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日本の教会の朝鮮宣教

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

飯能キリスト聖園教会 日本キリスト教史の学び8 若井和生師

・日本の教会による朝鮮伝道はどのようになされた力、
・国家や民族の違いを超えた福音宣教はどのようして可能になるか。

(関連年表〉

1876(明治9) 日朝修好条規
1883 (明治16) アンダーウッド(米北長老教会)、アペンセラー
(北メノジスト)、朝鮮伝道開始
1894 (明治27) 日清戦争
1895 (明治23) 日本軍警、工宮を襲い閔妃殺害
1904 (明治37) 日露戦争
1906 (明治39) 韓国統監府設置、初代統監は伊藤博文
1907 (明治40) 平壌を中心にリバイパル起こる。
保安法発令
1909(明治42) 伊藤博文、安重根に殺される
1910 (明治43) 日韓併合、朝鮮総督府設置
1919 (大正8) 31独立運動~堤岩里教会事件

1 海外伝道の展開

。日本の海外に対する影響力がアジア諸国に及ぶに連れ、日本の教会による台湾伝道、北支伝
道、満州伝道、朝鮮伝道、上海伝道、香港伝道が開始された。
日饉戦争勃発の1904年に、日本基督教会、日本メソジスト教会、日本組合教会がそれぞれ朝鮮伝道に着手する。
・時代的背景:①二十世紀大挙伝道、②国家のアジア諸国への侵入拡張
・ほとんどは海外在住の日本人対象の伝道だった。

2 日本組合教会の朝鮮伝道

①動機

・1903年(明治36)、19回総会にて海外伝道を決議し、朝鮮への伝道師派遣を決定。
・日露戦争のさなかの1904年に京城教会が、1907年に平壌教会が設立。
・1904年8月、海老名弾正は本郷教会の機関紙『新人』にて、「戦後の最善経営」を執筆。
満韓人の日本化が戦後最大の急務であるとし、同化の指導を宗教に求めた。
・日本組合教会は日本国家の朝鮮同化政策にいち早く協力を表明する。(朝鮮人を神の国の
民に教化するとともに、忠良な日本国民に教化する二重化伝道)
・1910年10月、第26回総会の信徒大会において、朝鮮伝道実行委員会が発足。神戸教会                                                         の牧師だつた渡瀬常吉を伝道者として派遣することを決定した。
・『基督教世界』社説:「日露戦争の最後の勝利は朝鮮民族の精神的征服である。而して、比
事たる明らかに吾人基督者の責任である。」

② 展開
・急成長する。教会数 15(1911) – 146(1917)/会員数 554 – 12,487
・朝鮮総督府の協力と、中央政府、総督府、資本家、財閥などの豊富な資金提供を得た植民
地伝道を展開した。
寺内正毅朝鮮総督は、朝鮮民衆の抵抗運動 独立運動に悩まされる。そのリーダーたちの
多くはプロテスタントの信者たち。日本の朝鮮統治に役立ち、日本の国家権力に奉仕するキ
リスト教を朝鮮に造るために、組合教会を最大限利用しようとした。組合教会も積極的に協
力した。
1919年、3 1独立運動勃発 → 水原郡堤岩里の虐殺事件
(日本の当局者は、運動の首謀者は西洋の宣教師と、宜教師指導下の朝鮮人キリスト者で
あると判断した。)
・渡瀬常吉は、騒動の原因は併合そのものではなく、天道教徒が一般庶民の不平を利用した
結果であると主張した。この事件に多くの朝鮮人キリスト教徒が参加したのは「未だ基督教
の真生命を握っていないからであると説明した。
・組合教会の朝鮮伝道に対しては組合教会に属する柏木義円、湯浅治郎、吉野作造らが激し
く批判した。

③ その顛末
・総督府の方針が変わり、組合教会への支援が打ち切られた。
・1921年、組合教会は朝鮮伝道部を廃止し、組合教会所属教会を「朝鮮会衆基督教会」と
して独立させた。
・その後、朝鮮会衆教会は急激に衰退。1920年に15,000人いたとされる信徒が、翌年に
は2,955人に激減39年にはわずか590人にまで減った。
・柏木義円「然るに、公明なる斉藤総督の時代になって総督府の方針が代り、某氏(渡瀬
を指す)は総督府より突き放された態であり、募集したた九万円はすでに消費して仕舞つて
総督府の肝煎なくては此の上募金の見込みなく、御用宗教と几られては鮮人は好感を持つ筈
なく、某伝達は実に行きづまったのであるJ(「朝鮮を見ざるの記」)

3 乗松雅休の朝鮮伝道

① 経歴
・18613年、伊予松山藩にて誕生
・1879年(明治12)、松山中学を卒業し上京。勉学後、神奈川県庁属官となる。
・1887年(明治20)、下宿先の老婦人の勧めで横浜海岸教会の礼拝に出席、回心に導かれ受洗。官職を捨て、   明治学院神学部に入学。

