イエス・キリストをより良く知るために

黙示録13章

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

黙示録13章17節:またその刻印を持っているもの以外は、誰も物を売り買いできないようにした。刻印とは、あの獣の名、またはその名が表す数字である
悪魔は、彼の名前か、その名を表す数字を持っていない者には商売をさせないと、言い放っています。一方、神様に従おうとするキリスト者は、それに抵抗し、一層 困難な状況に立たされてしまいます 。しかもなお闇の力は、その背後から、甘美な誘惑へと袖を引き 続けます。そんな時、聖書は、知恵と祈りが必要だと言うのです。

今日の聖書の内容は12章の続き,前回の続きということになります。それで前回は、大きな印が天に現れたということで、ヨハネがその印を見るわけですけども、その印の登場人物としては、一人の女がいました。もう一つは竜ですね。赤い竜が出てきました。それで前回学んだことでしたけれども、一人の女というのは神の民イスラエル、今日の私たちにとって教会を表していると考えることができます。そして赤い竜というのはサタンですね。蛇とか竜とかサタンとかいろんな言葉で出てきますけれども、そういう悪魔的な働きがやっぱりこの世にはあるんだということを教えられる内容だったなと思います。そのサタンとその天のミカエルの戦いがあってですね、それで竜は天に居場所がなくなってしまって、地上に投げ落とされるというそういう場面があって、その戦いの場面が天上から地上にうつされたって言うことを学びました。それでこの怒り狂ったり竜が、女を追いかけていくっていう様子とか、でもその中にあって鷲の翼が与えられて女が守られていくっていう、そういうイメージで描かれてますけれども、これはやっぱりこの地上で生きる教会の戦いがあるって言うこと、でもその中にあってもちゃんと神様は守ってくださるんだよという約束、そのような内容だったと考えることができます。当時の初代教会が置かれている状況なんかも考えながら読む時に、当時のクリスチャン達にとっては非常に大きな励ましだったんじゃないかなということだと思います。その話の続きになりますけども、前回は竜だったんですが、今日の主人公と言うか登場人物は「ケモノ」になりますね。それで 1節に、「また私は海から一頭の獣が昇ってくるのを見た。」

1.神を冒涜する「獣」が再登場

前回、「竜が海辺の砂の上に立った。」そういう場面で終わってまして、怒り狂っている竜が海辺に砂の上に立った、何をするのかな?っていう感じで終わるんですけれども、そうするとですね、海からケモノが昇って来るって言うんですね。そういう展開になります。
この獣は実は再登場ですね。黙示録11章でも既に出てきておりました。11章の7節で、二人の証人たちが証言するっていう場面が出てくるんですけれども、その証言が終わると、7節ですが、「底知れぬ所から登ってくる獣が、彼らと戦って勝ち、彼らを殺してしまう。」
二人の証人はこの獣によって殺されてしまって、そしてこの死体が都の大通りにさらされて、そして埋葬もできないような、3日半晒されていたっていう、そういう記事のところに獣が出てきていましたので、再登場ということになります。
その風貌は、「10本の角と7つの頭があった。その角には10の王冠があった。」ということで、前回学んだ竜と同じ風貌であるということがわかりますね。ですから竜も、10本の角と7つの頭と10の王冠がそれぞれ書いてありましたので、この竜と獣というのはセットであるって言うことがわかります。「その頭には神を冒涜する様々な名があった」ということで、この獣の役目と言うか、その働きというのは、神を冒涜することだったということが言えると思います。

