イエス・キリストをより良く知るために

イエス・キリストとは誰か?・・・マタイの福音書1章

 
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若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

3.イエスの系図に挙げられた姦淫の女たち

さて、当時のユダヤの人たちがこの系図を読んだ時に、どんな気持ちになっただろうかということをちょっと想像してみたいと思います。

私たちはこれ読んでも何の感慨も湧かないと思いますね。何のことかさっぱりわからないという感じかもしれません。けれども当時のユダヤの人たちがこの系図を読んだら、とても心穏こころおだやかではいられない、そういう系図であったと思います。

どうしてかというと、たくさんの名前の羅列に見えるこの系図の中に、または所々の箇所で、いくつかの主張をしているんですね。そしてその主張というのは、ユダヤの人たちを非常にいらだたせる主張がそこになされているということがわかります。

始めにこの系図の中に、女性の名前が出てきます。当時のユダヤ社会の中で女性の名前が系図に記されるということは、異例のことだったそうですね。それだけでもあるまじきことでしたけども、この中に出てくる女性達が、そこには決して載ってはいけない、そういう女性たちでありました。4人の女性が出てまいります。

3節タマルという女性が出てきます。「ユダにタマルによってパレスとザラが生まれた」と出て参ります。どのような経緯で、パレスとザラという二人の息子たちが生まれたのかは創世記38章を見ると分かります。そして一言で言うならば、この息子たちは「姦淫によって生まれた子たちである」ということであります。タマルという女性は、ユダの息子の嫁であります。ところがある日その息子タマルの夫は死んでしまう。ユダヤでは夫が死んだ場合は、その兄弟が未亡人となったその妻と結婚するというのがルールでした。
ですから,夫が死んでしまったので、タマルはユダの次男と結婚するんですが、また今度もその次男が死んでしまう。ルールでは今度は三男と結婚するってことになるんですが、三男はまだ成人していませんでした。ですからその3男が成人するまで、タマルは待っているわけですけれども、ところがユダは、三男が成人したにもかかわらず、タマルと三男を結婚させようとしない。そこでタマルはどうしたかというと、ある時遊女に変装して、そしてユダと関係をもって、それで身ごもって出産したのがここに記されるパレスとザラという息子たちであります。創世記の方ではベレツとゼラフという名前で出て参ります。このようにユダとタマルとのただならぬ関係によって生まれたのが、この二人の息子たちであるということになります。ご存知のようにユダヤの社会では姦淫は大変重い罪であります。そんなことは隠すのが普通であります。しかしマタイはここで敢えて、そのことを書き記しているということが分かる。ですからユダヤの人たちはこの部分を読んだ時に、それは歴史の事実ではあるけれども、とても心安らかに読むことはできないそういう箇所だったと思われるわけであります。

5節ラハブという女性が出てまいります。これは皆さんご存知だと思いますね。ヨシュア記の中に出てくるので、ヨシュアから遣わされてきた、二人の斥候をかくまった、そのことによってイスラエルに大勝利がもたらされた、あの大活躍した女性の名、ラハブであります。でも、このラハブもユダヤ人ではなかったんですね。カナン人でした。ユダヤ民族は異邦人を激しく軽蔑していました。そして自分達こそは選ばれた聖なる民族である、異邦人は汚れた人々であると見下しておりました。その異邦人の名前が、ここで敢えて、しかも女性の名前がここに含まれているということに気づかされることであります。そしてこのラハブは、遊女ラハブと聖書に出てきますよね。普通はこういう系図の中には含まれないそういう女性達だったんじゃないでしょうか。

5節ルツという名前が出てきます。これはルツ記のルツですから説明するまでもないんですけれども、でもこのルツもモアブ人すね。ですから異邦人の女性でありました。

そして極めつけは6節に出てくるウリヤの妻という言葉であります。6節にエッサイにダビデ王が生まれた。ダビデにウリヤの妻によってソロモンが生まれたと、いう風に記されてあります。ウリヤの妻というのは、つまりバテシバのことですね。本名はバテシバと言います。他の人はみんな本名で書いてあるんですから、この人も、ちゃんとバテシバと書けばいいんですけれども、ここであえて、ウリヤの妻と記しているのはどうしてか?皆さんわかりますか?。それはダビデがどんなに重い罪を犯したかって言うことをはっきり示すためであります。バテシバはウリヤという他人の奥さんでした。その奥さんを奪い取って姦淫の罪を犯して、しかもそのウリヤはどうなったかと言うと、ダヴィデによって戦争の一番激しい最前線に送り込まれて、殺されてしまって言うんですね。それ二重の罪をダビデは犯すんですけれども、その罪をここではっきりと示しているということが分かるわけであります。

ダビデという人はさきほど紹介した通りで、イスラエルの人にとってはもう民族の英雄みたいな人ですね。もう自分たちが誇りとしているヒーローのような人であります。普通はそういう人のスキャンダルのようなものを記したりはしないんじゃないでしょうか。ここまでその偉大な人物の罪を、赤裸々に思い起こさせるような記述をすることはないんじゃないでしょうか。普通は隠蔽するんじゃないかと思いますね。今でも歴史の問題は、本当に難しいですね。本当の真実があるはずなのに、色々隠して不都合な真実は全部隠してしまうっていうことが未だになされてます。そういう風にして恥ずかしいところ全部隠してしまう。しかしマタイはその事実を書き留めているということが分かるわけであります。

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