・明治学院在学中、日本橋教会で説教担当者として奉仕するが、1890年、プランドを中心
とするプリマス・プレズレンの群れのメンバーとなる。
・以後、日本各地で伝道生活を送り、1894年から2年間、新潟県小高村に住んで伝道。
・1896年(明治29)、単身で朝鮮に渡り、伝道開始。(日本人海外伝道の第一歩)
・1897年(明治30)、一時帰国中に佐藤常子と結婚。
1900年、乗松一家は京城から水原に移動。この地を伝道の拠点とした。
・1908年、妻常子、肺炎のために召天。
・1909年、日本赤十字の婦長をしていた加藤和子と再婚。水原聖書講堂献堂式
・1914年、病気のために帰国、小田原に居住。その後も三度朝鮮を訪問。
・1921年、死去。

② 朝鮮伝道の動機
・明治27年に渡鮮した上田貞次郎より朝鮮の事情を聞き、福音宣教の志を与えられた。
日本に亡命していた朴泳孝との出会い。(明治学院、小高村)
・閔妃殺人事件に心を痛めた。朝鮮の人々が神の愛を知ることを願った。
・「乗松兄は韓国に伝道に行つたのではなく、韓国の方々を愛しに行った」(弟子の福田賢太
郎のことば)

③ 朝鮮伝道の特徴
・朝鮮語の学び、朝鮮式の生活、朝鮮人と衣食住をともにした。
・貧しさとのたたかい、権力や組織からの援助が全くない自給伝道。
・日本と日本人に対する敵対感情が大きい中で、当初は迫害を経験。
・過酷な収奪に苦しむ朝鮮の人々に共感。朝鮮の人々の間に入つて仕える姿が次第に評価さ
れていった。
・1909年に朝鮮人信徒のささげものによつて、水原に新しい集会所が与えられた。
・1912年の報告によれば、水原で400人近い参加者による集会が開かれ、49人が受洗し
た。
・乗松が日本に帰国した後も、朝鮮のプリマス・プレズレンの群れは守られ、朝鮮人伝道者
たちが各地で熱心に伝道した。1917年の報告によればブレズレンの朝鮮各地の群れは38
あった。
・1919年の3.1事件時には、実力行使による独立運動を戒め、為政者に対する服従を説い
た。
・死後、遺言に基づき、遺骨は水原の地に埋葬された。

4 海外宣教の課題と可能性

① 植民地伝道の課題
・日本の教会による初めての海外伝道は、戦争の付帯事業としての植民地伝道だつた。
・この種の海外伝道が、沈滞した教会に希望を与える一つの手がかりとなった。

・教会の主体的働きである伝道が国家主義的枠組みに制約される。キリスト教伝道が植民地
支配のために 利用されてしまう矛層に、当時の教会人の多くは気づかなかつた。
・日清、日露両戦争はほとんどのキリスト者たちにとつて「義戦」と認識され、日本は「東
洋の盟主」とされた。日韓併合時には海老名弾正も植村正久も、キリスト教による朝鮮人の
融合同化を主張した。

② 神学上の課題
・渡瀬常吉は海老名弾正の弟子。キリストの神性を否定し、人間の理性を中心に聖書を再解
釈する海老名の特徴が、渡瀬にも見られる。
・宣教師やミッションからの自律を目指し、日本人としての主体性を前面に打ち出すこと
が、日本の国家・社会のナショナリズムヘの屈服をもたらした。国家の権威に対する教会の
自律性が追及されなかつた。
・国策に沿つて「伝道報国」の実を得ようとする日本の教会の傾向は、その後も強まってい
く。
・1988年(昭和13)、日本基督教会議長の富田満が朝鮮各地を訪問し、神社参拝を説得。
神社参拝を拒否した牧師、信徒らが処刑された。(神社は宗教ではなく、日本人の習俗であ
ると説明された。=神社否宗教論)
・宗教団体法に基づき1941年に日本基督教団が成立。教会をあげて国策であるアジア進
出、戦争に協力した。

③ 福音宣教の可能性
・乗松雅休の伝道は、国家、組織の枠組みに縛られることがなく、福音をひたむきに朝鮮人
に説く伝道だった。
・悲惨な状態に対する朝鮮人に対するあわれみと共感があった。日本人と朝鮮人の間に、ナ
ショナリズムに縛られない、キリストを中心とする交わりが成立した。
・乗松の伝道姿勢は、1929年から朝鮮伝道を開始した織田楢次(日本伝道隊、バックスト
ンの弟子)によつて継承された。
・無教会の内村鑑三や矢内原忠雄なども、日本のアジア植民地政策に懐疑的・批判的であ
り、朝鮮人の苦難にも同情的だった。金貞植(キム・チョンシク)などの朝鮮人との出会い
があった。
・プリマス・プレズレンや無教会、純福音と言つた当時、亜流と見なされたグループの人々
の中に福音的なものが見られる。

 

 

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