2.古代帝国(バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマ)を表わす「獣」の姿

さらにこの風貌ですけども、2節、
私が見たその獣は豹に似ていて、足は熊の足のよう、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に自分の力と自分の王座と大きな権威を与えた」
ということで、豹に似ているし、足は熊のようだし、口は獅子のようであるということで、一体どういう風貌だったのか、とてもイメージできませんけれども、これは非常な凶暴さ、そして非常に暴力に満ちてるって言う、そういう事が表されていると思います。実はダニエル書7章に、四つの獣っていうのが出てきますね。その四つの獣がこの、豹、熊、獅子をそれぞれ表しているという事が出てくるんですね。ダニエル書7章を読みますと 、これはこれからやがて起こってくる古代帝国のその象徴であるということが考えられるんですね。その後バビロン、ペルシャ、そしてギリシャ、ローマと、4つの古代帝国が起こってくるんです。その一つ一つの古代帝国を表しているということが、ダニエル書7章の学びをすると分かるんですけれども、これが一つになって現れてきたと言いますか、古代帝国が連合して出てきたっていうような、そういう非常に恐ろしさと言うか、凶暴さというものが、ここに現わされているというふうに思います。

3.この獣の姿に、人々が魅了されていく様子

そしてこの獣にですね、権威を与えているのが前回出てきている竜であるということで、この獣の力というのは、まさにこの竜が与えているということで非常に悪魔的な力であるということが分かると思います。3節、4節、
その頭のうちの一つは打たれて死んだと思われたが、その致命的な傷は治った。全地は驚いてその獣に従い、竜を拝んだ。竜が獣に権威を与えたからである。また人々は獣も拝んで言った。『誰がこの獣に比べられるだろうか。誰がこれと戦うことができるだろうか。』
3節と4節 に表されていることは、この獣の姿に、人々が魅了されていく様子と言いましょうか、地上の人々が、これはすごいなということで、この獣の力に圧倒されていく、魅せられていく、そして致命的な傷が治った驚くべき回復力がそこにあるし、だんだん人々が拝むようになるんですね。そういう存在なんだということですね。「誰がこの獣と比べられるだろうか?誰がこれと戦うことができるだろうか」と、圧倒的な力を持っているって言うことですね。

4.獣が活動できる期間も限定されている–神様の支配の中に置かれている

そして5節を見ると、
この獣には大言壮語して冒涜の言葉を語る口が与えられ、42ヶ月の間、活動する権威が与えられた。」
ということで、ここでまた42ヶ月という数字が出てきました。これはあの3年半ですね。今までも繰り返し出てきていますけれども、これを見ると、獣が活動できる期間も限定されているっていう事と、それもやっぱり与えられているんだということ、そういう権威が与えられているんだっていうことですよね。ですからやっぱり神様の支配の中に置かれているということが、こういうことを通してわかるんじゃないかなと思いますが、いずれにせよこの42ヶ月という限定された期間ではありますが、非常にこれは、凶暴な力を発揮する、そういう存在であるということがわかります。

5.この獣に、あらゆる部族、民族、言語、国民を支配する権威が与えられた

6節
獣は神を冒涜するために口を開いて、神の御名と神の幕屋、また天に住む者たちを冒涜した。
ということで、冒涜、冒涜っていう言葉が繰り返し出てきますし、それは神様を汚すということですし、同時に天に住む者達、先に救われて天に帰ったような人たちのことも、冒涜する、そういう存在であるということが分かると思います 。7節で、
獣は、聖徒たちに戦いを挑んで打ち勝つことが許された。またあらゆる部族、民族、言語、国民を支配する権利を与えられた。」ということで、この獣が、要するにあらゆる部族、民族、言語、国民を支配する権威を与えられているって言うですね、非常に考えさせられる言葉だなと思います。
なぜ神さまがそういう権威を、この獣に与えているのかは、神様の許しの中でそういうことがなされているということになるんだと思うんですけれども、その間、地上の聖徒たちは戦わなければいけないという点は、考えさせられる場面だなという風に思いますけれども、でもそこにも神様の守りがあるということを私たちは忘れてはいけないなという風に思います。

