
時の宮城遥拝なども行った。神とならべて天皇を神とする偶儀礼拝の罪をおかした。
・みことばを土台とした信仰告白よりも、日本民族の血とつながりが強調され、宣教師やミッショ
ンとの関係が断ち切られる「日本基督教」となった。
・このような教会の傾向は突然起こったのではなく、以前から見られた。もともと日本人の中に内
在していたものが、時代の変化に応じて、表面化してきたと考えられる。
・国家と民族の自然主義的同一性が意識される中、法的手段を逆用してキリスト教への世間の誤解
を解消しようとした。

2・ ホーリネス系三教会弾圧事件

(I)ホーリネス教会について
・19O1年 (明治84)に中田重治がカウマン夫妻とともに神田神保町で伝道を開始し「中央福昔伝道館」
を創立。教派を超えた救霊伝道を目指した。伝道は日本各地、朝鮮半島や台湾にまで広がった。
・1905年に「東洋宣教会」が設立。I917年 (大正6)には「東洋宣教会ホーリネス教会」となる。
・「四重の福昔 (新生、聖化、神癒、再臨)」を重んじ・組織は監督制を取り、独自の教派色が強くなってゆく
・1918年、中田重治は内村鑑三、木村清松と一緒に再臨運動を日本中で展開した。再臨運動は、ホーリネ
ス教会ではリバイバル運動につながり教勢の増加をもたらした。
・193O~33年にもリバイバルが起こり、驚異的な成長を遂げた。
・1933年12月、再臨信仰の解釈をめぐって教会は「きよめ教会 (甲田)」と「日本聖教会 (車田秋次、米
田豊、小原十三司)」に分裂した。
・I941年の日本基督教団成立時にはきよめ教会が第九部、日本聖教会は第六部にそれぞれ組み込まれた。
・戦後、「日本聖教会」より「日本基督教団ホーリネスの群れ」「インマヌエル綜合伝道団」「日本ホーリネ
ス教団」が生まれ、「きよめ教会」より「基督兄弟団」「基督聖協団」が生まれた。

(2)事件の経過
・1942年 (昭和17)6月26日早朝、ホーリネス系教職者96名が治安維持法違反嫌疑にて、全国で一
斉検挙される。翌年4月の第二次検挙を含めて合計184名が逮捕された。内訳は日本基督教団第六部
(旧日本聖教会)60名、第九部 (旧きよめ教会)62名。教団に加わらなかつた東洋宣教会きよめ教会
12名。
・134名の検挙者のうち75名が起訴される。車田秋次、米田豊らの指導者たちが実刑判決を受け、他の
多くが有罪とされるが執行猶予となる。
・小山宗祐 (函館本町教会)、菅野鋭 (横浜教会)、小出朋治 (大阪西野田教会)、斎藤保太郎 (水戸常盤
教会)、辻啓蔵 (弘前住吉町教会)の5名の牧師たちが獄中死した。
・1943年4同7日、文部省は教会設立認可の取り消し処分を行い、ホーリネス教会は解散を命じられた。
・ 日本キリスト教史上、プロテスタント教会に対する最大規模の弾圧。

(3)検挙の理由
・日本灯台社→耶蘇基督之新約教会→プリマス・ブレズレン→ホーリネス系教会
再臨を強調し、神社参拝に対して否定的な立場を取る群れが弾圧されている。
・ホーリネスは 「認可」されていた日本基督教団に加わっていたにも関わらず弾圧された。

(4)ホーリネスの牧師たちが経験した受難
① 国家権力から標的とされ有罪とされたこと
・「個人や団体を徹底的に弾圧し、その悲惨な結果を示すことで関係者を恫喝し、信徒たちがますます
国家に協カするようにしむけた。(中村敏)」
・被告人たちを有罪とする裁判所の方針はすでに決まっていた。

② 日本基督教団の反応
・文部省の命令を受け、教団は獄中にある教師たちとその家族に通達する。その中で、教会の設立認可
の取り消し処分と、教師への自発的辞職を求めた。自発的辞任に応じない場合は、教団規則に基づい
て教師の身分を剥奪することを申し添えた。
・「不純なものを除去することによって‥・却って好結果が得られる」「彼らの熱狂的信仰は我々教団の
みでは手の下し様もない位気違いじみている。」「信者中に不退教義に対する妄執強く、それを清算し
きれぬものが多い」‥・・。ホーリネス系教会を「異分子」として分離することで、より「健全」なキリ
スト教団を結成しようとした。
・キリスト再臨を霊的なもの、精神的なものと受け止め、地上再臨を信じるホーリネス教会との教義の
違いを強調した。
・牧師が検挙・逮捕されたために、苦境に陥る牧師家族に対する教団からの配慮は特になかった。
・一方で権力へおもねり、他方で仲間への愛を冷却させた。

③ 教会の信徒たちの反応
・ 国家からにらまれた牧師を教会員が排除、無視、冷遇した例、多数あり。

④ 牧師たちの対応
・弾圧された牧師たちの多くは無実を主張した。牧師たちの多くはホーリネス信仰と国体は矛盾しない
と考え、基本的に戦争協力、国策に協力的だった。なぜ弾圧されているのか理解できずに戸惑う者も
多かった。

(5)何がためされたか
① キリストか、天皇か
② 公同の教会か、日本基督教か
③ キリストを中心とする兄弟愛か、日本人の血に基づく民族愛か

・天皇制国体イデオロギー (皇祖神 → 天皇 → 臣民→ 大東亜共栄圏)
・聖書の体系 (神 → キリスト→教会→神の国)

・教団指導者たちは、天皇制イデオロギーをキリスト教的表現で表そうとした。天皇制との共存を目
指したため国家が悪魔化していく姿を十分に見抜くことができなかった。その結果、「イエスは主で
す」、との信仰告白が暖昧になり、福音理解そのものが著しく歪められた。

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