イエス・キリストをより良く知るために

不妊の辛さを乗り越えて・・・祈りの力・・・第一サムエル記1章1~28節

 
この記事を書いている人 - WRITER -
若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

5.ハンナの祈り

でもハンナはその中でどうしたでしょうか。
絶望しそうな状況の中で彼女は何をしたか?彼女絶望しなかったんですね。
どうしたでしょうか?彼女は祈りました。八方塞がりの苦しみの中、彼女は神様に向かって祈りました。
10節にこう書いてあります。「ハンナの心は傷んでいた。彼女は主に祈って激しく泣いた」。ハンナの心は傷んでいました。傷だらけでした。その痛みの中で、彼女は祈って、そこで激しく泣いた。祈りながら泣きまた。泣きながら更に祈った。その祈りは涙とともにあった祈りであったということが、ここで示されています。
ハンナは、悲しみを抱えてその中に閉じこもろうととしたのではなくて、その悲しみそのものを、神様の前に注ぎだしたということが言えます。彼女の心の内にある重荷とか感情とかも、全て神様の前に注ぎだした、そういう祈りであったということがわかります。
実際15節を見るとハンナは祭祀エリに向かって、こういう風に言っています。「私は主の前に私の心を注ぎ出していたのです」。16節では「私は募る憂いと苛立ちのため、今まで祈っていたのです」という風にも告白しています。    人間なので憂鬱になることもあります。イライラすることもあります。しかしそんな時に、マルタはその感情を人にぶつけることはしなかった。あるいは、自分自身にぶつけることもしなかった。
私達はそういう状態になった時に、どういう態度を取りやすいでしょうか。人にぶつけたり、自分にぶつけるかもしれない。でもハンナはそうではなくて、それを全部神様のところに持ってゆきました。主の前に心を注ぎ出して激しく涙を流した。それがハンナの祈りであったということがわかります。

6.祈りとは何か?

「祈り」とは何でしょう。
そハンナの姿からその答えは、神様に向かって心を注ぎ出すこと、それが祈りであるということを、私たちはこの箇所から教えられます。
私たちは最近、いつ神様に私たちの心を注ぎだしたでしょうか?いつ私たちは神様に向かって、私たちの心を注ぎ出して祈ったでしょうか?そういう祈りをしたことが最近あるでしょうか?
「祈り」とはまさに、私たちの心を神様に注ぎ出す、そういう行為であるということを、是非心に留めたいと思います。

でも私たちは、神様という方を知らなければ、その方がどういう方であるかということを知らなければ、とても心を注ぎ出すことができないんではないでしょうか。
試練や困難が人を神様に近づける時もあるけれども、逆に遠ざけてしまうということもあります。試練や苦しみが、あるいは悩み事があれば、私達はすぐに祈るか?と言うと、必ずしもそうではないと思います。試練が募れば募るほど、あるいは悲しみが募るほど私たちは祈らない。自分の殻の中に閉じこもる、自分の力の中に必死にしがみつく、っていうことにもなりかねない。そういうことがあるんじゃないかなと思います。試練や苦しみが、私たちをどんどんどんどん、主なる神様から遠ざけるということが起こると思います。
でも逆に試練や困難が、私たちをどんどんどんどん神様に近づけるということもあるのではないでしょうか。同じ問題に直面しているのに、全く違う対応をするということがあるのではないかと思います。これは、なぜなんでしょうか?

7.神様を知るということ

それはやっぱり神様を知っているかどうかという、そこが違うんではないでしょうか。神様はどういう方であるかを、個人的に知っているかどうかの違いではないでしょうか?そのことによって、その後の対応が全く違うということを、私たちは覚えておかなければいけないと思います。
ハンナはやっぱり神様を知っていたんですね。知っている人でありました。ですから、どうして神様が自分の胎を閉じているのか分からないけれども、でも彼女は神様のもとに自分の悩みを持って行くことができた。それはやっぱり神様のことを知っているからなんですね。それがハンナの強さなのです。

私達は、
安心して涙を流せる場所というのを持っているでしょうか?
安心して心を注ぎ出すことのできる人を持っているでしょうか?
そういう対象を持っているでしょうか?
それ持ってる人は本当に幸せな人だと思います。その人の前だったら、もう安心して泣ける、涙を流せるっていうのは、本当に幸いなことですね。
私たちは普段はなかなか泣かない。泣かないで頑張ってることが多いですけれども、本当に安心して涙を流せるっていうのは、とっても強いこと、素晴らしいことだと思いますね。

8.思いを受け止めてくださる神様

私たちの祈りを聞いてくださる方がいらっしゃいます。
私たちの重荷になってる事をに誰にも相談できない、そういう激しい心の痛みや、とても理解できない状況の中にあっても、私達の思いを全部受け止めてくださる方がいらっしゃるんです。私たちの神様はそういう方なんです。
その方が、いつも私たちのことを見守ってくださっているということ、私たちの祈りを受け止めてくださる方がいらっしゃるということを、わたしたちは覚えようではありませんか。その方に向かって私たちは語りかけようではありませんか。そして心を注ぎ出して祈る者となろうではありませんか。
ハンナのように心を注ぎ出して祈るものとして成長させていただきたいと思います。

ページ: 1 2 3

この記事を書いている人 - WRITER -
若井 和生師
若井和生牧師:飯能キリスト聖園教会牧師 この記事は、サイト管理者(solomonyk)の責任において、毎聖日ごとの礼拝メッセージを書き起こし、師の許可を得て掲載しております。

- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

Copyright© 聖書の言葉の余韻に浸る , 2018 All Rights Reserved.

You cannot copy content of this page