6.イエス様の命の書に名前が記されている人、記されていない人。

8節、
地に住む者たちで、世界の基が据えられた時から、ほふられた子羊の命の書にその名が書き記されていないものは皆、この獣を拝むようになる。」
屠られた子羊、イエス様の命の書に名前が記されている人はいいんですけれども、記されていない人たちは皆、この獣を拝むようになると、救われたクリスチャンはそういうことはないけれども、でもそうでない人たちはだんだんこの獣に魅了されて、そして獣に心を奪われて、みんなこの獣を崇拝するようになるっていうですね、そういうことがイメージとして書かれてます。これを読む時に、当時のクリスチャンたちは、やっぱりローマ帝国のことを思わざるを得なかったんじゃないかなと思います。あるいはローマの皇帝ですね、その非常に権力を持っている、軍事力を握っている、そして人々が皆、ローマは素晴らしい、素晴らしい、皇帝は素晴らしい、だんだん皇帝を崇拝するようになっていく、人々の心を魅了していくっていう、そういう姿が、これを読むときに心に迫る内容だったんじゃないかなと思います。

7.聖徒たちの忍耐と信仰が求められる時代

当時としてはそうだったと思うんですけれども、このことは歴史の中で繰り返されますよね。やっぱりこの帝国というものが必ず歴史の中に起こってくると、みんなそうですね。人々はみんな熱中しますね。魅了されてきます。ヒトラーの時のドイツもそうだったと思います。みんなヒットラー万歳で、そうなっていきました。その他にも、神聖ローマ帝国とかオスマントルコ帝国とか、スターリンの時のソ連とか、いろんなの帝国が今までたくさんあったと思いますし、もしかしたらアメリカもそうかもしれませんけれども、みんな素晴らしい素晴らしいと言って、権力者を褒め称えるようなそういう状況になっていくと、クリスチャンたちは大変な戦いを強いられていくっていうそういう歴史がずっと今まで引き継がれているかなという風に思います。
そして今、やっぱり中国のことを思いますね。中国がやっぱり今、こういう状況になっていまして、いろんなニュースが、少し入ってきますけれども、今、教会の指導者達が大変な状況の中にあって、教会が解散させられたり、壊されたり、中国の習近平さんを、なんとなく神様のように崇めるような雰囲気というか、その支配が広がっていく。まさに今の私たちの状況にも重なってくることかなと思いますが、またそういうことも考えさせられることだなと思いますが、まあそういうことがやっぱり繰り返されていく。そしてこの悪魔的な力っていうのは、いつもこの世の中に働いているということを、私たちは覚えていなければいけないなという風に思います。
そして10節の最後に、「ここに聖徒たちの忍耐と信仰が必要である。」と書かれています。
本当にそうですね。聖徒たちにとっては忍耐と信仰が求められる、そういう時代であるということが言えると思います。

8.別の獣=偽預言者の登場

11節になると別の獣が出てきます。最初に出てきた獣とはちょっと違う存在、もう一つの獣が出てきます。この別の獣は、読み進めていくと、これは偽預言者を表しているんだなっていうことが分かってきます。で、さっきの獣とちょっと違います。どの辺が違うかっていうことを、気をつけながら読み進めていきたいと思いますが、11節、
また私は別の獣が地から登ってくるのを見た。それは子羊の角に似た二本の角を持ち、竜が語るように語っていた。」
ということで、子羊の角に似た二本の角を持っていた。さっきの獣は十本の角、7つの頭、10の王冠ということで、サタンと全く同じ風貌だったということが分かるんですけれども、こちらの獣は「子羊の角に似た」と、出てくるんですね。子羊という言葉を聞けば、皆誰もがイエス様のことを思い起こすと思いますし、羊というのは本当に優しい動物で、弱い動物で、特に子羊なんて本当に弱い動物ですよね。見たら誰もが安心するような、そういう優しさを持っている、そういう動物だと思いますし、そういう風に見える。でも、語る言葉は竜のような語り口であったということですよね。12節、「この獣は、最初の獣が持っていた全ての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む者たちに、致命的な傷が治った最初の獣を拝ませた。」ということで、最初の前半に出てきた獣が持っていたすべての権威を、その獣の前で働かせ、 その最初の獣を拝ませるために、誘導するって言ったらいいでしょうかね、そういう働きをする獣なんだっていうことが、見えてきます。そして13節、「また大きなしるしを行い、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。またこの獣はあの獣の前で行うことが許された印によって、地に住む者たちを惑わし、剣の傷を受けながらも生き返ったあの獣の像を作るように地に住む者たちに命じた。
ということで、いろんな印を行いますね。不思議な奇跡を行います。非常に魅了していくっていうか、人々を非常に驚かせるような、そういう働きがあるし、惑わしっていうことが出てきますけど、人々の心を惑わしていく、そして最初に出てきた獣の像を作るように、地に住む者たちに命じるということで、偶像礼拝をを導いていくような、そういう働きをするし、そこには惑わしがあるんだっていうことが出てきます。15節、「それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その像を拝まない者たちをみな殺すようにした。」
ということで、最初の獣とこの2番目の獣が協力して、それぞれ竜のコントロールの中で動いてるわけですけれども、この獣が協力してですね、最初の獣をちゃんと拝ませるように人々をそそのかす働きをする。そしてその獣を拝まない人は殺してしまうという、そういう存在であるということですよね。

