イエス・キリストをより良く知るために

福音派の形成と発展【2】

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ここに掲載している記事は毎週の礼拝で受ける恵メッセージの中でも特に教えられ感銘を受けたものをとりあげています。自分の霊の糧として、あるいは友人と分かち合いたいという願いから、また是非心に留めておきたいという想いから、BLOGという体裁を取らせていただきました。
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自由主義神学との戦い
19世紀、信仰の敵、自由主義神学との戦いを見ていきます。

19世紀は、まずは、プロテスタント教会とっての「偉大な世紀」だったと言えると思います。敬虔主義の運動が始まり、そしてそれが広がって、リバイバルが各地に起こされますね。 ウエスレ―の働きもありましたし、イギリスでもリバイバルが各地に起こり、それがアメリカにも普及して、アメリカでもリバイバルが起こされるなど、非常に勢いを取り戻していくことがあったんですが、その中から本当にいろんな素晴らしい働きが生み出されていきました。

(1)プロテスタント教会にとっての偉大な世紀

ウィリアム・ウィルバーフォースは 奴隷貿易廃止に尽力した人です。イギリスにおいて奴隷貿易が廃止されるにいたる大きな貢献をした人ですが、そこにはクリスチャンたちの活躍があったんですね。 刑務所伝道に尽力したジョン・ハワードという人もいましたし、日曜学校運動を開始したロバート・レイクスっていう人物もいました。そしてスポルジョン、偉大な説教家スポルジョンの本が日本語にもたくさん翻訳されておりますけれども、こういう人たちが大活躍したのが19世紀イギリスでした。
そしてそのイギリスが中心になって、ウィリアム・ケアリーとかロバート・モファット、リビングストーン、ハドソンテーラー等々、たくさんの宣教師が世界中に派遣されていったのがこの時代です。 インドにも中国にもアフリカにもという感じで、どんどん宣教師が派遣されて行って、世界中に福音が伝わったのが19世紀でした。
プロテスタント教会が福音の命に生かされ、世界宣教に活発に乗り出していた19世紀を教会史家、ラトゥーレットは「偉大な世紀」と呼んでいます。ラトゥーレットっていう歴史家が「グレートセンチュリー」っていう本を書いていますけども、プロテスタントの宣教が、いかに世界中になされていったかということを詳しく書いています。19世紀に、アフリカの人達にも、アジアの人達にも、世界中の人々に福音が届けられた、まさにそれは19世紀、神様の
御業みわざだったという風に思います。私たちが教会で歌っている賛美歌とか聖歌の多くは、この時代に出来てます。たくさんの賛美歌や聖歌が作られた時代でもあったのですから、本当にそこには喜びがあったと思います。

(2)自由主義思想の隆盛

その一方で教会は19世紀に啓蒙思想が生み出した、近代自由主義の強烈な知的挑戦に、さらされていくのです。19世紀こんなに素晴らしいか神様の御業がなされていた時代だったんですけれども、その一方で時代から受ける挑戦っていうのは、どんどん激しくなっていった、そういう時代でもありました。

啓蒙思想が18世紀に生み出されて、科学中心主義の考え方、つまり、この世の支配的な考え方が、またさらに進歩して自由主義的な考え方が19世紀に勢いを増していきます。自由主義思想の隆盛ともいうべき時代です。
啓蒙思想の影響を受けたシュライエルマッハー、ヘーゲルなどの哲学者・神学者たちが、聖書の啓示を否定する自由主義神学を提示した。このシュライエルマッハー、ヘーゲルっていうのは 当時の時代を代表する神学者です。
シュライエルマッハーは牧師の息子ですね。自由主義の考え方に、当時の教会のリーダーたちが、非常に強い影響を受けていくということになります。

①聖書批評学の誕生

神の啓示としての聖書を認めず、聖書は人間によって作られた歴史書であると理解されたんですね。聖書=神の啓示であるっていう事をちゃんと主張してるんですけれども、でも、この時代の人たちは、だんだん、聖書は全部が神の言葉ではない、人間の理性で考えた時にどうしても理解できないとして、受け入れられない部分をどんどんどんどん切り離していくんですね。聖書そのものがもはや啓示の書ではなくて、人間によって作られた歴史の本だとする、そういう立場に立つ神学者たちが現れてきました。
進歩史観に立脚した近代国家モデルを描写した、ヘーゲルの国家論は、近代国家形成に多大な影響を与えました。ヘーゲルという哲学者そして神学者が、非常に大きな影響を与えたのは、ヒットラーとかムッソリーニなど、20世紀の独裁主義政治家たちにすごく大きな影響を与えたと言われる所以ですね。