9.獣は人間の額に刻印を押して、刻印を持っている者とそうでない者とを区別した。

この獣が、額に刻印を押すってことが最後出てきます。16節、17節、18節、
また獣は、全てのものに、すなわち、小さいものにも大きいものにも、富んでいる者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、その右の手あるいは額に刻印を受けさせた。またその刻印を持っているもの以外は、誰も物を売り買いできないようにした。刻印とは、あの獣の名、またはその名が表す数字である。ここに知恵が必要である。思慮あるものはその獣の数字を数えなさい。それは人間をあらわす数字であるから。その数字は666である。」
ということで、この2番目に出てきた獣が、あらゆる人に、いろんな人に、右の手あるいは額に刻印を受けさせたということですね。
そしてその刻印を持っているものには売り買いが出来る、商売活動に参加できるんだけど、この刻印を押されてない人には売り買いができないようにした、商売活動に参加できないようになってる、特権から外されちゃっている、そういうことを書いてますよね。

10.666という数字の意味・・・擬似的三位一体=政治と宗教の一体化

そしてその数字を数えなさい、それが人間を表す数字であって、その数字は666であるということです。666の数字が何を表しているのか?いろんな解説があるんですけれども、一つの解説としては7というのは完全数ですね。よく出てきますね、7つの燭台、七つの教会、7つの御使いというのは黙示録の中にも何度も出てきますが、それは完全数を表していますね。神様を表していますけれども、それに一つ足りないですね、6っていうのは。
ですが完全に見えるんです。完全に近いんです。でも完全ではない、と言う、そういう数字として考えることができるんじゃないかという、そういう風に説明されることが多いかなと思いますね。666という数字、非常に好印象な数字だなと思いますけれども、でも最初の獣と、2番目の獣、この2番目の獣は実は偽預言者なんだってことがでてくるんですけれども、

最初の獣は、どちらかというと政治的な力っていうのかな、暴力に満ちていて、人々を魅了していく圧倒的な力を持っている、軍事力とか、政治力とか、権力とか、そういうものを表してるように見えますよね。

でももう一つ別に出てくる、後に出てくる獣というのは、どちらかというと宗教的な力というんでしょうか、人々をそそのかして、惑わして、そしてこの最初の獣を拝ませるような、偶像礼拝をさせていくような、そういう宗教的な機能を持っているって言うんでしょうか、そういう姿として描かれているんじゃないかなと思うんですね。

そしてその背後にちゃんと竜がいるわけですね。

この竜と、獣と、偽預言者のこの3人がですね、ある意味では三位一体と言うかね、擬似的三位一体と言っていいかもしれませんね。父・子・聖霊の三位一体ではない、反対の三位一体として、結託して、完全なチームを作ってですね、地上の人たちの心を次々に虜にしていく姿、そしてサタン礼拝に導いていく、そういう姿っていうものがここに表されているということが考えられるんじゃないかなと思いますね。