国家というものは、神が掲示した最高のものであるという、神学の理解の中で、国家を非常に大事なものと受け止める考え方があります。神様は聖書ではなくて、国家を通して、ご自身を掲示されている、したがって国家の象徴であるリーダーは、絶対的な存在なんだって言う、そういう進歩史観という考え方に立つために、ヒットラーとかムッソリーニなどは最高の指導者なってしまうわけですよね。どうして、あれだけヒットラーが、当時のドイツの人達に、熱狂的に受け入れられたのかって言うことは、私達から見るとちょっと信じられないような気持ちになるかもしれませんが、当時はそういう考え方だったわけでです。 聖書を批判的に分析するための哲学的枠組みを供給したということになります。そういう流れの中から、聖書批評学という学問が誕生しました。聖書を、単なる歴史的文書と見る傾向が強まる中、リッチェルやハルナックなどの、自由主義神学者たちが、多数登場し、ドイツが自由主義神学の中心となった。 なんだかすごく皮肉だなと思います。あの宗教改革が起こったドイツで、そして敬虔主義が始まったドイツで、まさに神様の
御業みわざが始まったドイツが自由主義神学の牙城になってしまうということに、歴史の不思議を感じざるを得ないですね。啓示そのものより啓示を判断する人間の理性が重んじられていくことになってしまいました。
それまではずっと長い間、人々は聖書に記されてあることが神からの啓示であるとして、それを信じて信仰をもって受け止めるというスタイルだったわけですけれども、いまや人間の理性の方が大事になってしまったんです。ですから、聖書をどう「解釈」するかという人間の理性の方が重んじられてゆく。以前、「聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない」ことを学びましたけれども、でも、だんだん人々は啓示そのものよりも人間の私的解釈の方が大事になっていくんですね。そういう聖書の読み方をすると、例えば創世記は神話であるなどということを言い出す人が出てきました。あるいは聖書の書き方のスタイルが変わるわけですね。あるいは、主語が変わる、神様の名前が変わったりですね、最初ヤーウエイという言葉で出てたのが、エロヒームって名前に変わるとか、色々聖書を分析して行くといろんなことわかるんですけれども、それはモーセが書いたんじゃなくて、後代の人が付け加えたものなんだというように、聖書を批判的に読む人たちがたくさん現れるという状態になってゆきました。そうなると奇跡とか、啓示の概念、原罪の教理、救い主イエス・キリスト、再臨などの、聖書の主要教理は否定されてしまいます。 マリアは処女なのに、赤ちゃんを身ごもったっていうのは、どう考えても理解できない、イエス様が復活したなんてありえない、イエス様が再臨するなんてことはありえないと言うふうに、合理的に考えればそうなりますね。
そういうことを、どんどんどんどん切り離して言ってですね、聖書はそういう啓示の書ではなくて、道徳の本なんだ、人間がいかに生きるべきことを教えてくれる本、倫理的なことを教えてくれる、そういう書物なんだと理解する人も出てくるようになっていったのです。 当時の多くの教会が、自由主義神学の影響を受けて、霊的な力を失っていったということです。教会が本当に祝福されて、勢いをつけていくと必ずと言っていいほど、時代の挑戦を受けるんですね。 これが、聖書批評学という学問ですね。

さらに教会にとって非常に大きな影響を、ダメージを受けたのは、もう二つあるんです。一つは進化論、もう一つはマルクス主義ですね。この二つの影響が非常にに大きかったなと思います。

②.進化論

みなさんご存知ですけど、ダーウィンが1859年に種の起源という本を発表した時から始まりますが、生物が自然淘汰を繰り返しながら様々な種に分岐したり進化したりすると主張した。進化論は神の創造の御業みわざをして、神は聖書も「人間の宗教意識の進化の産物」とみなし、宗教や信仰が進化論の枠組みの中で考えられるようになったんです。神の創造、ということをも否定してしまったんですね。人間は猿から来たということになりますよね。進化の賜物なんだ、人間も進化してゆく、生物は皆進化して今日に至っている。これからもどんどん進化してゆくという発想ですね。それがまた哲学的にもいろんな影響を及ぼしてゆきます。
確かに当時は科学万能主義で、社会そのものが経済的・技術的に進歩している時代でしたね。 今では、それが行き詰まって、いろんな問題を引き起こしていることがわかっていますけれども、当時は、本当に人々は興奮状態だったんじゃないかなと思います。それまでできなかったことが、できるようになる。今までなかったような技術がどんどん進歩する、電気が灯され、電話ができ、飛行機ができる。車がどんどん生産される。 ですから、まさに人間は進化していくんだ、そして社会は進歩していくんだっていうことが、みんな当然だと思うようになり、それが教会の中にも入ってゆき、教会のリーダーたちにも影響してゆく、そういう時代状況だったと思います。
そういう中で進化論の考え方がどんどん広まって行く。ダーウィンの適者生存の思想が民族的優越感を合理化し、戦争を適者の生存として肯定するためにも用いられたということです。ダ―ウインの進化論は、基本的に生物学的な進化論になるんですけれども、これが、あの適者生存という思想に基づいていますので、「民族」についても、適正な民族と劣等の民族っていう風に分けられ、ユダヤ人が劣等の民族であり、ゲルマン人が優秀な民族だと言う論理の下で、迫害を行ったのがヒトラーですよね。当時はそういう考え方に基づいていました。 あの劣勢の民族は抹殺されなければいけない、それが人類が進歩していくために必要なことなんだと、むしろ肯定されるような考え方ですから、進化論がいかに破壊的な影響を、次の時代にもたらしたかっていうことを、私たちは教えられると思いますね。これがまだ生きてるような感じがいたします。障害を持った人たちを、何かすごく価値のない人間であるかのように見る考え方とかですね、そういうのが、なんか今でも残ってるような感じがいたしますよね 。色んな所に影響を及ぼしたと言えるんじゃないかなと思います。

③.マルクス主義

もうひとつは、マルクス主義が非常に破壊的な影響があったんじゃないかなと思いますが、これはマルクスという人がエンゲルスと言う人と共に、1848年「共産党宣言」という本を発表しました。実在は精神ではなく物質であるとする唯物論を主張しました。 正しい人間理解は、ものの生産から始めなければならないとして、宗教世界を含めたあらゆる思想や概念は、物質的な現実への応答であると主張しました。 実在しているものは精神ではなくて物質であるから、まずは物の生産から始めなければならないとするこの考え方に基づくと、宗教というのはアヘンになりますね。麻薬になります。宗教というのは慰めにはなるかもしれないけれども、経済的な阻害をもたらすという、経済発展のためには有害なものになってしまうっていう論理ですね。このマルクス主義に基づいてロシア革命が起きて、マルクス主義、ソビエト、中国、東方諸国などで支配的な影響力を行使したという、まさに共産主義の時代だったということが言えるかと思います。その壮大な実験がソ連においては崩壊して、大きな被害がそこに持たされたということを私たちは知っています。
このマルクス主義が世の中に、もすごく影響を及ぼしてですね、キリスト教的社会主義という立場に立つ人たちを生み出しました。聖書に基づいて社会奉仕をして 貧しい人を助け、食べ物を配ったりしても、それは対症療法でしかない。結局社会の根源が変わらなければ良くならないと考える人たちが出てくるわけです。愛の奉仕だということで、結構貧しい人のために仕えていても、結局は社会の仕組みそのものが変わらなければそういう問題は変わらない。やっぱり神様の御心の中で、この世界そのものが変わっていかなくちゃいけないっていう風に考える人たちもいるわけですね。クリスチャンの立場で、ある意味ではマルクス主義的な考え方を追求していくような人たちも現れるようになりました。 19世紀だんだんこういう感じで、「人間中心主義」ですけれども、どんどんどんどんそういう悪い影響がはびこって行ったのです。

(3)福音主義の戦い

そういう中で、やっぱり福音を守るために戦っていた人たちがおりました。
1846年に福音的諸教会による、福音主義同盟がロンドンで結成され、聖書的キリスト教弁護のため、聖書の霊感と権威、三位一体、人間の堕落、信仰義認などの聖書の教理原則を承認しました。聖書が言っていることをそのまま信仰をもって受け入れる、という立場に立つ人たちが、「福音主義同盟」というグループを結成して、聖書を守っていこうと努力をしたということであります。当時聖書を読む人達も、そういう時代の枠組みの中で聖書を読んでしまうんですよね。進化論の影響とか、マルクス主義の影響とかの、批判的な価値観や、哲学に基づいて、聖書を読もうとするので、そのような解釈になっていくわけですよね。でもそうじゃなくて、聖書は何と言っているか、聖書が主張していることをちゃんと受け止めて、耳を澄ましていくと、やっぱりイエス様は、救い主として来てくださったし、三位一体の教理は確かに主張されているし、人間は罪びとであり、堕落してるって事は、ちゃんと述べられているし、そういう基本的な教理は、ちゃんと守っていこうという、そういう人たちが現れてそういう努力があって、今の私たちがあるということですよね。