これはですね、昨日天皇の即位のテレビで、ニュースを皆さんご覧になった方もいるかなと思うんですけど、昨日の一日を過ごしつつ、この13章を読みながら、非常に心にくるものがありました。まさに今の日本の現実を表しているひとつの戦いが、もう始まってるんじゃないかなっていうことをすごく意識させられました。あれを見て、危険を感じる人は、日本人の中にはあんまりいないかもしれません。天皇が即位して非常におめでたいことだなと感じる人が多いかもしれませんけれども、私たちが聖書の御言葉に照らして、この状況を見る時に、完全にこの政治と宗教が一つになって、一体化しつつあるということですね。そして、だんだん天皇に対する崇拝ということが、憲法では禁止されているはずなんですけれども、象徴ということで天皇制が残されていますけれども、なんとなくですね人々に対する親近感がどんどんどんどん深まっていって、そしてなにか日本の国をもう一度、復興させる大きな力として、人々の心を魅了していくっていう、そういう霊的な力が、やはりこの国にも働いてるんじゃないかなっていうことを、すごく意識させられました。
いろんな見方があるかもしれませんけれども、そういうことを考えて行く時に、この黙示録のメッセージが、とても今日的なメッセージなんだなということを考えさせられました。
ここに書いてあることは当時の時代状況を踏まえてのことであるのですが、でもやっぱり終末の時代の一つの予言でもあると思います。

11.まとめ

終末の時代というのはどういう風になっていくかというと、最後に再臨があるわけですけれども、必ず勝利があるんですけれども、そこに至る過程までには、やはり巨大帝国のような存在が出て来てですね、そして人々の心を魅了してゆきます。人々の心の中にそういう願望がありますね。また人々と一体になりたいという共同体意識のようなもの、そういう人々の心の中にある願いというものをサタンはよく知っています。そしてその人々の心の願いをちゃんと満たすような形でですね、どんどんどんどん自分の方に引きつけていく、そういう働きというのは、いつの時代でもあるし、今もやっぱりあるし、週末の時代というのはますますそういう風になっていくということを、聖書を通して教えられていくんじゃないかなという風に思います。
まさに10節に、「忍耐と信仰が必要である」と書いてありますけれども、本当に私たち忍耐しなければならない時代がやってくるかもしれないし、今すでに始まってるかもしれませんが、そこに信仰が求められているということもぜひ覚えておきたいなと思います。
ただこれも限定された期間なんですね。限られた期間なんです。3年半という間、聖書の数字で3年半というのは、文字通り3年半ではないと思いますけれども、かなり限定された期間の間、許されている。でも必ず最後にサタンは滅ぼされる。これが黙示録のこの後、出てくるメッセージ、そして最後には再臨があって、新天地の完成になる、そういう神様のご計画があります。そんな中に私達は生かされているということを覚えていきたいという風に思います。
来週は今度は子羊が出てきます。14章「すると見よ、子羊がシオンの山の上に立っていた」ということで、これで終わりではなくてイエス様がやって来るんだということを覚えたいと思います。

※質問:3年半という限定だとしても神様はサタンの活動を赦すのはなぜですか?
聖書を総合的に読んでゆく時に教えられることは、清めのためといいますか、私たちが神の民として整えられていくために、試練があるということを聖書を通して教えられますし、私たちは完成に向かって、絶えず清められていくということが、エペソ書でもへブル書でも色んなところで、教えられていますが、そういう経験を通らせられながら、私達の中に何があるのか、たえず問われていく。そして実は私たちの中にもしかしたら国歌を賛美したいような、クリスチャンであるよりも日本民族であることを誇りたいような、そういうものが残っているかもしれない。 そういうものがやはり清められていかなければならない、それらは試練の中ではっきり見えてくることがあると思うんですね。そういう試練を通らせられながら、私たちの中にはいったい何があるのかが明らかになっていく、そこに神様が働いてくださって、整えられていく、そして最後、完成に導かれていくという展開になっていくのかなと思います。ですから聖書を総合的に読んでゆく時に、そこには神様のご計画があるのかもしれませんね。

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