(4)アメリカの福音主義の戦い

以上ヨーロッパの動きですが、アメリカの方も、ちょっと見てみたいと思います。アメリカでは南北戦争という奴隷制をめぐって、北と南が対立する戦争でしたけれども、概ね北のほうは奴隷制反対、南部の方は奴隷制必要として、奴隷制をめぐって対立するんですが、北が勝つという結果になりました。戦争では勝つんですけれども、この戦争の時に、教会も分裂してしまうんです。メソジスト・バプテスト・長老などの教会が、奴隷制を支持するか?支持しないか?によって分裂してしまいました。そして戦争の後、大変な混乱があったようです。
その後大量の移民がアメリカに流れてきました。その時に、ヨーロッパではやっていた、聖書批評学・進化論などが持ち込まれてきます。アメリカは、もともと、移民の国ですから、たくさんの移民を受け入れてきた国ですけれども、一番最初の頃の移民っていうのは、基本的にみんなクリスチャンでした。基本的に聖書を大切にする、神様を信じる、いろんなグループの人たちがいましたけれど、でも基本的にみんな神様が大事・聖書が大事という、そういう了解のもとで、最初のアメリカの建国、土台が築かれたということになるんですが、この頃になると、移民たちの中にも、いろんな人たちがおります。そして信仰のない人たちがたくさんいました。むしろ、自由主義的な考え方に影響を受けている人たちがたくさん入ってくるんですね。そうすると、アメリカの社会にもそれによって影響を及ぼされてきます。いろいろモラルの面でも堕落が始まっていきますけれども、やっぱり神学者たちの中にも、聖書と進化論を両立させるようなことを志す人たちが現れてくるんですね。
そういう世俗的な考え方が入ってきた時に、ちゃんと対決できればいいんですけれども、そうではなくて、それを調整して、聖書も大事だけど、進化論も大事だよねっていうような、両方調停するような、そういうことに理解を示す人たちも、出てくるんですね。そういう中から、社会学者ハーバード・スペンサーという人は、「社会進化思想」という考え方を主張して、結局文明は進歩していくんだと言うんですね。
進化論というのは、元々生物学における進化論ですけども、それが社会においても進化していくっていう、そういうところに影響が出てきます。世の中は、どんどん進歩していく、それは神の国の完成なんだっていう受けとめ方、長老派牧師、ヘンリー・ビッチャーが、倫理的福音を説き、文明の進歩と、神の国の到来を同列に論じたということです。 この時代19世紀のアメリカにおいては、いろんな異端のグループがたくさん生まれました。ユニテリアン・モルモン教・エホバの証人・クリスチャンサイエンスなどのグループがこの時代に誕生したのです。アメリカにもこういうふうに、自由主義的な考え方が広まっていく中で、やっぱりアメリカの中にも、それに対して、福音をしっかり守っていかなければならないという人たちが現れて、そういう人たちが中心になったのが、プリンストン神学校という神学校でした。長老教会系の神学校です。ホッジ・フォーフィールドっていう当時の神学者たちがいますけれども、その方々が活躍をして進化論や、自由主義神学と、対決をしたという風に言われております。この当時のき救世軍など、社会的に積極的に関わっているグループもいくつかあったんですけれども、概ね保守的な立場にある教会は社会問題からは撤退していく傾向が見られます。どうしてかっていうと、自由主義的な考え方に影響されている教会の方が、むしろ積極的に社会に出ていくという、そういう傾向があったんです。福音派の人たちは、福音を守ることのために、少し距離を置いたんでしょうか。政治や社会の問題から、距離を置く傾向が見られるかなと思います。 そしてこの当時活躍した牧師であり神学者、ムーディーという人がいます。 この人がリバイバルを引き起こしたんです。あっちこちで伝道集会を開いて、各地で用いられて、信仰が、生き生きとまた蘇っていって、第三次リバイバルが起きた、ということが言われております。 以上、19席から自由主義神学との対決、っていうことが始まったんですけれども、色んなの当時の時代の影響、思想、価値観の中で、それらから福音を守るために戦った人たちが、ヨーロッパにもいたし、アメリカにもいたということを覚えたいなと思います。

最後に20世紀を見てゆきたいと思います

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